-以下、備忘録

ご笑覧下さい。笑えねーけど。

YOU ARE NOT ALONE -真の由なき日々③

YOU ARE NOT ALONE それは実に暖かく、穏やかな勤労感謝の(11月23日)の事でした。悲惨な事態に陥って早一ヶ月が経過し、相も変わらず自宅療養中。そう、勤労に感謝するべき国民の祝日に、きちんと私は休んでいるのです。こんな事、一体いつぶりでしょう。そんな感慨はどうでもよろしくて、日中は公園で次女と遊んで過ごしました。茂みを森に見立て探検の旅へと出て、摘んだ蒲公英のお友達である花をあちこち探し回る、そんな子どもの想像力に私は感心しきりでした。いつから、我々はこの心を失ってしまったのでせう。そんなこんなで一日は過ぎ、喫緊の用事など特にない私は、兎に角規則正しい生活をと、早めに床に就こうとしていました。そんな時、突然LINEが届いたのです。てっきり、また代表からかと思いましたが、意外にもそれは大学時代の同級生(♀)からでした。最後に遣り取りをしたのは確か6~7年前、色々あって私が前職のブラックな現場で働き始めた頃でした。内容はといえば、ご結婚の知らせだったかと思います。当時、荒んでいた自分は(今もか)、大層おざなりなお返事をしたのではないか、とも記憶しております。さて、一体何事なのだろう、まさか私のイッチャッてるこの状況を知る由もあるまいて、そう思いつつ開いてみると、その内容はこれまた想定外のものでした。"期限が迫っている映画の券があるのだけれど、使う機会はありますか。ありそうならQRコード送ります" ようやく映画を観られるようになりつつある状態だったので、願ったり叶ったりの申し出。断る理由など1㎜もござんせん。"お言葉に甘えて喜んで利用させて貰います。ご家族共々お元気ですか?" そう、お返事しました(因みに、頂いたチケットを使う為に後日、二子玉川まで渋谷からひたすら246を歩くという愚行を犯しましたが)。その後、ちょいちょい遣り取りをし、最後に私は思わず、こう送信しました。素直な気持ちから出た言葉だったと思います。"久しぶりのご連絡、とても嬉しかったです。また、いつか、何処かで集える機会などあると良いですね" 直ぐに返信が届きました。"喜んでもらえてよかった! 映画チケット使ってくれそうな人といえばまっさきに思い浮かんだよ(笑)。また集まれるといいね。誰かに会う機会あったらゆるっと声かけるね" 彼女にしてみれば、日常生活における何て事は無いLINEの遣り取りのひとつにすぎないでしょう。しかし、微笑みの無料スタンプを送信した後、家族が寝静まった家で独り、私は暫し嗚咽を堪える事が出来ませんでした。こんなにもどうしようもない状態にある、そんな自分の事を覚えてくれている存在が確かにいた、自分はひとりではない、たったそれだけの事実で私は救われた気がしたのです。恐らく、彼女も私も本名でエゴサーチをかけたところで、この情報の海の中、ヒットする事はほぼほぼ無いでしょう。しかし、彼女も、私も、確かに、この世界で生きている。そして、たまに誰かを思い出したりする。たった、それだけの事。

 その翌日(11月24日)、今度は"鉄人"からLINEが届きました。内容はといえば"現場"の声の紹介でした。"いい人だったから、早く良くなって戻って来て欲しい(大意)"という声が寄せられている(ゆうても一件ですが)、との事でした。正直、意外な反応でした(そう発言した相手も含めて)。普段の私ならば"まあ、世間は広いから、奇特な人間も一定数おるわいな"で済ませていたでしょう。しかし、正直に申し上げます。目茶苦茶嬉しかったっす。"この後、滅茶苦茶S○Xした"レベル(?)で嬉しかったです。勿論、"鉄人"にもその気持ちは、オブラートに包んだ上で率直にお伝えしました。小春日和は続きます。

 更に数日後、夜にいきなり故郷の友人達からグループLINEが届きました。決して広いとはいえない私の交友関係ですが、彼らとは小学生時に無理矢理通わされた塾で知り合った後、結局皆、同じ中高一貫校に進学し(田舎は通える私立の学校が少ないけん)、中高6年間に亘る腐れ縁を経て、その後の進路こそ分かれたものの、謂わば"ズッ友"と呼べる関係です。結局、ずるずる東京に居座り続けた私以外は、上京せずに故郷に残った者あり、紆余曲折を経て戻った者ありで、今や会う機会も限られてしまいますが(コロナで帰省もままならなかった時期も挟んでいるので)。何かと思えば"少し早いが、忘年会やろう! 君だけ東京だからTV電話を繋ぐよ!!"との事(結局、当日改めて連絡が来た時に、気分がやや沈んでいたので丁重にお断りしたのですが。酒も呑めないので)。無論、彼らもまた、私の現状を知る由などありますまい。しかし、何なのでしょう、こうも立て続けに連絡が相次ぐとは。虫の知らせ、ってヤツなのかしら。勿論、有難い話であります。というか、もういちいち言う事でもないですが、やはり私は嗚咽を堪える事が出来ませんでした。いつか、帰省して、彼らと沢山くだらぬ話がしたい。恩師にも会いたい。でも、今はまだだ。もう少し自分には時間が必要だ。一先ず、年末に超音波(エコー)検査受けて、正式な診断結果が出てからかな、との思いが頭を過ぎりました。その日も変わらず小春日和でした。

 

某日 一転して少し肌寒い一日。本来、長女の運動会の日だが、間の悪い事にインフルに感染してしまった彼女は、当然出場できずに、自宅待機。長女の友人も昨日になって発覚したとの事。絶賛インフル蔓延中。散歩がてら買い物を色々済ませ、帰宅後、次女を公園へと連れ出す。お遊び中に転んだ際、右手の小指を痛めたとかで泣き喚くので急遽帰宅。しかし、本日もよく歩いた。

 

某日 朝から氷雨、予報通り昨日よりも寒し。マジ、近年の天気予報の精度向上っぷりには目を見張る物がある。当然外出する気にはなど、さらさらなれず、さらさらのさらさーてぃさてさて、これを機に奥の物置部屋の整理に少しずつ取り掛かり始める(頓挫する事は目に見えているのだが、勢いは大事)。いやはや出るわ出るわ、地層から発掘されし化石の様な積ん読の山。それにしても棚に並ぶ日焼けした書籍の背表紙が物悲しい。西日が憎い。もっと厚手のカーテンを! 神保町の古書店がほぼほぼ北向きだというエピソードを思い出す。とまれ、書庫用の暗室、もとい一等前後賞併せて六億円所望。結果的に、少し床が見える状態にはなった。所詮は焼け石に水なのだが。夕食後、些細な事で泣き喚く次女に苛立つ。気が狂いそうだ、思わずそう口にすると、私はそれを4年間ず~っとやって来たんですけど、と、やや怒気を孕んだ妻の声。返す言葉無く、暫し沈黙。PCへと向かう。お風呂から上がった妻が私の背中を撫でながら、さっきはごめんね、と謝って来たので、いや、こちらこそ済みません。自分が100%悪かった、と返事をする。やはり"心と身体の調子を良くするお薬"は暫く服用し続けた方が良いのだろうか、と改めて思いつつ、結局服薬せずに就寝。

 

某日 7時前起床。体調頗る良し。ガシガシ洗い物を済ませ、次女を保育園に送り、その足で配信されていたクーポンを消費する為に、家から少し離れた某コンビニへと赴き、朝餉を購入。11時前にブランチを済ませ、外出の(映画館へと赴く)準備を滞りなく進める。運動会の振替で、小学校は本日休校。だが長女は変わらず咳き込んでいるので、当然外出は不可。食欲もさしてないようだ。昼ご飯はスープを温めて飲み、食後にはちゃんと薬を飲むよう告げる。分かった、との返事。さてさて、時間と体力を持て余す父は『ロスト・フライト』観賞。いやはや、思いがけない掘り出し物ではないか。ディティールを疎かにしていないのが良いし(神は細部に宿る)、敵味方問わず登場人物達がきっちり自分の責務を果たす様(THE 仕事人の面構え)も、テンポの小気味よさも相俟って、実に気持ち良い。良い(本来の)意味でのB級っぽさ。G・バトラーのセルフ・プロデュース能力が作品を重ねる毎に確実に成長している事も再確認。今後とも目が離せない。

