-以下、備忘録

ご笑覧下さい。笑えねーけど。

-10月24日~11月1日

10月24日(火)~11月1日(水) 仮に私の人生を90分の映画にしたとしてみよう。当然語り得るエピソードは限られる。今回の一件は間違いなく、我が人生における重大なる局面ではあるが、この期間に関しては恐らく、同アングルから私の格好、及び照明を工夫して時間帯を変えてみせたカットを、リズムよく編集で繋ぎ合わせ、せいぜい30秒。いや、それはディレクターズ・カットに回して貰えばいいんで、劇場版では丸々カットしても一向に差し支えない。何をしていたか? 何も。少なくとも、生産的な事は何一つとして。例えば、私のiPhoneにインストールされた"フィットネス"なるアプリの記録がそれを物語っている。要は、一日の歩数、歩行距離、消費カロリーを日々記録する、いわば万歩計みたいなもんだが、この期間の俺は何だ。最高値が10月30日(月)の4,973歩/2.90km/106kcal(確かこの日は、再度内科を受診し、薬を貰いに行ったのだった。LINEの履歴には午前中に妻から”病院ちゃんと行けた?”と入っており、”行けてません。お腹が痛くて臥せってます”と返事している。だが、アプリの記録から察するに、どうやら何とか夕方に自力で受診しに行ったようだ。消費カロリーの時間帯と棒グラフがそれらを物語っている)、最小値に至っては10月24日(火)の145歩/0.09km/3kcal(俺、丸太?)、ときたもんだ。その他の日も消費カロリー数は、ほぼほぼ一桁台。後はお決まりのコース。ひたすら21時頃気絶、日付が変わるか変わらない頃に目覚め、悶々と過ごし、明け方近くに近所を徘徊。食事、服薬、食事、服薬、少し気絶、食事、服薬、気絶……のリフレイン。今だからこそ冷静に振り返る事が出来るが、さながら無間地獄。眠らせぬ事が拷問の有効手段の一つ、という映画を通じてしか知り得なかった情報を、身を以て体験する。殆ど外出しないからと、一日中着の身着のまま、何ならシャワーすら浴びない日もあった。人として、終わっている。後は何をしていたか。眠れずに悶々とする深夜、眠るのを諦め夜明けをひたすら待ち続ける間、日中、家で独り、普段は使用出来ぬベッドに寝転んでいる時。はっきり言えば、ひたすらYouTube観てました。それも結構脈絡なく。某家系のchとか(味濃い薄いあったら言って下さい!)、毎日ラーメン健康生活的(黒烏龍茶飲めば全てチャラ!)なヤツとか、全国喧嘩自慢的なヤツを観て「タトゥーか和彫りか、トーシロには区別つかんけど、こんだけ身体に墨入れるのに幾ら掛かってんのかな? パイセンの奢りで墨入れるとかあんのかな。てか、何の仕事したらそんな金稼げんの? あ、俺も"X(旧Twitter)"の前垢始めたばっかの頃に"いつも心(ハート)にはタトゥーを”とかイキった事呟いてたわー。でも、"W大卒一応全優(キリッ)"みたいな1日1イケメンオバさんよりましかー」等と余計な事考えたり、その流れでバンN村氏のchに辿り着き、おいおい、世界観がマジで、逆闇金ウシジマくんじゃねーかよ、と思ったり、更にそこから派生して、某マネーの虎の真似ー版へと辿り着き、あー、何だかんだでK田社長イケメンだしナイスガイだわー、推せるー! H社長、目がたまに笑ってないとこといい、雰囲気といい、同級生だったM村に似てんだよなー、アイツはいけ好かなかったけど、H社長は頗るいいキャラだわー。あー、ドラゴンH井に「赤ちゃんでちゅか?」って詰められてみてー。多分今の俺(いい歳こいたおっさん)なら、確実に泣く自信あるわー。「若者をいじめて愉しいか!」って、(いい歳こいたおっさんだけど)言ってみてー、あ、近所の店が、FCチャンネルに出てるわ。元気になれたら行ってみよ。あれ、この虎の人、昔勤めてた会社の顧問か相談役的な立ち位置の人じゃなかったっけ……(多分、余裕で100本は観たけど、キリがないのでここらで中断)とか、私人逮捕系YouTuberの動画を、これまた延々と観て、自分がよく利用する埼京線1号車(乗降車に都合が良い)に痴漢が矢鱈と多い、なる無駄知識を得たり、"制圧しますよ"って流行語大賞獲らねーかな。つーか、声に出して読みたい日本語だな。多分、俺、一生口にする機会無いけど、等と考えたり(と、この記録をしたためている内に(11月某日)、真にタイムリーな事に逮捕者が二名出た。再生数に取り憑かれておかしくなっている! 警察に捕まり始めている!!)、そっからマルチ・悪徳商法に突撃する系のch観たり(いい加減"Ted Tsuru Davidoff"こと"鶴幸市"、臭い飯食わねえかな。末代まで祟ってやんぞ)、東浩紀氏や宮台真司氏やらが所謂、知識人、文化人と呼びうる面子と対談するのを、ラジオの様に流しっぱなしで聴いたり、たまたまTV点けたら流れてた某アニメのスペシャルエンディングが矢鱈格好良かったので、何十回と再生したり、"サー"・R・スコットの最新作『ナポレオン』のティーザー予告を観て、これを劇場の大スクリーンで観るまでは絶対に死ねない。でもなあ、ディレクターズ・カットで四時間超えるヴァージョンもあるらしいから、『キングダム・オブ・ヘブン』の二の舞になりそうな悪い予感もすんだよなー、等とつらつら考えたり、そこからレディへの"Kid A"聴いたり、更には『グラディエーター』(ウチの親父が一番好きな映画)のOP、ゲルマニアの戦闘シーンを再生しまくったり……と、もしここまで飽きずに読んでいる奇特な人がいたとしたら、こいつ、延々と何わけ分からん単語並べ立ててやがんだ? そう思うかもしれない。安心して下さい。俺もそうだから。要は不毛。虚無。それ位、何もしていなかった。そういえば、何故かマンガ専用アプリで全話無料中の『課長 島耕作』もひたすら読んでたな(現在進行形)。"Japan as No.1"のあの頃は何処へ。かくも時代はうつりにけりな、だ。つーか、島耕作、運だけで世の中渡ってねーか?……、そうこうする内に時間と曜日の感覚が曖昧になっていき、気づけば西日がリビングに差し込んでいた、何て事はざらだった。さて、冒頭にて、自分の人生を90分の映画にした場合、劇場版なら丸々カットで構わないと述べたが、それでもささやかだがドラマチックな事は起こる。最早、何時何分何秒、地球が何回廻った時に起こった事か、判然としないので、印象に残った事を、以下列挙していく。

