-以下、備忘録

ご笑覧下さい。笑えねーけど。

-11月9日

11月9 奇跡(という程大袈裟なものではない)が起きた。朝まで寝る事に成功した。いや、正確に言えば明け方近くに一度目が覚めた(恐らく、4時を少し過ぎた位だっただろう)。これまでであれば、そこから二度寝は不可能な筈であるし、事実私もiPhoneで時間を確認した後、何かしらをYoutubeで再生した筈である。しかし、神よ! 気づけば、私は二度寝に成功したのだ!! 次に目覚めた時は7時半。既にTVで某国営放送のニュースが流れていて、ソファベッドの横に置かれた"廃人へと誘う"ソファには次女が、蓑虫のように掛け布団に包まり、沈み込んでいた。台所に目を遣れば、妻が朝餉の支度中。起き上がり、ちゃんと朝まで眠れたよ! まだめっちゃ眠いけど!!と、思わず妻に報告する。クララが立ったよ!! 本当、良かったねえ、と妻も嬉しそう。少しずつ、色々な物を取り戻しつつあるのだと、実感した。やはり、映画の存在が大きい。と言うより、映画を観に行く事で、生活にリズムが出来た(まだたったの二日だが)。当然、街に出る訳だから、スウェットにパーカー+サンダル姿(流石にもうTシャツ+短パンではない)で以て、深夜徘徊をしてみたり、ふらっと近くのコンビニに行くのとは勝手が異なる。それ位の判断が出来るほどの常識が、自分には辛うじてあった。きちんとシャワーを浴び、見苦しくない程度に髭を剃り、香水を纏い、髪のセット……は必要なかった(坊主だから)、職質受けない程度には身なりを調える、こうした準備、一連の動作が、ある種の儀式として機能する。モードが切り替わる。加えて、所定の時間・場所に赴くという目標が出来る事で、自ずとメリハリがつく(昼寝が出来なくなるという事も大きい)。且つ、移動は原則徒歩なので、映画の行き帰りは身体を動かす事を意識し、敢えて遠回りをしたり、今まで歩いた事のないルートを選択する等、一定時間連続して歩く事を心がける様になった(これは11月3日の家族での外出が契機となった)のも大きい。そして、何より、リズムが構築された事で、風呂に入る、湯船にしっかり浸かり、身体を温める事にも意識が向くようになった。軽い筋トレも再開する。鉄アレイが重い。というか如実に二の腕が細くなっている。大分身体が鈍っている事を痛感。結論。映画こそ、我が神。F○CK DA SYSTEM! かくして勢いづく私、調子に乗り、本日も映画観賞をする事に決定。とはいえ、まだちゃんと電車に乗られるかどうか些か心許ない。故に、徒歩圏内である事と上映時間(散歩も鑑みた時に、日中が有難い。陽が沈まぬ内に帰宅したい)、以上二つの条件から、本日は『SISU/シス 不死身の男』に決定。更に、調子に乗って上映前に、結婚以来10年以上通っている湯麺屋に赴く。本来なら少し早く出れば良かったのだが、グダグダしていて、結局お昼時に。案の定20分程並ぶ事になる(極狭小且つカウンター席のみなので)。並んで飯を食う事を、いや、そもそも並ぶという行為をこの世で忌み嫌う事ワースト5にランクインさせている私だが、今日ばかりは別。何、時間はたっぷりある。気長に待つさ、という気持ちに不思議となれた。これも又、良い兆しであろうか。入店後、お目当ての"月替わり季節の湯麺(大)"を注文。ここは小、中、大と同一料金なのも嬉しい限り。程なくして着丼。果たして今の自分が大を食べきれるのか、内心不安だったが、ツルツルイケる。野菜もたっぷりで免罪符にもなる。神よ、許し給え。上の野菜からガシガシ食べ始め、途中で麺を天地返し。食べ進めながら胡椒→すりおろし大蒜→お酢と加えて行き、無事完食。うーん、今日も美味しかった。大将、ごっつあんです(と脳内にて、某サイトのウザいコメント欄的感想が自動再生)。とはいえ、流石に腹パンで、ムーミンパパに逆戻り状態。まだ、映画まで時間があるので、公園のベンチに腰掛け、暫し休憩した後、昼下がりの街を散策。序でに某銀行のATMに邪魔な小銭を投入。無論、投入しすぎてATMをストップさせる様なゲスい真似はせず。

 さて、『SISU/シス 不死身の男』。これもやはり予告詐欺で(それこそが映画観賞の醍醐味なのだが)、物凄く真摯に作られたジャンル映画であると感じた。画面一杯に広がる荒涼たるフィンランドの風景が圧巻で、そりゃアメリカの広大な風景と夕陽見せられたら叶わんよな、と感じるのと同様のスケール感(実際のロケ地は知らんけど)。そういや、ムーミンフィンランド出身(?)だよな。そして敵であるナチがとことん非道(といいつつ、所謂画一的なモブキャラではなく、個性もきちんと持たされ、描き分けられている)、且つこのご時世にドイツ訛りの英語を喋る辺りも、往年のハリウッド映画を意識しているかの様で好感が持てた。何より、主人公の不死身さが(例えば、『ダイ・ハード』シリーズが回を重ねる毎に、マクレーンの不死身っぷりがお約束を通り越し、半ばギャグの域に昇華されるのとは異なり)、異様である。銃弾や地雷の破片が肉に食い込み、裂け、尋常ならぬ血を流しながら、ボロ雑巾の様になり、しかし、死なない。常に死んだかのような、生死を超越した、崇高さを湛えたような存在とも異なる。不撓不屈、生きる事への強い意志、いや、そんな表現では温い。時に偶然にも助けられつつ、己の為すべき事を果たし、世俗的なる目的を遂げ、そして元の世界へと戻っていく。最小限に留められた台詞(過去や背負った業も効率的な処理によって描かれる)。行動原理も至ってシンプル。繰り返しになるが真摯にして、立派な活劇。チャプター仕立てであったり、クライマックス近くで、それまで散々辱めを受けただろう女俘虜達が銃を携え、横一列でナチス兵に歩んでいく辺り、勝手ながらタランティーノ味(主に『イングロ』)を感じたりもした。後、ネタバレにはならないと思うが、犬映画でもある。そして、犬は死なない。馬は悲惨な死に方をするが。この映画において、一切の動物に危害は加えられておりません。フィンランドとドイツ、ソ連第二次世界大戦下における複雑な関係性も知る事が出来た。大変勉強になりやす。高校の世界史教科書では、ここまで知る事は出来ない(大学受験レベルの必要最低限な知識のみを求めるのならば)、やはり人生に必要な事は、映画館で学ぶものだ、と満足し、帰路に着く。無論、少し遠回りをして。妻には"18時前には帰宅します"と、念の為LINEにて連絡を入れる。冗談抜きに、失踪したと思われても困るので。どんどん陽が沈むのが早くなっていく。所謂マジックアワーと呼ばれる時間帯を、黙々と、入り組んだ路地を歩き回り、温かな夕餉が待つであろう家へと向かう。昼に湯麺(大)を食した割には、随分と腹が減った。これが己の健康の証となれば良いのだが。