 小一時間ほど散歩して、カロリーを消費し帰宅すると、家を出た時とほぼほぼ同じ状態で"廃人ソファ"に沈み込んだ娘が、iPadで何やらご観賞中だ。朝から変わらず暖房は点いたまま。ずっと点けっぱなしかと訊くと、そうではない、との返事だが怪しい物だ。昼食を食べた痕跡もなく、改めて訊けばまだとの事。時刻はとっくに15時を回っている。飲まなくちゃいけない薬は何種類? 食前?? 食後???と訊くと、昨日の時点で既に薬のストックは切れた、との事。なら、朝の返事はなんやったんねん。若干イラッとしつつ、何か食べたい物ある?と訊けば、うどんが良いとの事。昨日の残り物である鶏団子スープにうどんをぶち込み、強火で煮立てる。全部食べられそう? うん。鶏団子は?? 小さいの一個でいい。野菜は??? ちょっと。スープは少なめで。……注文の多い料理店じゃのう、と思いつつも、彼女なりにきっと色々辛いのだ、とも思い直す。今の自分がそうであるように。自分が傷つく事で、他人の痛みを慮り、寄り添えるようになるのです、神よ! 戯れ言はさておき、もう少し温かく接してやらなくては(Must思考ではないぞ)。ものの10分で、鶏団子スープうどん完成、配膳。ほぼ無言のまま、ゆっくりと口に運んでいく。まだまだ食欲はないようだ。

 夜、近所の万屋に服を売りに行く。20年近く着ていた(ここ数年は出番も殆どなかったが)G-ジャンが予想以上の高値で売れた。貧乏性な上に、物への愛着(いや、執着か)は強い方なので、少し惜しい気もしたが、悪いな。今は糊口をしのがなくてはならぬ。次の持ち主に愛されて貰ってくれ。にしても、全然ときめかねーな、おい!

 

某日 娘を保育園に送った後、その足で"午前十時の映画祭"へと向かい『ブラック・レイン』観賞。何度もソフト、或いはTVで観た事はあるが、銀幕では勿論お初。まだまだ日本が元気だった頃である。粗筋はほぼほぼ頭に入っているので、さして驚きも無く、いかにも"あの時代のアクション映画"といった風情で、タルさやツッコミどころはあるものの、逆光! スモーク!! 雨!!! アンバー!!!!といった、変わらぬ"サー"の刻印を大画面で観られるのは、遅れてきた世代にはやはり有難い。撮影監督のヤン・デ・ボン、今頃どこで何をしているのだろう。観賞後、いつものように街から住宅街から縦横無尽に散歩。再び暖かさが戻る。"小春日和"とはこれだ!と言わんばかりの素晴らしい陽気。完璧。しかし、大分散歩にも飽きてきた。ここら辺の路地裏はあらかた歩き尽くしたのではないか。何処か知らない場所へ、街へ行きたい。気の向くまま足の向くまま、存分に歩いてみたい。いざ、新天地を求めて!……等とつらつら考えていると、不意に、過去に自分がやらかした出来事を思い出して、悶々とし始める。あれですわ、風呂場でシャワー浴びてて、たまに羞恥に駆られ叫び出したくなる、あの現象ですわ。いかんな。ここはやはり"心と身体の調子を良くするお薬"を飲まなくては。という事で、某松屋にて軽く朝兼昼食を摂り、服薬。暫し歩いた後、帰宅。どうも生協さんが届いていたようなので、一通り家に仕舞う。半ば居候の身としては、家人が留守の間にこれ位の事はしなくては。

感謝の才能 -真の由なき日々②

 先日(11月13日)に送った書類が、無事"鉄人"に届いたようで、お礼のLINEが届く。にしても、郵便物が届くのが随分と遅くなったものだと嘆息。ご持参した方がどう考えても速いっしょ。人手不足なんでしょうが、2024年は目と鼻の先(とか思っているうちに、郵便切手値上げ実施予定、なるニュースを目にする)。洒落にならんぜ。"鉄人"からは"今はじっくりお休みになるのが最良の治療法だと思います。急がず、慌てずです"と、有難いお言葉。何だか、心がポカポカする。あんなにも迷惑をかけたというのに。皆様のご支持、ご声援あっての私であります、と脳内で街頭演説が始まる。"治療の結果など教えていただけると嬉しいです。どうぞお大事になさって下さい" そうです。検査結果如何では、色々と腹を括らねばなりませぬ。最悪の事態を常に想定しておかなくては。恐らく、この感じでは重篤である可能性は薄いだろうけれど、所詮はトーシロがGoogle様にお伺いを立てたに過ぎないので。クレバスの様に見た目には判らないが、落とし穴は世界の至る所に存在している。とはいえ、健全な暮らしを維持するために今日も今日とて散歩。行った事のない方角へと歩を進め、見知らぬ神社の境内や、嘗ては賑やかであったろう団地などを気の向くままに散策する。歩き続ける。暖かく過ごしやすい日々が続いていて本当に有難い。老後の(そんなものがあるかどうかすら判らぬが)予行演習や。

 

某日 朝、妻に、最近弊社代表から何か連絡はなかったかと訊くと、お仕事依頼に際しての提案があったよ、との返事。繰り返しになるが、例の一件以降、基本的に代表は私とではなく妻と、LINEで遣り取りをしている。最初の頃(恐らく10月中)は毎日の様に連絡があったようだが(余程心配を掛けたのだろう)、最近は隔日位の頻度との事。念の為、内容を転送して貰う。ふむふむ、成る程。先日"鉄人"相手に送付した物と、そう内容が変わる仕事では無い(仕事量は代表からの依頼分が桁違いに少ない)。いつでも再チャレンジ可能な社会が要請される時代だ(そうか?)。あたしゃ、精神の複雑骨折から絶賛リハビリ中の弱小中年男性だ。だが、今の自分なら体力・気力共々以前と遜色無し(あくまでも自己評価)。問題は、送られてきたデータがどう見てもiPhoneで雑に撮影したとしか思えぬ劣悪な画質の代物で、且つJPEGである点。おいおい、マジかよ、と思わず天を仰ぐ。加えて、プリントアウトしようにも、我が家のプリンタは肝腎要の黒インクが絶賛切れてる最中でした。はい、詰みました……と言うか、これ出社してちゃちゃっと仕事片付けて帰って来た方が早くね? 今や電車に平常心で乗られるのは実証済みだし、通勤定期はあるし、という結論に至る。かくして、ほぼほぼ三週間振りに代表に直接LINE。現状報告や何やらで、目茶苦茶長文になってしまった。一番ウザがられる(逆の立場ならば確実にウザい、と思う)類いのヤツである。思わず『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』の主人公(演:妻夫木聡)を想起。何故かは、観てくれとしか言えねー。それはそうと、光速で既読がつき、間髪を入れず代表から返信あり。相変わらず仕事早いマンだ。"回復に向かわれているとのこと、本当に嬉しく思います"なる温かなお言葉を頂く。有難や。ただただその言葉に尽きる。

 