 

 自分専用のソファベッドが届く。前述したように妻がわざわざ購入してくれた。いと、有難し。早速リビング一杯に広げ、寝転がる。ああ、何てふかふかなんだ、天にも昇る心地とはこの事か。これで、今度こそ熟睡出来るかもしれないと思うも、逆効果。己の心拍音がベッドを震わせている様な心地になり、気になって却って眠れない。大学受験時にホテルのベッドで似たような経験をし、ほぼ眠れぬまま会場に向かった事をふと思い出す。蚤の心臓の割に、鼓動は力強い。いや耳障りで敵わない。これもまた、まだ、生きている証。

 

某日 ほぼ変わり映えせぬ日々とはいえ、それでも日々毎に気分にはムラが生じる。ある日、今日は何か気分がいい、いつもよりほんの少しだけ眠れたみたいだし。もしかしたらイケるかもしれない、と不意に思い、1020に持ち帰ったままリュックに入りっぱなしの課題に着手しようと試みる。預かった以上、責任を持って返却しなくてばならない(典型的な"Must思考"ってヤツなのだろうが)。先ずは乱雑に纏められたままの課題を整理する事から始め、一通り分類が終了した時点で、個々の課題へと着手する……、も何とか二点ほど、平常時よりも遙かに時間を費やし、片付けた時点で、猛烈に身体が怠くなり、そのままソファベッドに寝転がる。腐ってやがる、早すぎたんだ。後は、YouTubeが俺のお守りをしてくれる。帰宅した妻が、ダイニングテーブルと床に散乱した、膨大な書類の山に、エラい事になってんねー、と呆れていた。

 

某日 以前(10月22日)に記した、深夜に上階から響く謎の生活(?)音が、幻聴でない事が妻の証言により裏付けられる。彼女も、はて、何か音がするな、と明け方近くに目が覚めたらしい。その時、序でに私の様子を見に行ったところ、珍しくソファベッドの上で、赤子の様にすやすやと眠りについていたそうだ。狂っちゃいないぜ! にしても改めてだ。婆ぁ、一体全体、そちは何者ぞ。

