-以下、備忘録

ご笑覧下さい。笑えねーけど。

-11月10日

11月10金) 引き続き良く眠れる。無論、睡眠導入剤の力を借りてではあるが、熟睡、いや爆睡の域。これまでの積もりに積もった睡眠負債を一気にチャラにしようとしているのだろうか。そう甘くはないと思うが。これまでの傾向から察するに、夜中に一度は目覚めた筈だが、まるで記憶無し。そういえば、ここ数日、夢の記憶も無い。意識を取り戻した時には、既に8時を回っていて、妻と長女が楽しみにしている朝ドラが始まっていた。のろのろと起床するもまだ眠い。寝足りない。兎も角、これまでにない、目に見える形での変化。妻も喜んでくれている模様。軽い朝食を摂り、服薬。娘を保育園に送り、洗い物完了、恙なく洗濯物を干し終え、さて何をするか、と思案する。本日は、特別な用事(仕事も含め)なし。用事とは本来作る物であるが。よし、今日は昼に散歩がてら、また蕎麦を食べに行こう。その序でに書店に立ち寄ってみよう、と思い立つ。書店に赴くなど何時振りの事か。明らかに自分は変わりつつ、いや本来の状態に戻りつつある。少しだけ自信(自尊心と称しても良いか)が漲って来るのを感じた。

 向かうは、良く利用するチェーン店である立ち食い蕎麦屋ではなく、もう少し先にある某私鉄沿線の駅前にある、肉蕎麦が有名なお店。えっちらおっちら、いつもの道を歩く。ここも何度通っているか分からない。太麺の蕎麦(ジャンルで言えば"田舎蕎麦"だろうか)に大量に盛り付けられた豚バラ肉。斜め切りされたネギの食感も抜群。色々とトッピング出来るのも嬉しい。好みはキャベツ+キムチ。夏場は冷やしもやっているが、"冷やし"を名乗る割に、若干温い(キンキンの冷水で締める訳では無さそう)のはご愛敬。えっちらおっちら、あ、えっちらおっちら、足取りは軽く、お昼時をずらした11時半頃に到着するも、意外にお客さんがいる。が、回転も速く、そう待たずに順番が来る。この時期にしては例年より温かい日が続いているが、流石に冷やしは終了した模様。肉蕎麦(温)+キムチを注文。昔はこれでワンコインで済んでいたのが有難かったのだが(余計な小銭が増えないので)、流石に物価高騰には勝てず値上げ。お父さんは哀しいです。そう、後この店の魅力は、路麺店(まさかこの単語を使う日が来ようとは)なので、駅前広場のベンチに腰掛けながら食べられる事。炎天下、影一つ姿形のない(ってなんか矛盾した表現の様にも思うが)ベンチに腰掛け喰らう冷やしは、夏男にはマジ堪らんっす。温いけど。

 という事で、またやりたい事を一つやってのけた。では、この勢いでもういっちょ!と、来た道を引き返して、某大型書店に久々に足を運ぶ。飲食のバイトや肉体労働していた頃は有楽町の店舗が近かったので、しょっちゅう利用していたのだが、恵比寿に勤務する様になってからというものな、わいは通勤途中である新宿は紀伊國屋書店さんに浮気する様になってしもた(これで店、大体バレますね)。通勤経路、いと侮り難し。いとも容易く我々のライフスタイルに影響を及ぼしてくる。例えばコロナ禍で通勤路から姿を消し、以来利用頻度ががっくり落ちた、若しくは殆ど利用しなくなった飲食チェーン店など腐るほどある。その逆も又しかり。だからこそ、わざわざ足を運んででも定期的に通いたくなる店(特に飲食)は貴重だ。重ね重ね申し上げるが、並んでまで飯を食べたくはないけれど。毎度の事だが話が逸れた。久々に書店内を物色する。うむ、愉しい。本屋は徘徊するだけで愉しい。時が経つのを忘れるほどに。暇潰しには持って来いだ。そういった感触からも、自分の内に欲望が戻りつつある事を実感。何か一冊購入して帰ろうと思うも、私に潤沢な予算がある訳でも無し、且つ、話題になっていたなと思い出して、"訂正する力(朝日新書) 東 浩紀著”を購入。徒歩にて帰宅後、一気に読み耽る。氏の全著作に目を通した訳では勿論ないが、リーダビリティーの面において、恐らく"ゲンロン戦記 「知の観客をつくる」(中公新書ラクレ)"に比肩するのではなかろうか。読みやすい、分かりやすい=良書という訳では必ずしもないが、そもそもがまえがきにて確か「語り下ろしを書籍化云々」とあったように、完全に廃人と化していた時期(1024日11月1日)、眠れぬままに東氏と様々な知識人との対談を、散々YouTubeで聴きまくっていたせいか、大分話が内容が重複しており、それも理解に一役買ってくれたのだろう。俺、頭悪ぃから、難しい事は分かんねぇけどよー(という、クソな前置きはさておき)、非常に勇気づけられる内容だった。どん底から漸く少しだけ這い上がる兆しが見えて来た、今の自分にとっては。