某日 善は急げとばかりに、依頼の仕事を片付けに、約一ヶ月振りに出社。本日、恐らく出社しているのは先輩社員(入社時から色々と面倒を見て下さった、私にとっては大袈裟ではなく業務上の指針たる人)だけの筈なので、少しだけ気は楽。どの面下げて、という思いも正直あるが、余り考えすぎないようにする。無事、電車に乗り込み、恵比寿下車。心臓破りの階段を一歩一歩踏みしめる。少しだけ息が切れた。日々歩き回っているとはいえ、やはり完全復活へは未だ道の途中。恐る恐る扉を開け、靴やスリッパを確認する。うむ、やはり出社しているのは先輩のみのようだ。意を決して部屋の扉を軽くノック。引き戸をそろそろと開ける。逆天岩戸かよ(何が?)。こんにちは、ご無沙汰してます、が第一声だった気がする。うろ覚えだが。恐らく、代表から事前に本日出社するという話は聞いていたのだろう。さして驚く様子も無く、あ、どうもこんにちは、と先輩。着席し、そそくさと仕事の準備に取り掛かる。そう長居するつもりもない。ものの30分程度で片付くだろう。初老よ、ペンを取れ。体調は大丈夫っすか、と先輩が声を掛けてくる。まあ、色々ありますがメンタル的には復調傾向にあると思います。あんま無理せず、ゆっくり休んだ方がいいんじゃないですかねえ。そんな会話をしながら、ペンを走らせる。嗚呼、この人とまた酒を呑みたかった。奢られてばっかりだったしなあ。そんな機会、何時の日か設けられたらなあ……等と考えながら、ふと「私がいなくなって、色々とご迷惑お掛けしたと思いますが、何か変わった事は特にありましたか」と訊ねてみる。一瞬、間があった後「特に何も変わらないっすわ」とボソリと呟かれた先輩の科白、その真意(業務上の負担か、社内の雰囲気か、個人の様子か……)を測りかねたが、邪推は無用だとすぐに考えるのを止める。読解力は封印。人の心など判らぬ。そして、私が死んでも代わりはいるもの。恙なく仕事を終え、お疲れ様でした(多分、また来ます)と挨拶をし、退社。小さな一歩だが、巨大な一歩。後日、業務内容について代表から、申し分ない、とのLINEあり。ま、わざわざそうやって連絡して下さる辺りに、自分のやらかし具合が窺い知れようという物であります(要経過観察)。そんな諸々の思惑などどこ吹く風、穏やかなる秋の日々は続くのでありました。

 

感謝の才能 母が亡くなる前々日に、最期の別れを告げる為(間違いなくそうなるだろうという覚悟の下)に急遽帰省した。見切り発車につき、何とか最終便を取って、現地で宿を取ろうとしたが、駅前のホテルは何処も満席、門前払い。ゴネたら何とかならんのか、なる想いも頭を掠めたが、そんな度胸は自分に無く(育ちもよろしいので)、ファミレスで一晩明かす気合も無く(強行軍だし、初老だし)、結局実家を突撃し(最早、電話を掛けるような時間帯でもなく)、何とか泊めて貰った。今にして思えば、これが良くなかった。翌朝、父親と"本当に"つまらない(説明するのもくだらない)事で口論になる。強行軍の疲れもありイライラしていた事もあるが、それはそれとして、もう人生で幾度繰り返されたか判らない、果てなき不毛な応酬に辟易する。こちらが、どれだけ言葉を尽くし説明しても、懇切丁寧に理解を求め、説得を試みても、跳ね返される。徒労感と無力感とが次第に心身を蝕んでいき、やがて沈黙を余儀なくされる。沈黙の舞。徹底した"拒絶"を"態度"で見せつけてみせる。せめてもの意思表明。人生で幾度となく経験してきた、人間に対する幻滅や失望は、全てこの人と対峙した時に始まったと称して過言ではない。こちらから宣言し、距離をおいた時期もあったが、それでも、自分の結婚を機に、お互い多少なりとも相手に対し"寛容さ"を体得して来た、つもりではいた。言うまでもなく父は高齢だ。失礼ながら老い先長くはないだろう身に対し、今更あれこれ言いたくはない、鞭打ちたくはないという配慮も多少は働く。こう見えてちゃんと人の子です。だが、今回ばかりは歯止めが利かなかった。とある科白がトリガーとなり、売り言葉に買い言葉の舌戦。やがて、父の口から発せられた「お姉ちゃんも言っていたが、"お前には、感謝の気持ちや言葉がない"」なる言葉。それは、確実に"呪い"となった。というか、「人が〇〇と言っていた」なる類いの悪口、いと性質悪し。その後、母との葬儀でも色々あってから、姉に対して弟は得も知れぬ気まずさを抱き、以来連絡も途絶えがちである(こちらから連絡しないのが悪いのだが)。かくして、人間関係は意図せず、予期せず、こじれていく。

 それはそれとして、父(及び姉)の言葉には思い当たる節がある。こんな時、どんな顔していいのかわからないけれど、確かに、私は感謝の念(に限らんか? "お気持ち"全般??)を人に伝えるのが下手糞かもしれない。というか、出力の度合いが微妙にずれている(という自覚はある)。感謝の念を抱く、それをきちんと言語化し、相手に伝える。これはある種、日々の躾、教育、訓練……の問題でありまして、私も日常生活を送るに際し、人並み程度には躾けられ、教育を授かり、訓練を怠らずに生きて来たつもりです。相応の努力もしているつもりです。だが、それでも出力(効果)の違いはある。個々体の差は否応なしに生じる(これは他者からの感謝の念を"きちんと""素直に"受け取れるか否かについても同様)。いとも容易くそれらが出来てしまう人もいる("人たらし"など、その最たるものでしょう)。努力だけでは如何とし難い、埋められぬ溝、越えられぬ壁。それを我々は俗に"才能"と呼んだりします。とある事に対する才能の有無、それらは私という人間の、とある一つの側面に過ぎないにも関わらず、"人格"なるものに容易く紐付けられ"あの人はこれこれこういう人"という評価へと一足飛び。閑話休題。昔働いていたブラック企業で、傲岸不遜な社長が"メールの文末には必ず‘ありがとうございます’とつけろ"と口を酸っぱくして言っていたのを、冷ややかに眺めていたものです(というか"オメーが言うな"と鼻で嗤っていた)が、結婚後、妻から口を酸っぱくして“気持ちは言葉にしないと伝わらないよ!”と言われ続けて来たのが、今更ながらに痛切に感じられる、そんな年末です(でした)。そもそも他人の内心など判る訳ないのだから、感謝の念など1㎜も抱いていないにせよ形だけでもお礼を言っておけば、相手を不快にさせる事などそうそうないだろうし、"内気で口下手だけど、本当の気持ちを推し量って!"なんつー齢でないのも重々承知している。だが、常に、お礼(に限らず何か)を、言葉として発するタイミングを窺っている自分がいるのもまた事実だ。どんな顔して、真摯に言葉を告げたら良いのだろうと、妙な気負い、衒い、気まずさ、気恥ずかしさがあるのも、同様に事実だ。大仰すぎはしないか。失礼には当たらないか。案外向こうはどうでもいいと思ってるのでは。かえってご機嫌を損ねないだろうか……社会人大学 人見知り学部、絶賛留年中です。もしかしたらドロップアウトするかもしれません。妙な気の遣い方には右に出る者なし。その反動か、変な(時に重要な)とこで盛大にポカするのもご多分に漏れず。ああ、ウジウジ考えたりせずに、思った事は直ぐに言葉に出来る、豪放磊落、佳きも悪しきも等しく笑い飛ばせる、そんな人間になりたかったよ、俺は。この星の一等賞になりたいの俺は! そんだけっ!! これでも徒に齢を重ね、大分色々とどうでもよくなっては来たがな。さて、父の言葉に戻ろう。そう、色々思うところは確かにあった。刹那、無数の言葉が己の内で渦巻いた筈だ。だが、瞬時に言葉の取捨選択を行った。伝わらなければ、それはなかった事とほぼ同義だから、自分の伝え方が悪かったのだろうね。そう、父には告げた。割と冷静に。恐らく、父には何も伝わらないだろう、という凍てつくような諦念と共に。

 先日も、妻とちょっとした口論になり“その考え方、少しおかしいんじゃない!?”と言われた事があった(弾みで、“ああ、今、頭おかしいんですわ!!”と言い返したのは、少し洒落になっていなかったが)。でも、充分すぎるくらい判っています。私は、多分少しおかしい。だが、それを言い出したら、程度の差こそあれ、人間は揃いも揃って何処かしらがおかしい。私にはそう思えてならない。その癖、自分がまともである、我こそが正義なり、と強弁できる神経が、そうした神経を有する我が父のような存在が、私には些か理解し難い。そして往々にして、そうした人々は"寛容さ"には程遠い。だが、その事実を半ば諦念で以て受け止めるくらいには齢を重ねたつもりです。自分がおかしい、という事に対し、どれだけ自覚的であれるか。他人のおかしさを多少なりとも寛容な眼差しで眺められるか。その先にこそ、真の幸福があるのではないでしょうか(お布施でも募ってやろうか)。