 

某日 不眠で最もキツいのは、眠りにつこうと努めた挙げ句、全てが徒労に終わり、諦めて夜明けを待つ事を決意し、長い時間を持て余す事ではない。夢と現の境目が曖昧になる時間が延々と続く時だ。似た事を、嘗てインフルエンザに罹った際に経験した。本当に夢と現の狭間へと、不意に落ちていく感覚に襲われるのだ。恐らくは半覚醒状態なのだろう。長年会っていない友人や恩師、大嫌いだったアイツ、死んだ筈の母、様々な人間が現れ、何かを語りかけてきたり、逆にこちらから声を掛ける。談笑、暴言の応酬、或いは殴りかかろうと拳を繰り出そうとする……、そうして発した己の声や動作で不意に目覚め、傍らのiPhoneに目を遣ると、さっき確認した時から五分と経っていない。そうして、私は今まで書いた事もない文章を綴るのに夢中になり、或いはこの世に確実に存在しないだろう文章を読み耽り、時には朗読し、観た事もないドラマや映画に夢中になって思わず息を呑み、笑い、その自分の声で、ふと我に返る。iPhoneを確認する。やはり先刻から五分と経過していない……、こんな事が明け方までひたすら繰り返されるのだ。俺は、本当に色々と無理かもしれない。この時、はっきりとそう感じた。

 

某日 比較的マシな日。しかし、相変わらずさしたる欲望が湧かない。無論、食欲はある。半ば薬を飲む為に毎日三食きちんと食べているが、食べたくないとか、不味いと感じた事は一度も無い。睡眠欲についてはご承知の通り。欲求不満も甚だしく、頭がおかしくなりそうだ。性欲? 今は要らねー。こんなアカウント名な癖に、俺の"トム"ときたら、まるで"エレクチオン"しないのさ。ねえ、どうしたらいい、ディック? 欲望。やりたい事。無い事はない。二重否定、即ち、強い肯定。今、自分が欲する事。敢えて挙げるなら、映画を、半ば廃人と化していた間に封切られた、観たいと思っている映画を色々と観に行きたい。だが、映画館には行きたくない。行ける気がしない。歩くのが余りにも億劫すぎる。人混みが厭だ、というよりも"怖い"。単身街へと繰り出す心的余裕も無ければ、体力にも自信が無い。では、何をすれば良いのか、何が出来るのか。いや違う。今、自分がしたい事。通常時であれば、呼吸する様に自然とやって来た事の中で、今、痛切に欲する事。"色々スッキリさせたい"、強く、そう思った。家計簿をつけなくなって、どれだけの時間が経っただろう。いちいちカードをレジに出したり、或いはプリペイドカードに現金をチャージする事すら、何時しか(恐らくはこの記録が始まった辺りから)、億劫になり、何もかもいちいち現金で支払った。高価な買い物はしないし、利用箇所もほぼほぼコンビニだが、塵も積もれば何とやら、だ。お釣りを計算し(165円の買い物しました。200円出すよりも、215円出した方が、いいと思いまーす。何故なら、そうした方が綺麗に50円玉が返って来るからでーす。算数の問題でーす)、小銭を出す、という行為さえもが億劫だった。頭回んねー。兎に角、色々と面倒臭かったのだ、ぶっ壊れた私にとっては。結果、財布の中身はと言えば、レシートハラハラ、小銭ジャラジャラ、財布パンパンになって、俺はフラフラと来たもんだ。そう、家計簿の事を忘れていた。なるべく節約を心がけようと家計簿をつけ始めたのが、田舎から単身上京、大学生活、人生初、花の一人暮らしを始めた時。節約の効果は、主に身体面にあり(実家では、明らかに食べさせられ過ぎだった)、一年時の夏休みを迎える頃には、上京時と比較し、体重が約7kg落ちていた。当時の私は、多分"一人暮らしの貧乏生活"もどき、というヤツをRPGの様に愉しんでいたのだと思う。というか、ぶっちゃけて言えば、食費を削り浮かせた金は、ほぼほぼ映画代と書籍代に消えた。何て事はない。清貧の思想に基づき、殊更に質素倹約を心がけていた訳では、まるで無かった。今月は○○に出費しすぎたから、来月はもうちょっと節約しないと、等という発想や分析は皆無。それでも毎月少しは貯金をするよう心がけていたが、色々な事があり、ご多分に漏れず自堕落な生活を過ごすようになると、いつしか"貯金"なる概念は雲散霧消した。人間、いつ死ぬか誰にも判らんし、愉しくやらんと。それでも、家計簿をつける習慣はずっと続いている。キャンパスノートからExcelへと記録媒体が変わっただけだ。飽き性な自分が人生で継続できている、数少ない事の一つだ。前述した通りの有様で、何の力にもなっちゃあいないが。パンパンの財布から大量のレシートを掴み出し、財布に入れるのすら面倒臭くて突っ込んだままであろう、徘徊時に来ていたパーカーや、ショーパンのポケットを漁る。小銭も同様。徘徊時に持ち歩いたクロスボディバッグの中身まで、思い当たる限りの可能性を探り、徹底的に漁る。いやあ、出るわ出るわ。この世はでっかい宝島ってか。そうしてかき集めたレシートの山をiPhoneの電卓機能を用い、使用金額の合計を算出、Excelに入力(一応、使用目的に則った、自分なりの区分はある)。入力し終えたレシートは、ある程度貯まった時点で破棄。これを3セット程繰り返す。探すのも含めて所要時間30分といったところか。やりきった、という達成感と、たったこれだけの行為を済ませただけでどっと押し寄せる疲労感。卓上の小銭の山に目を遣り、いつか、こいつを平日、銀行のATMに思う存分ぶち込んでやろう、外出する目的が出来たぜ(何せ、半径1km圏内に小銭をぶち込めるATMが存在しないもので)、とほくそ笑む。だがな、ゆうちょ銀行。テメーはダメだ。

