-以下、備忘録

ご笑覧下さい。笑えねーけど。

感謝の才能 -真の由なき日々②

 先日(11月13日)に送った書類が、無事"鉄人"に届いたようで、お礼のLINEが届く。にしても、郵便物が届くのが随分と遅くなったものだと嘆息。ご持参した方がどう考えても速いっしょ。人手不足なんでしょうが、2024年は目と鼻の先(とか思っているうちに、郵便切手値上げ実施予定、なるニュースを目にする)。洒落にならんぜ。"鉄人"からは"今はじっくりお休みになるのが最良の治療法だと思います。急がず、慌てずです"と、有難いお言葉。何だか、心がポカポカする。あんなにも迷惑をかけたというのに。皆様のご支持、ご声援あっての私であります、と脳内で街頭演説が始まる。"治療の結果など教えていただけると嬉しいです。どうぞお大事になさって下さい" そうです。検査結果如何では、色々と腹を括らねばなりませぬ。最悪の事態を常に想定しておかなくては。恐らく、この感じでは重篤である可能性は薄いだろうけれど、所詮はトーシロがGoogle様にお伺いを立てたに過ぎないので。クレバスの様に見た目には判らないが、落とし穴は世界の至る所に存在している。とはいえ、健全な暮らしを維持するために今日も今日とて散歩。行った事のない方角へと歩を進め、見知らぬ神社の境内や、嘗ては賑やかであったろう団地などを気の向くままに散策する。歩き続ける。暖かく過ごしやすい日々が続いていて本当に有難い。老後の(そんなものがあるかどうかすら判らぬが)予行演習や。

 

某日 朝、妻に、最近弊社代表から何か連絡はなかったかと訊くと、お仕事依頼に際しての提案があったよ、との返事。繰り返しになるが、例の一件以降、基本的に代表は私とではなく妻と、LINEで遣り取りをしている。最初の頃(恐らく10月中)は毎日の様に連絡があったようだが(余程心配を掛けたのだろう)、最近は隔日位の頻度との事。念の為、内容を転送して貰う。ふむふむ、成る程。先日"鉄人"相手に送付した物と、そう内容が変わる仕事では無い(仕事量は代表からの依頼分が桁違いに少ない)。いつでも再チャレンジ可能な社会が要請される時代だ(そうか?)。あたしゃ、精神の複雑骨折から絶賛リハビリ中の弱小中年男性だ。だが、今の自分なら体力・気力共々以前と遜色無し(あくまでも自己評価)。問題は、送られてきたデータがどう見てもiPhoneで雑に撮影したとしか思えぬ劣悪な画質の代物で、且つJPEGである点。おいおい、マジかよ、と思わず天を仰ぐ。加えて、プリントアウトしようにも、我が家のプリンタは肝腎要の黒インクが絶賛切れてる最中でした。はい、詰みました……と言うか、これ出社してちゃちゃっと仕事片付けて帰って来た方が早くね? 今や電車に平常心で乗られるのは実証済みだし、通勤定期はあるし、という結論に至る。かくして、ほぼほぼ三週間振りに代表に直接LINE。現状報告や何やらで、目茶苦茶長文になってしまった。一番ウザがられる(逆の立場ならば確実にウザい、と思う)類いのヤツである。思わず『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』の主人公(演:妻夫木聡)を想起。何故かは、観てくれとしか言えねー。それはそうと、光速で既読がつき、間髪を入れず代表から返信あり。相変わらず仕事早いマンだ。"回復に向かわれているとのこと、本当に嬉しく思います"なる温かなお言葉を頂く。有難や。ただただその言葉に尽きる。

 