 

 

今日も機嫌良くやる為のチェックリスト -真の由なき日々①

今日も機嫌良くやる為のチェックリスト 気が付けば1月も終わろうとしている。私はと言えば、ここ半月余り、"現場"からのヘルプ要請に伴う作業へのストレスが地味に蓄積し(さながらボディーブローの如し)、心の安寧が徐々に、しかしながら確実に、蝕まれ、乱れる、そんな日々でした。当然、新たに備忘録つける余裕なーし(未完成の下書きは多少あり)。別に金が産まれる訳じゃなーし。シコシコ文章綴るの、マジ面倒臭え。そう、我が人生でもう何度口にしたか分からない。「面倒臭え」 大事な事ほど面倒臭い、宮崎駿御大はそう仰っておりましたし、異論など毛頭ござんせん。しかし、いつ招集がかかるか、個人的な予定を入れていいのかどうかすら当日にならないとはっきりせず、UP IN THE AIR状態で過ごす日々を想像してくれ給へ。常に頭の片隅にタスクがチラつく状態。正直、LINE削除したろうかと考えた事は一度や二度ではない。取り敢えず、視界の端っこで通知サインがアピールしているが、しばし放置プレイでよろしいか。ちとアイス食べて荒ぶる魂を鎮めるので。うーん、冬のアイスはサイコー! ……さて、私もいい歳した大人なので、先延ばしは状況を悪化させる一方だという事くらい重々承知しております。意を決しLINEを開けば、言わんこっちゃない。"鉄人"から業務連絡。徒に情緒へと訴える事のない、この簡潔にして明瞭な文面。嫌いではありません。成る程、現時点での案件は4件と。処理に要するおおよその時間が瞬時に脳内で爆ぜる。そういう身体になっている。反射的に「……ダルっ」と、文句が唇から溢れ出す。パブロフの犬か。長女の口癖は、父にもしっかりと伝染りました。それだけ、これまでよりも長い時間、彼女と共に過ごせている証左でしょうか。

 さて、前述の業務連絡には当然罠がありまして、件数はあくまでも送信時の物。どこまでも白い雪のような あなたに降る夢の礫……ではなく、時間差で案件は滔々と降り積もっていくのです。かくも容赦なく。"駅近徒歩5分"という看板に偽りあり、さながら関所のように線路という名の大河を塞ぐ、開かずの踏切。よーく考えよー、下見は大事だよー。そんな訳で、現着即件数のGAPに悶絶、思考停止、からの、呪詛を吐き続けながら(に飽き足らず、一度椅子を蹴る)、しかし口ばかり動かしていても事態は改善しないので、泣く泣く手を動かす羽目と相成るのです。一日当りの拘束時間は決して長くはありません。しかし、塵も積もれば山となる。落ち着かない状況がここ半月ほど、間断なく続いておりました。往来する人間の多さ、車内でのクソどうでもいい会話、侵食されるパーソナル・スペース……お前ら、正気かよっ!? 不機嫌さは家庭でも継続・続行。当然、雰囲気もギスギスし始めます。よろしくない! お子様の生育環境として非常に健全ではございませんっ!! こんな時、おセックスのひとつでも(ひとつでも?)すれば、もっと他人に優しくなれ、戦争も無くなるのでしょうか(ですが、次女を抱っこするだけで、かなり落ち着くのは確かです。肌と肌との触れあい、大事っ!)。

 さて、こんな戯れ言を記せているという事実は、本日(1月30)、非常に精神的・時間的な余裕があるという事の表れでもあり、何故に斯様にも「面倒臭え」事を、敢えてやっているのかと申せば、私が機嫌良くやっていく為のチェックリストを作成しようと、不意に思い立ったからです。なんつったって、備忘録だかんな。てな訳で、以下、思いつくままに列挙。

 

□家族と食卓を囲む

□湯船に浸かる

□規則正しい暮らしを営む

□日付が変わる前には床に就く

□マッサージに行く

□年一で坊主にする

□歩きまくる(出来れば前俺未踏の路地裏を中心に)

□人混みを避ける(路地裏を、日陰を歩め)

□空を眺める(関東の冬晴れは本当に好き)

□最低限の文化に触れる(本、音楽、映画)

□高い所に上る

□高い所を見上げる

□読み終えた本の書店カバーを外す

□目覚めのコーヒー

□干し終えた洗濯物をしばし眺める

□敬して遠ざける

□自転車を買う(金をくれ)

股間の破れたジーンズを補修する(金をくれ)

□断捨離(長女の部屋をつくってやりたい)

□一部屋多い家に越す、もしくはトランクルームを借りる(金をくれ)

□欲しい物には躊躇せずに銭を投げる(金をくれ)

□孤独を愛でる為に、安普請、六畳一間のアパートを借りる(マジ、金をくれ)

□おろしたばかりの靴を汚す背徳感を味わう

□新品のシャツに袖を通す

□健康的な汗をかく

□優雅に振る舞う

□しばし佇む

□帰省し、友に、恩師に会う

□墓参りをする

□知らない土地へ行く

□海を見に行く

□風の歌を聴く

□木漏れ日を浴びる

雄大な雲に思いを馳せる

□朝日と夕日を眺める

□言えなかった想いを口にする

□時に感じては花にも涙を濺ぎ、別れを恨みては鳥にも心を驚かす

□忘れようと努めるのでなく、気づいたら思い出せなくなっている

□一瞬に永遠を見る

 

 神に感謝、キリストに賛美。

-11月14日

11月14日 本日は先日(11月8日)に紹介状を書いて貰った、CTの日。無論、初体験。医師の言いつけは忠実に守る一下僕として、早めに朝食を済ませ、服薬。水だけは飲んでも構わないが、あまり大量に飲まないようにというお達しの通り、時間までただひたすら自宅待機……出来る訳も無く、懲りずに映画を観に行くことに決定。無論赴く病院もまた人生初だが、Google様によると、(個人的には)充分散歩の範疇に収まる距離。映画館から直行しても、予約時間である15時半には充分、何なら多少時間が余る程度だなと瞬時に計算。一応義務教育受けたんで(何度目?)。

 という訳で本日は『オペレーション・フォーチュン』に決定。予告では矢鱈コメディ色強めというか、チームの凸凹っぷりが殊更に強調されていた気がするが、何気に、実に真摯に(これも何度目だ)作られた、スパイ・アクション映画ではないか。というか、G・リッチーは『コードネームU.N.C.L.E』という実に達者なスパイ映画を既にモノにしている。お話がお粗末にも程がある、何処かの「不可能を可能にする」シリーズ最新作より遙かにまともだ。マジで何時の日か『007』の監督候補に挙がっても、何なら任されてもいいのではないか(別にDisっている訳では無く、あのD・ボイルが一時であれ監督に就任した位なのだから)。J・ステイサムは相変わらずの安定感だし、H・グラントが『ジェントルメン』に引き続き、憎めない悪役を小気味よく演じている。というか、笑いの部分含めおいしいトコは、ほぼほぼこの人一人で掻っ攫っていってないか。ナイス・ポジションを手にしたものだ。兎も角、G・リッチー。私見では、『アラジン』以降、興行成績面で特に目立った所はないが、或いは今が絶頂期なのかも知れない。少なくとも、一線でコンスタントに作品を撮れている訳だし。後は『シャーロック・ホームズ』どうする? どうなった? 問題が残っているが。企画は生きているだろうけれど。