 

某日 LINEに履歴が残っているので、日付は判るのだが、面倒なので省略。それまで、メールやLINEを開くのは当然億劫、返信入力は言わずもがなの状態だったのだが、少し余裕が(或いは、このままではマズいというまともな判断力が)生じたのだろう。代表と"鉄人"にご迷惑をお掛けした事について(連絡が遅れた事含め)、お詫びのLINEを送る。なかなかの長文になったが、己の現状と心情とを率直に伝える。久々に入力する文字列。未だフリック入力は苦手だ。記しながら、再認する。そう、何だか色々と疲れてしまった。どれほど情理を尽くして説こうとも、暖簾に腕押しの感覚が続く日々、健全な意味での承認欲求すら満たされず、他人と比較され続ける日々、いつしか歯車が噛み合わなくなった人間関係……数少ない友人たちと会う機会もめっきり減った。コロナ禍がその状況を加速させた感は否めない。昔のような、どうでもいい、翌日には綺麗さっぱり忘れるような馬鹿な話もしなく、いや、出来なくなった。仕事、家族、健康、難解な言い回しを多用し、賢しらぶった口調で滔々と述べられる、しかし訊かされる側にとっては、内心どうでもいいと思うような話題の数々(ま、この記録だってそうですが)。それが社会というもんなんでしょうか。きっと、そうなんでしょう。ですが、私はそうしたあれやこれやに、少し疲れてしまいました。いえ、決定的に、かも知れません。当面、判断は保留しておきます。幸いな事に、代表、"鉄人"双方から温かいお返事を頂けた。有難い。今は唯、その言葉しかない。

 

某日 明らかに太った。当然だ、上京以来これまでほぼ一日二食生活を続けていた男が、きちんと三食摂り、昼寝つき、ではないが、大して動いていないのだから(薬の副作用的なものも多少はあるのかもしれない、知らんけど)。顔は浮腫み、腹は膨れ上がっている。下腹部の膨満感、不快感はてんで解消されない(が、食欲はある)。素人の浅知恵を駆使し、色々と検索していたので、もしや腹水が溜まっているのでは、なる考えが頭を過ぎったりもする。何はともあれ、まだひと月も経過していない健診時の体型が嘘のようだ。お風呂上がりにすっぽんぽんでリビングに駆けてくる、次女の真ん丸でツルッツルのお腹を見て"ムーミンみたいだねぇ、可愛いねぇ"と、暢気に言っていた嘗ての自分を殴りたい。今や、俺がムーミンパパやんけ! 可愛げは欠片もなし。で、病院に貰った下剤を試してみたが、その先に待っていたのは、更なる地獄だった。いつも通りの眠れぬ夜。ギュルギュル鳴る下腹部。トイレに駆け込む、ガスと共に噴出する食物の残滓。布団に戻るもさして変わらぬ下腹部の膨満感、不快感。暫くの後、再度襲い来る便意。駆け込むトイレ、さしたる成果無し……、冗談抜きでこのプロセスを一晩で30回は繰り返したと思う。終盤になると、出て来るのは謎の液体(腸液?)、最後には微ガス(って呼称あんの?)、おまけに、トイレットペーパーに血が付いてきた。流石に引いた、血の気が少し。