某日 善は急げとばかりに、依頼の仕事を片付けに、約一ヶ月振りに出社。本日、恐らく出社しているのは先輩社員(入社時から色々と面倒を見て下さった、私にとっては大袈裟ではなく業務上の指針たる人)だけの筈なので、少しだけ気は楽。どの面下げて、という思いも正直あるが、余り考えすぎないようにする。無事、電車に乗り込み、恵比寿下車。心臓破りの階段を一歩一歩踏みしめる。少しだけ息が切れた。日々歩き回っているとはいえ、やはり完全復活へは未だ道の途中。恐る恐る扉を開け、靴やスリッパを確認する。うむ、やはり出社しているのは先輩のみのようだ。意を決して部屋の扉を軽くノック。引き戸をそろそろと開ける。逆天岩戸かよ(何が?)。こんにちは、ご無沙汰してます、が第一声だった気がする。うろ覚えだが。恐らく、代表から事前に本日出社するという話は聞いていたのだろう。さして驚く様子も無く、あ、どうもこんにちは、と先輩。着席し、そそくさと仕事の準備に取り掛かる。そう長居するつもりもない。ものの30分程度で片付くだろう。初老よ、ペンを取れ。体調は大丈夫っすか、と先輩が声を掛けてくる。まあ、色々ありますがメンタル的には復調傾向にあると思います。あんま無理せず、ゆっくり休んだ方がいいんじゃないですかねえ。そんな会話をしながら、ペンを走らせる。嗚呼、この人とまた酒を呑みたかった。奢られてばっかりだったしなあ。そんな機会、何時の日か設けられたらなあ……等と考えながら、ふと「私がいなくなって、色々とご迷惑お掛けしたと思いますが、何か変わった事は特にありましたか」と訊ねてみる。一瞬、間があった後「特に何も変わらないっすわ」とボソリと呟かれた先輩の科白、その真意(業務上の負担か、社内の雰囲気か、個人の様子か……)を測りかねたが、邪推は無用だとすぐに考えるのを止める。読解力は封印。人の心など判らぬ。そして、私が死んでも代わりはいるもの。恙なく仕事を終え、お疲れ様でした(多分、また来ます)と挨拶をし、退社。小さな一歩だが、巨大な一歩。後日、業務内容について代表から、申し分ない、とのLINEあり。ま、わざわざそうやって連絡して下さる辺りに、自分のやらかし具合が窺い知れようという物であります(要経過観察)。そんな諸々の思惑などどこ吹く風、穏やかなる秋の日々は続くのでありました。

 

感謝の才能 母が亡くなる前々日に、最期の別れを告げる為(間違いなくそうなるだろうという覚悟の下)に急遽帰省した。見切り発車につき、何とか最終便を取って、現地で宿を取ろうとしたが、駅前のホテルは何処も満席、門前払い。ゴネたら何とかならんのか、なる想いも頭を掠めたが、そんな度胸は自分に無く(育ちもよろしいので)、ファミレスで一晩明かす気合も無く(強行軍だし、初老だし)、結局実家を突撃し(最早、電話を掛けるような時間帯でもなく)、何とか泊めて貰った。今にして思えば、これが良くなかった。翌朝、父親と"本当に"つまらない(説明するのもくだらない)事で口論になる。強行軍の疲れもありイライラしていた事もあるが、それはそれとして、もう人生で幾度繰り返されたか判らない、果てなき不毛な応酬に辟易する。こちらが、どれだけ言葉を尽くし説明しても、懇切丁寧に理解を求め、説得を試みても、跳ね返される。徒労感と無力感とが次第に心身を蝕んでいき、やがて沈黙を余儀なくされる。沈黙の舞。徹底した"拒絶"を"態度"で見せつけてみせる。せめてもの意思表明。人生で幾度となく経験してきた、人間に対する幻滅や失望は、全てこの人と対峙した時に始まったと称して過言ではない。こちらから宣言し、距離をおいた時期もあったが、それでも、自分の結婚を機に、お互い多少なりとも相手に対し"寛容さ"を体得して来た、つもりではいた。言うまでもなく父は高齢だ。失礼ながら老い先長くはないだろう身に対し、今更あれこれ言いたくはない、鞭打ちたくはないという配慮も多少は働く。こう見えてちゃんと人の子です。だが、今回ばかりは歯止めが利かなかった。とある科白がトリガーとなり、売り言葉に買い言葉の舌戦。やがて、父の口から発せられた「お姉ちゃんも言っていたが、"お前には、感謝の気持ちや言葉がない"」なる言葉。それは、確実に"呪い"となった。というか、「人が〇〇と言っていた」なる類いの悪口、いと性質悪し。その後、母との葬儀でも色々あってから、姉に対して弟は得も知れぬ気まずさを抱き、以来連絡も途絶えがちである(こちらから連絡しないのが悪いのだが)。かくして、人間関係は意図せず、予期せず、こじれていく。