 かくして非常に満足しながら、その足で病院へと向かう。最寄り駅は何度か利用した事があるが、当病院の存在は今回初めて知った。所在地である某区は自分にとって鬼門で、以前自転車を有していた際に何度か走った時も、似たような街並み(というよりは住宅街)が続き、大体方向感覚が狂う。ここは基本に立ち返り、Google大先生の示す道筋を辿るが吉。にしても、今日は温かく穏やかな日だ。ここ最近急激に冷え込んだ所為か、"秋、すっ飛ばしていきなり冬かい、不愉快"的発言が"X(旧Twitter)"にて散見されたので。散歩するにはうってつけの日。話し相手も無く、時折iPhoneで道を確認しながら黙々と歩を進める。焦る必要もないので、途中コンビニに寄り、水を購入。チビチビ飲みながら、恐らくは人生で初めてだろう道の数々に己の足跡を刻んでいく。次第に汗ばむ身体。静かだ。そして、やはり散歩はいい。上京してからというもの、何時しか気分転換を兼ねた運動の手段は自転車に取って代わられてしまったが、思えば、悶々としていた(別にエロい意味では無い)思春期、よく家の傍を流れる川沿いの遊歩道を歩いたものだった。それは、地方都市住まいでありながら、我が家が車を所有していない事も関係していたかも知れない。繁華街に出るにせよ、家族で食事に出掛けるにせよ、公共機関を除けば、基本、移動手段は徒歩だった。家族5人で川沿いを延々と歩き、河口近くにあったステーキ・ハウスに食事に行った事を不意に想い出す。つけあわせの人参を子ども三人揃って残し、父親が不機嫌になった事含め(食べ物を残したり、粗末にする事を父は嫌った。現在進行形だが)、幸福な記憶だ。もうあの頃には決して戻れない、それもまた分かっている。

 想定通り、予約時間より大幅に早く、30分以上前に到着。失礼しました。病院名からてっきり、よく言えば非常に格式高い、悪く言えば古めかしく、見窄らしい建物を想像していたのですが、何の何の。緑豊かで広大な敷地内に聳え立つ、実に近代的な建物。すげー。独立行政法人(?)すげー! と、暫し見とれる。一歩足を踏み入れて見れば、これまた白を基調とした清潔感溢れる、広々とした受付+待合スペース。15時頃という中途半端な時間帯のせいか、広さとも相俟って、閑散とした印象。とはいえ病院名に違わず、患者の大半は高齢者。The Old。世界には、意図的であれ、何かの弾みであれ、片足突っ込んでみて初めて見えてくる、自分の知らない預かり知らぬ、関わり合う事のない無数の世界が存在しているのだ、と最早何度目か分からぬ気づき。半ば、地域の社交場と化しているのか、恐らくご近所さんか顔見知りなのか、あちらこちらで四方山話に花が咲き、さながら地域の社交場の様相を呈している。すみません、こんな、一見ピンピンとした新参者の若造(初老)が、と申し訳ない気持ちで受付を済ませ、うろうろするのも何なので、ソファに腰掛け、虚脱。うむ、しかし、主にメンタル面での激ヤバ期は明らかに脱した、でなければ、(目的があるとはいえ)ここ数日間、こんなにも意欲的に出歩く事など出来ない筈だ、と確信するに至る。勿論、油断大敵。今、自分が懸念しているのはフィジカル面だ。それも、身体内部の。だからこそ、紹介状まで書いて貰い、この場へと赴いている。

 そう待たされる事無く、受付で名前が呼ばれ指示を受ける。診察室○○番と言われるが、説明された経路は分かりやすく、目的地にすんなりと辿り着く。東大病院とかマジデカすぎて迷うからな。入り口脇のソファで待つ事数分。前の患者さんが出て来て、直ぐに名前が呼ばれる。待っていたのは比較的若め(といっても、自分と同い年くらいだろうか)のお医者さん。紹介状ですねーはいはい、みたいな流れから、これまでの経緯、症状などを報告。説明に関しては最早ベテラン(?)の域に達しているので、スムーズに終わる。分かりました、じゃあCT撮りましょうかー、みたいな感じであっさり診察終了。蝶の様に舞い、蜂の様に刺すが如し。軽すぎませんか? 若干、薄笑いな感じだったのも気になる。ああ、必要以上に大袈裟に騒ぎ立てる、心配性な患者さんだとでもお思いか? 重篤ではないと甘く見てませんか??(まあ、重篤だったらこんなにピンピンしとらんわな、そもそもが歩いて来られねーわな) だが! こちらは!! 真剣なんですよ!!! 老人ばかり診すぎて、感覚が些か麻痺してはおらぬか??? と内心思いながら、CT検査へと("画像診断室"とかっていう呼称でしたっけ、確か)。最初に更衣室で、着替えるように指示を受ける。服を着たままでもいいが、貴金属類はNGなので、外して下さいと言われ、うむ、では多分ダメだなと、結局着替える事に。いざ、入室してみると、あった。普段TVや映画でしか目にしないような例のブツ(装置)が。実物を目の当たりにし、一瞬だけ謎の感動を覚える。後、一台当りお幾ら万円でっしゃろか? と脳内の大阪商人が囁いている。じゃあ、そちらの台に横になって下さい。両手は上に。万歳するようなポーズで。そのまま5分程そのままの体勢で。全てはゼーレのシナリオ通りに。言われるがまま、為されるがまま(時折、息を吸って、止めて、吐いてー、と指示が入る)、あたしはまるで、朽ち果てた難破船。後、やはり天井は白かった。こうして、あっという間に、我が身体の内部を曝け出すという、いともたやすく行われるえげつない行為は、終了した。正直、拍子抜けした感は否めない。検査結果は1週間後に判明すると思います。通院されている病院へお送りするので、血液検査と併せて結果を確認して下さーい、お疲れさまでしたー。着替えて、再び受付、というかお会計コーナーに赴き、番号札を取り、計算を待つ。程なくしてディスプレイ上に自身の番号が表示され、自動精算機へ。いやー、高いっすねー、CT。なけなしの金、多めにおろして来といて良かったー、でも想像してたよりはマシかー、国民皆保険制度様様ですわー、しっかし、長生きしようと思ったら金かかんなー、マジで。と、あるかも分からぬ未来へと刹那思いを馳せる。とはいえ、事は済んだ。軽やかな足取りで病院を出て、その足で駅前の商店街へと向かう。朝から何も食べていないのだから、少し遅い昼飯でも、と商店街を物色するものの、ときめきなし。そのまま、軽やかに歩き続ける。物理的な意味でも、歴史的な意味でも長く、永く続く、活気ある商店街。それでも歩き続ける内に、次第に飲食店の数は減っていき、辺りは閑散とし始める。大体の帰り道は把握した。ここからはGoogle様のお力添えなくとも拙者単身参りまする、と途中から脇道に逸れ、住宅街へと足を踏み入れる。そう、秋だ。至る所に秋は存在していた。"ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた" それは静謐であり、様々な事の終わりを予感させながら、同時に色彩豊かで、生命力に溢れた、すばらしき世界でもあった。頬を撫でる涼やかな、心地よい風。午後の日差しに輝きながら、はらはら舞い落ち、路上を縦横無尽に踊る落ち葉。公園で遊ぶ子ども達の声。ふと、最近読む機会があった(労働の一環です)、河井 酔茗の"ゆづり葉"なる詩を想起する。

 

 子供たちよ。

 これは譲(ゆづ)り葉(は)の木です。

 この譲(ゆづ)り葉(は)は

 新(あたら)しい葉が出来ると

 入(い)れ代(かは)つてふるい葉が落ちてしまふのです。

 (中略)

 今、お前たちは気が附(つ)かないけれど

 ひとりでにいのちは延(の)びる。

 鳥のやうにうたひ、花のやうに笑つてゐる間に気が附(つ)いてきます。

 

 そしたら子供たちよ

 もう一度(ど)譲(ゆづ)り葉(は)の木の下(した)に立つて

 譲り葉を見る時が来(く)るでせう。

 

 見上げれば、蒼天。思わずスマホで何枚か写真を撮る。だが、切り取られたそれらは、自分の瞳に映るものには程遠い。あなたをリアリティの極限へと誘う、澄み切ったクリアな映像……、鮮やかな色合い……、息を呑む臨場感……、IMAX!(言いたかっただけ) 瞳に勝るカメラ無し、そして世界に勝る劇場なし。その劇場に於いて、時に演者として、時に観客として存在する自分。変わらず軽やかな足取りで歩みを進め、何を食べようかと思案しながらも、段々と遅い食事がどうでも良くなりつつある自分。何より、"The world is a fine place and worth fighting for."と久々に思えている自分。空を分断する高速道路を仰ぎ見ながら、西日の眩しさに目を細めながら歩みを止める事無く、やがて見慣れた道へと出る。普段遅延しまくっている電車が、轟音と共に踏切を通過して行った。踏切が開く。もう、大丈夫。この先は、誰の手も借りず、(比喩的な意味で)目を瞑ってでも、独りで帰り着ける。そう思う。