 

某日 朝になり起床して来る家人、妻はいつも通り朝食の準備、子ども達はリビングでゴロゴロ。眠れぬ夜を過ごした私は、洗濯機を回すと選手交代(いや、むしろ退場)でもするかの様に、早朝の世界へとまろび出る。暫しの後、戻ると、妻が私を一瞥し、それから静かに、しかし的確に、私を詰める。返す言葉もない。100%非は私の方にある。感情が溢れ出しそうになり、ちょっと寝室で話そうと、妻を呼び招く。そこから、先は支離滅裂、嗚咽しながら妻に訴える。亡くなった母の事を。恐らく何故だか、彼女にはよく判らなかった事だろう。それでも、暫し私の話に耳を傾けてくれ、とはいえ、子ども達の支度もあるので、今日は私がよっちゃん(次女の仮名)を送っていくね、と告げ、私を寝室に独り残す。私は、あの日(10月20日)の様に項垂れたまま、家人が皆家を出るのを待った。

 母は三月末に逝った。三年以上に亘る直腸がんとの闘病生活から、緩和ケアに切り替えて凡そ四ヶ月後の事だった(想定よりも早く。とある寒い日を境に容態が急変してからは、あっという間だった)。通夜の席に二人のご婦人が出席されていた。最初誰なのか判らなかったが、名前を聞いて合点がいった。私の姉と小、中に亘り親しかった友人のお母様方だった。同学区内なので、言ってしまえばご近所さんに当たる。そのご婦人方の話で初めて知ったのだが、長い間ずっと、母を含めた三人で、月に一度集う機会を設けていたそうだ(お茶会みたいなもんだろうか)。二人はしきりに口にした。まさか、こんなにも早くこんな事になってしまってねえ。でも、お母様は私たちの前で一度も弱音を吐く事は無かったです。毅然としていらしてねえ。本当に立派な方でした。そう、私の知る母は、いつも優しく、そして我慢強い人だった(たまに、子どもの面前で愚痴をこぼす事もあったが)。お二人に向かって、私はこう告げた。母の息子として生まれた事を誇りに思います、と。多分、その時の事を動揺(錯乱?)しながら私は思い出したのだ。もしかしたら自分はもうダメかも知れない、と心の何処かで感じている自分がいた。仕事関係や、数少ない友人関係において、僅かながらも自分に信をおいてくれた人々や遺される家族の事、何よりも自分が母のような状況になった時に、渦巻く無数の想いや、襲い来る苦痛や死の恐怖に曝されて、それでも気丈に振る舞う事が出来るのだろうか。あらん限りの醜態を晒し、呪詛を並べ立て、周囲に迷惑を掛けまくった挙げ句、数多の後悔を抱えて死ぬのではないか。いや、きっとそうに違いない……、そうした諸々の想いを整理する事が出来ず、感情の赴くまま、止めどなく吐き出してしまったのが先刻の惨状だ。そんな事を、ベッドに横たわりながら恐らくは考えていた。そして、いつもの様に気絶した。

 

某日 こんな惨憺たる有様の私だが、起き出して来た妻に「今日もよく眠れなかった」「導入剤が逆効果でフラフラする」、そう告げると、よくハグしてくれる。背中をポンポンしてくれる。なので私も彼女の背中をスリスリする。猫背気味の私に比べて、彼女の背筋はいつもシュッとしている。出会った時から、ずっとそうだった。多少茶道の嗜みがあるからだろう。姿勢がいい。「無理しなくていいからね。頑張ろう、頑張ろうとしないでね」 そう囁いてくれる。時には「お腹空いたらカップ麺食べてもいいからね! やりたい事、食べたい物、赴くままにやってね!」とLINEをくれる。そうして、時間や曜日の感覚が狂いながらも、何とか私は生きている。仮初めの安堵感を胸に。