 それはそれとして、父(及び姉)の言葉には思い当たる節がある。こんな時、どんな顔していいのかわからないけれど、確かに、私は感謝の念(に限らんか? "お気持ち"全般??)を人に伝えるのが下手糞かもしれない。というか、出力の度合いが微妙にずれている(という自覚はある)。感謝の念を抱く、それをきちんと言語化し、相手に伝える。これはある種、日々の躾、教育、訓練……の問題でありまして、私も日常生活を送るに際し、人並み程度には躾けられ、教育を授かり、訓練を怠らずに生きて来たつもりです。相応の努力もしているつもりです。だが、それでも出力(効果)の違いはある。個々体の差は否応なしに生じる(これは他者からの感謝の念を"きちんと""素直に"受け取れるか否かについても同様)。いとも容易くそれらが出来てしまう人もいる("人たらし"など、その最たるものでしょう)。努力だけでは如何とし難い、埋められぬ溝、越えられぬ壁。それを我々は俗に"才能"と呼んだりします。とある事に対する才能の有無、それらは私という人間の、とある一つの側面に過ぎないにも関わらず、"人格"なるものに容易く紐付けられ"あの人はこれこれこういう人"という評価へと一足飛び。閑話休題。昔働いていたブラック企業で、傲岸不遜な社長が"メールの文末には必ず‘ありがとうございます’とつけろ"と口を酸っぱくして言っていたのを、冷ややかに眺めていたものです(というか"オメーが言うな"と鼻で嗤っていた)が、結婚後、妻から口を酸っぱくして“気持ちは言葉にしないと伝わらないよ!”と言われ続けて来たのが、今更ながらに痛切に感じられる、そんな年末です(でした)。そもそも他人の内心など判る訳ないのだから、感謝の念など1㎜も抱いていないにせよ形だけでもお礼を言っておけば、相手を不快にさせる事などそうそうないだろうし、"内気で口下手だけど、本当の気持ちを推し量って!"なんつー齢でないのも重々承知している。だが、常に、お礼(に限らず何か)を、言葉として発するタイミングを窺っている自分がいるのもまた事実だ。どんな顔して、真摯に言葉を告げたら良いのだろうと、妙な気負い、衒い、気まずさ、気恥ずかしさがあるのも、同様に事実だ。大仰すぎはしないか。失礼には当たらないか。案外向こうはどうでもいいと思ってるのでは。かえってご機嫌を損ねないだろうか……社会人大学 人見知り学部、絶賛留年中です。もしかしたらドロップアウトするかもしれません。妙な気の遣い方には右に出る者なし。その反動か、変な(時に重要な)とこで盛大にポカするのもご多分に漏れず。ああ、ウジウジ考えたりせずに、思った事は直ぐに言葉に出来る、豪放磊落、佳きも悪しきも等しく笑い飛ばせる、そんな人間になりたかったよ、俺は。この星の一等賞になりたいの俺は! そんだけっ!! これでも徒に齢を重ね、大分色々とどうでもよくなっては来たがな。さて、父の言葉に戻ろう。そう、色々思うところは確かにあった。刹那、無数の言葉が己の内で渦巻いた筈だ。だが、瞬時に言葉の取捨選択を行った。伝わらなければ、それはなかった事とほぼ同義だから、自分の伝え方が悪かったのだろうね。そう、父には告げた。割と冷静に。恐らく、父には何も伝わらないだろう、という凍てつくような諦念と共に。

 先日も、妻とちょっとした口論になり“その考え方、少しおかしいんじゃない!?”と言われた事があった(弾みで、“ああ、今、頭おかしいんですわ!!”と言い返したのは、少し洒落になっていなかったが)。でも、充分すぎるくらい判っています。私は、多分少しおかしい。だが、それを言い出したら、程度の差こそあれ、人間は揃いも揃って何処かしらがおかしい。私にはそう思えてならない。その癖、自分がまともである、我こそが正義なり、と強弁できる神経が、そうした神経を有する我が父のような存在が、私には些か理解し難い。そして往々にして、そうした人々は"寛容さ"には程遠い。だが、その事実を半ば諦念で以て受け止めるくらいには齢を重ねたつもりです。自分がおかしい、という事に対し、どれだけ自覚的であれるか。他人のおかしさを多少なりとも寛容な眼差しで眺められるか。その先にこそ、真の幸福があるのではないでしょうか(お布施でも募ってやろうか)。