 だから私は、これを記した。

 そして人生は、続く。

-11月13日

11月13日 本日、半年に一度の次女の通院日。とある事情で、2歳の時に東大病院で手術を受けた後、定期的に経過観察を行っている。今のところ大きな問題も無く、すくすくと育ってくれているのは幸いであるが。通院の為に有休を取得した妻は、次女と8時過ぎには家を出る。昨日、一緒に行く? 帰りに上野動物園寄って来ようと思うんだけど、と言っていたので、考えとくわー(≒行けたら行くわ)と返事するも、爆睡かまして起床が遅かった所為で(言わずもがなだが、嘘の様な快眠の日々は継続中)、独り家に取り残された私は、妻の用意してくれたサラダを食し、服薬。ルーティンとしての洗濯と洗い物を終え、昨日やり残した"鉄人"宛てへの手紙をしたため、ゆうパックに書類共々入れ、梱包(って言い方で良いの?)、投函。さて、と本日の過ごし方を思案。ま、今から東大病院行ってもいいんだが、いまいち気乗りがしない。動物園には行きたかったが、果たして今の自分に午前・午後とずっと子どもと付き合う、体力的・精神的な余裕があるだろうかと、自問してみるも些か心許ない。ならばと、脳味噌を切り替える。しなければならない、ではなく、やりたい事をやる。宜しい、ならば思う存分やってやろうじゃないか。観られていない、観たかった映画、存分に観たろうやないかい!(と言いつつも、予め時間を調べ、目星をつけていた作品あり) 但し、今回は敢えて、二本立てにチャレンジしてみようと考えていた。ぶっちゃけ最大の理由としては、梯子するのに時間帯がぴったりな作品が二つあった、という事に過ぎないのだが、それとは別に、今回夜遅く、普段自分が働いていた頃とほぼほぼ同じ時間帯に帰宅をしてみて、自分の生活リズムや調子が狂うのかどうか確かめてみたい。そうした目論見もあった。言い訳がましいが、これもある種のリハビリである。念の為、動物園には寄るのかな? と妻にLINE。すぐさま、はい! という返事と一緒に二枚の画像が添付されてくる。沢山のご飯を目の前に、真顔でピースサインをキメる次女。ニコニコしながらパンダの像と並んで立つ次女。親馬鹿は百も承知とはいえ、可愛らしい。妻とも結婚前にデートでコビトカバの赤ちゃんを見に行った。長女が生まれてからも家族三人で行った。あの頃の長女も送られてきた写真の次女みたいに無邪気に喜んでいた。屈託の無い笑みを浮かべていた。パンダか何かのぬいぐるみを買ってあげた筈だ。今、あのぬいぐるみは何処にいってしまっただろう。もしかしたら大掃除か何かのタイミングで処分されてしまったやも知れぬ。あの頃の様な屈託の無い笑みを、長女が自分に対し浮かべる事は、最早ないだろう。成長とは変化する事。変化し続ける事。分かりきった事。次女も何時の日か父をウザがる、まではいかないにせよ、父に懐かなくなり、今日の出来事を報告する際に友達を下の名前で呼び捨てで呼ぶようになり、碌に返事をしなくなったり、返事だけはいっちょ前でもやるべき事をまともにやらなくなる。だからこそ時に、変わらない物が美しく、尊い物の様に思えてくる。やはり行っておけばよかったか、と刹那思うも、いや、ならばその機会を改めて作るだけだ、と考え直す。その為にも、今は回復に努めなくては。という訳で、今日は夜遅く帰る予定だけど大丈夫かな、と昼過ぎにLINEをすると、どうぞ(ハート)、挑戦ですね!! と温かなお返事。お言葉に甘えて、ネット予約を恙なく済ませる。序でに、出るべき物もきっちり出て、腹の調子も大分楽になった。後は、明日の検査で身体内にヤバい物が見つからなければ良いのだが。そうこうしている内に、妻と次女が帰宅。通院の結果について少しだけ話を聴く。これまでの経過観察では順調だったので半年に一度の頻度で済んでいたが、ここに来て来年から下手したら週1ペースで通う必要性が出て来るかも、生命に関わる話では無いが、成長に伴い、ある種のトレーニングは必要になるかもね、との事。働き方改革も必要ってか。良きにつけ悪しきにつけ、我が人生も転機を迎えているのかもしれない。

 まだ陽の高い、暖かな時間帯にいざ出陣。妻には夕飯は外で済ますから気にしなくて大丈夫だよ、と告げる。無論、薬は携行。相変わらずこういう事に対しては几帳面だ、俺は。最初に観るのは『正欲』。原作は朝井リョウ氏。氏の熱心な読者でもなく、自分と同世代の人間からどう評価されているかも分からないのだが(錚々たる受賞歴から、"世間一般的"な評価は想像に難くない)、少なくとも拝見した限りにおいて、氏の映像化作品は、どれも"成功作"と呼ぶに値するのではないか。本作に対し、何処かで"登場人物の思考や行動動機が近代的成熟に至っていない云々"(うろ覚え)なる評を見掛けたのだが、ならばこの作品に強く共感出来た自分は恐らくは、近代的成熟なるものとは程通い、未熟な、或いは幼稚な人間なのだろう。だが、世界には出会うべきして出会うタイミングというものが確かに存在していて、今自分のこの状態で、本作に出会えた事を単なる偶然として片付けたくは無い自分がいる。"必然"として私は本作に出会った。あらすじは敢えて紹介しないが、新垣結衣の発した最後の科白で、危うく嗚咽しかける所だった。真/偽、表層/内面の単純な二項対立では回収しきれない、揺れ動く人間の関係性や欲望。後、朝井氏の映像化された作品に共通しているのは、ある種のミステリ仕立てにもなっていて、物語が進むにつれ、人物像や物事の思いがけない側面が不意に浮上してくる。些か軽薄な物言いになるが、きっちり"エンタメ"としての機能も果たしている辺り、プロの仕事(当然だが)だと思う。是非、原作にも触れてみたい。そう、偶然/必然の問題で言えば、要は人間は見たい物しか見ようとしないし、理解したい物しか理解しないのと同様に、単に自分の周囲で起こった事の中から幾つかをピックアウトし、ある特定の事象に結びつけ、そこに"意味"を見出す、ひいては"物語"を拵える。たったそれだけの事だと理解しているつもりではある。だからこそ、時に人は、特売セールを告知するチラシの文字列から、平気で"宇宙からのメッセージ"やら"世界の真理"やらを読み取ってしまったりもする。目に映る、全ての事はメッセージ。母の死に話を戻す(という事は即ち、まだ心の何処かで拘り続けているという事でもある)。今でも覚えているが、彼女の死の前後にたまたま観た四作品『愛する人に伝える言葉』、『オットーという男』、『生きる LIVING』、『ザ・ホエール』、これら全てが主人公の死に纏わる話だった。別に人が死ぬ映画(に限らず物語)など珍しいものでもない。いや、むしろ体感的に、私が観る映画の大体7~8割程度の確率で、何らかの形で人は死んでいるのではないか。内容は余命幾許云々であったり、ド派手な爆死であったり、ゴミの様な大量殺戮であったりと、様々だが。それら四作品に描かれていたのは「"人を教え、導く"という事と関わり合う死」であったり、「"絶望"という象徴的な意味での死から、人々との交流を通じ甦った人間が、その果てに迎える物理的な意味での"死"」であったり、「後世の為に、遺された時間を費やす、名も無き市井の人間の死」であったり、「疎遠であった家族や、支えてくれた僅かなる周囲の人々、PCの画面越しでしか繋がる事のなかった人間に、己を曝け出し、伝えるべき事を伝え、果たすべき事("贖罪"と換言して良いかもしれない)を果たした上での"救済"としての死」等々だった。共通する事はある。限られた時間の中で己自身と、周囲の人間と真摯に向き合い、彼らに"贈り物(gift)"を遺していく事だ。母が癌である事は姉からのLINEで初めて知ったが、コロナ禍が災いし(文字通りの意味でもだ)、なかなか元気な内に帰ってやれなかった。娘達の誕生日が近くなると、必ず贈り物が届き、お礼の電話をかけがてら、それとなく「皆さん、変わりは無いですか?」と訊くと、決まって返って来る言葉は「みんな元気よー。」だった。母はそういう人だった。内心どの様な思いだったのか。それを慮るには自分の想像力は余りにも貧困だ。だが、確かに遺された物はある。極論すれば、"自分という存在"をこの世に遺してくれた事。それで十分だと心底思える。だからこそ、母の死の前後にこれらの作品に出会えたのは、自分の中では"必然"であったのだろう、とも思う。

 さて、続いては『ザ・クリエイター/創造者』。ネットなどで、矢鱈絶賛評を見掛けた(割に興行成績は伸び悩んでいる様だが)のだが、果たしてどうか。少し身構えて臨む。観賞後、真っ先に浮かんだのは(「『T2』から隔世の感あり」と「G・エドワーズなりの"ローグ・ワン"の雪辱戦、もとい落とし前(そして、内容面で充分成功している)」という事。『T2』のエンディングで"シュワちゃん(って、今の若人に意味通じるのかな)"演じるTー800の「何故、人間が涙を流すのか分かった。俺には涙を流せないが」なる科白があるが、本作に於いて、AIは普通に涙を流す(それは唯のプログラミングに因るものかも知れないし、そうした機能が備わっている必要性があるかどうかも疑問だが)。それでいて、人間そっくりの姿として作られている訳では無い。それは勿論、人間と機械との差別化を図る世界という設定が要請するものであり、同時にAIが当たり前の様に存在しているので、殊更に人間そっくりである(人間世界に紛れる)必要性も無いという事だろう。本作では、AIを拒絶する人間世界(西洋)が、AIを滅ぼそうと、人間とAIとが未だ共存を果たしている世界(東洋)と戦争を繰り広げている(だが、原因を作ったのは他ならぬ人間の側)、という状況が描かれている。ある種の人間にとって、AIは冷戦時同様、得体の知れぬ恐怖の対象だが、そうは捉えない人間も明確に存在し、人間の側でも""西洋/東洋"なる単純な二項対立の図式では無く)分断が存在している、という、時流に即したアップデート(80~90年代と2020年代では価値観、いや世界が異なるのだから、それは極々自然な事だ)。同時に、日々AIの進歩する現代社会において(私は"ド"がつく機械音痴だが)、嘗てより痛切に感じられるのは人間/機械の境界がより揺るぎ始めている事(だからこそ、両者の境界がより明確になる領域も出て来るのだろうが)。その象徴が前述したAIの流す"涙"ではあるまいか。我々が日々、思考し、喋り、綴り、行動する事の大半がある種のプログラミングに過ぎないのでは、と思う機会が増える様になった。微妙な差異はあるにせよ、決まった時間に決まった場所に行き、似たような業務をこなす……。日々、似たようなライフスタイルを繰り返し、SNSを開けば、ポピュリズムに則った、ウケそうな、それでいて似たりよったりな事ばかりが綴られ、感想が並び、感情を抱く。誰かの言葉をトレースし、或いは見聞きした言葉とほぼ同様の内容を、世界へと向け綴り、対面で誰かに対し話す。酒、たばこ、薬、洗脳……で簡単に"人格"(と私たちが信じている何か)は変化、時には破壊させられ、頻繁に見聞きする物に欲望、或いは嫌悪感を抱き……と列挙していけばキリがないが、つまり、私たちの思考形式、行動様式、何が愉しく、何が厭で、晴れていれば気分がアがる、雨の日は憂鬱……育ってきた環境が違うから好き嫌いはイナメナイ……いずれにせよ、そう大きく逸脱するものってないじゃん。たまに"社会通念"とやらの規範から逸脱する様な行為や欲望を抱く人間が出て来るけど、それって機械でいうとこのバグに過ぎんでしょ、みたいな話だ。間違いなくこうした事は遙か以前からもっと綿密に議論されて来た筈だろうけれど、特にSNSが普及し、自分も参画するようになって、そう感じる機会が非常に多くなった。そう、AIの進化によって、これまで様々な形で、散々語られてきた、唯の"絵空事"として享受してきた事が、急速に"実感を伴う現実"になりつつあるのだ。この備忘録だって、結局は私の脳味噌なるよく判らんプログラムによって組み立てられた、見聞きしたものをトレースし、つぎはぎして不格好に再構成した、ただの文字列に過ぎぬ。そして、明らかに言語化に於いて、ある側面では機械が優位に立ちつつある(今のAIが行っている事は、結局人間の蓄積した膨大なデータを瞬時に検索、構成しているだけで、微妙なニュアンスを汲む点ではまだ人間に敵わないだろうが、そうしたレヴェルに到達しない人間が、少なからず存在するのもまた事実だろう)。後、これも上手いなと思ったのは、死亡直後の人間の脳をSCANし、意識がある直前の記憶(何分ぐらいかは忘れたが、なるべく新鮮な内が良い)をAIにインストール出来るという設定。これまでも似たアイデアは無数にあっただろうが、重要なのは、そうした記憶を基にAI自体が死亡した人間と同様の感情や行動を自律的に行える、という点だ。なので、例えば、自分の死体を目の当たりにし、今喋っている"自分"とやらは既に人間としての機能を停止している事に気づき、動揺する、といった描写が生まれる。恐らくは、我々が、例えばアルバムに記録されていた画像データや音声データを何の気無しに見た瞬間、不意に当時の記憶や感触までも想起する事が起こるような、"人間らしい"とされる行為がAIにも十分可能な世界線の話。だから、クライマックスは、ある意味『T2』以上に歪でありながら、同等に感動的でもあった……何て事を、観た直後の自分が考えた訳ではない。当時を振り返っての後付けに過ぎない。明日、自分の記したこの記録を見て、幾らでも手直し出来る自信がある(というか、現に今している)。〆切りも何も無い、果てのない推敲。生き物には寿命という〆切りがあるのが、せめてもの救いだろう。時刻は21時過ぎ。大分街を歩く人の数も減った。この季節なのに、この心地よい夜風は一体全体何だ、と思いつつ、また一つやれる事が増えた、という謎の満足感と共に帰宅。確か、博多天神か何か食べて帰ったような気がする。無論、替え玉(無料)バリカタで。緩慢なる自殺は続く。

-11月12日

1112(日 生憎の冴えないお天気。起床早々に近所のコンビニへレターパックを購入しに行くも、au payでは購入できません、とつれないお返事。なんでやねん、猫も杓子もキャッシュレスちゃうんか、と思いながら財布を取りに家へと戻る、やや不機嫌なサザエさん。無事に購入。資料を種類毎にクリアファイルにまとめて、さて手紙をしたためようと思い、便箋って我が家にあったっけ? そう、妻に尋ねてみると、多分あったと思うお返事。だが、数分後に表れたのは可愛いイラスト付きの、誰がどう見ても幼児向けの物。流石にこりゃ無理だ、白便箋どっかなかったかな、と思いゴソゴソ棚を漁るも、見つからず。私、どうせ買い物の用事があるから序でに買ってくるよ。百均でいいよね、なる妻の申し出に素直に甘える事にする。であれば、本日は何をしようかという事になるが、昨日仕事をやり遂げた(遅すぎるのだが)感に浸ったのか、或いは最近歩き回り過ぎだった所為もあってか、多少は身体を休めるかと、基本家でゴロゴロ。お外に遊びに行くにも微妙な天気なので、家族皆ゴロゴロ。早めの昼食を済ませると、買い物に行って来るね、と独り妻は出掛け、残った三人で思い思いの時を過ごしながらお留守番をしていると、突然ピンポンがなる。お届け物か、と思い、はい、とインターホンを出ると、「○○ですけど(良く聞き取れなかった)、ののかさん(長女の仮名)いますか?」と、明らかに女の子の声。きっと同級生だろう。「いますけど、お約束ですか?」「いえ、特に約束はしてないんですけど」「わかった、ちょっと待ってて下さいね」、そう言って一旦切り、「何か名前よくわかんないけど、友達来てるよー!」と大声で呼ぶ。ほぼほぼヘッドホンをしており、余り人の話を聞いていないので。えー、なんだろう、髪の毛ボサボサだし、部屋着なんだけどー、とぶつくさ言いながら玄関扉を開ける長女。暫くの問答の後、「遊びに行く事になった!」と宣言し、急いで支度を調え、飛び出していく。"脱兎の如く"とは正にこの事。かくして次女と二人、家に取り残された私。iPhoneを弄ったりしていると、妻から"こんなんでいい?"と、便箋の画像付きでLINEが届く。無問題。念の為、長女が友達と遊びに行った、携帯は持たせた、連絡はあった?とLINE。連絡は無いそうだが、GPSで場所は確認したとの事。そうだった、謝罪のお手紙を書かなくては。これこそが"Do not improvise."案件ではある。さて、何と書こうか。恥の多い人生を送ってきたので、お詫びしたい事は山ほどあるのだが、冗漫になりすぎてもあれだ。"鉄人"の性格を鑑みるにあんまり、そうウェットな感じにせず、必要事項とお詫びの言葉とを簡潔に伝えた方が良いのだろうか。いずれは、直接お邪魔して正式に謝罪しなくてはならないし。いや、しかし検査結果如何では最悪の事態も充分に想定し得るしだな。兎に角、書き出し。そう最初のセンテンスが肝要だ。そこが決まれば、後は自分の感覚上スラスラと言葉がのってくる筈。この指だけが覚えているってか。正気と狂気の境の長いトンネル抜けたら、何処に辿り着くんだ、俺は?……と、グダグダ考えていても仕方ないので、率直に自分の気持ちを綴る事にする。所詮下書き、構えていても仕方ない。裏紙に赤ペンで書き始めると、あっという間に言葉はのった。一気呵成に書き上げた後、推敲。ふと、小学一年時の自分を想い出す。担任が、どういう訳か(良い意味で)自分に目をつけ、結果放課後に独り残され、読書感想文を矢鱈と書かされた(多分、作文コンクールに出すのが目的だったのだろう)。ま、正直、厭で厭で堪らなかった。友達と早く遊びたかったし、家に帰ってアニメを視たかった。興に乗ってすんなり書き終えられば良いのだが、なかなか書く事が思いつかない時は、放課後の教室(確か音楽室や視聴覚室とかではなかったか)で独り、校庭で遊ぶ子ども達の声に耳を澄ませたり、ぼんやりと外を、特に空を眺めたりしていた。担任はなかなかのスパルタっぷりで、書き上げるまで解放してくれなかったので、最後の方はやっつけ、或いは勝手に気持ちをでっち上げたりして、何とか原稿用紙のマス目を埋めた。今にして思えば、あの時の経験があったからこそ、文章を綴る事にそこまでの抵抗感は抱かなくなった今の自分はある(その後、まともに文章を書けない、そもそもが書く意欲の無い人間を、数多見て来た、本当に)。無論、手書きで何かを綴る機会もめっきり減ってしまったが。何がどうなるかなんて分からない。彼には感謝している。まだお元気でいらっしゃるだろうか。

 推敲を終え、一息ついていると、妻が帰宅。裏紙一杯に書かれた下書きを見て、結構長いねー、そう言いながら、便箋を差し出してくる。ありがとう、と受け取り、そのまま清書すれば良いものを、申し訳ございません。私の充電は切れてしまいました。やる気スイッチ何処にあるんだろー? 早く書きなよ、とやや呆れ顔の妻に、明日やるよー、と気の無い返事。明日やろうは、馬鹿野郎ってな。そんな事を考えながら。

-11月11日

11月11日 きちんと明け方まで眠れる事は、最早デフォになりつつある。我、人間の尊厳を回復しつつあり。さて、心なしか冷え込んだ感のある朝。というよりはこれまでが異常であったのか。大方の人間にとっては休日だろう本日。シフトの関係で妻は出勤日に当り、私と長女の分の昼食(炒飯)を支度し、早々に出勤。次女は保育園に預ける。私は、少し読書熱に火が点いたのか、積ん読のままだった本の続きに手を出した。長女は例によって、午前中ゴロゴロ(というかiPad弄って爆笑していた、勉強らしき事も少しはしていたのか……な?)、昼食を食べ終えると、友達と遊ぶ約束をしているとの事で、独り外出。さて、家に独り取り残され、読書にも少し飽きて来たので、薄味(妻の食事は大抵薄味だ。悪い意味ではない。寧ろ健康的)の炒飯を口に運んでいる内に、妻からLINE。仕事が終わったので、渋谷に寄って買い物してから、次女をピックアップして帰宅するとの事。長女もいつもの調子で夕方まで帰って来るまい。夕焼け小焼けで日が暮れてーのサイレンが合図だ。さて、夕方まで何をするか。最近歩きまくっているので多少は身体を休めた方が良い気もするし、ちょい寒いからあんまり外出したい気分でもない。奥さーんっ! いよいよ、エロ動画サイトの出番ですよーっ!!……てな気分でもないのだよなあ。誰かが"X(旧Twitter)"で呟いてたけど、確かに三大欲求の中で性欲、別に生命に関わらないんだよな。そりゃ、繁殖するには必要不可欠だけど、俺の場合もう繁殖、ほぼほぼ済んだしな。蟷螂だったらば、用済みでとっくに喰われとりますわ。

 そう、俺にはやるべき事があった。何を今更かもしれない。しかし、最低限託された事はやらなくては。以前と比べ遙かに気力・活力が漲っている今なら、出来る。やってやれる。廃人同然だった頃に一瞬手をつけかけて、一瞬で頓挫した課題の数々。あれらを何が何でもやらなくては。これは"~しなければならない"ではない。やりたい事だ。今の自分にとって、必要な事だ。再び、乱雑に纏められた書類を整理し直す。大丈夫、久々に握る赤いボールペン。不安になり、思わず要らない裏紙に試し書きをする。あ、い、う、え、お。小学一年生か。うむ、いけそうだ。どうもダイニングテーブルの椅子だと落ち着かないので、次女がお絵描きの時に使っている小さな机(要は四角い卓袱台)に用紙を一枚広げ、ソファクッションに腰掛け、身を乗り出すようにして赤ペンで文字を書き込んでいく。トムよ、ペンを取れ。確かにいつもより時間は多少掛かっているが、今の自分にはつい数日前まで皆無だった"根気強さ"が、確かにある。一枚、また一枚、時折休憩を挟みつつ、仕上げていく。次第にリズムが生まれる。みんな、どんどんアゲてこー!! そうやって、俺をノラせてくれ。一つ一つ、出来る事から、着実に。千里の道も一歩から。そうして、物事は少しずつ片付いていく。あろうべき姿へと成って行く。Slow but Steady.大分、外が暗くなって来た頃に妻が次女を伴って帰宅。卓袱台に向かっている自分を見て、おー、張り切ってんねー。そう一言。おうよ、と返事。次女が書類を弄くり回しそうなので、これはパパの大事なお仕事だから、と断りをいれ、TVで彼女お気に入りの(さっぱり分からん)YouTube動画を見せる事にする。いつもは喧しく鬱陶しいだけだが(後、iPhoneで散々お世話になっている自分の事は棚上げするが)、この時だけはマジ感謝。それから程なくしてMission Accompplished. 妻に一言"終わったよ"と告げる。我が脳内のディレクターが、いやー、今のシーン、凄い良かったよー、と言ってくるが、無視。頑張ったねー、偉いエラい、と妻から頭を撫でられた。後は、明日にでもコンビニでレターパックを買って、お詫びのお手紙を同封し、"鉄人"に送ろう、そうしよう。久しぶりの達成感と共に家族で食卓を囲む。後は、風呂に入って、爆睡。