-以下、備忘録

ご笑覧下さい。笑えねーけど。

-11月14日

11月14日 本日は先日(11月8日)に紹介状を書いて貰った、CTの日。無論、初体験。医師の言いつけは忠実に守る一下僕として、早めに朝食を済ませ、服薬。水だけは飲んでも構わないが、あまり大量に飲まないようにというお達しの通り、時間までただひたすら自宅待機……出来る訳も無く、懲りずに映画を観に行くことに決定。無論赴く病院もまた人生初だが、Google様によると、(個人的には)充分散歩の範疇に収まる距離。映画館から直行しても、予約時間である15時半には充分、何なら多少時間が余る程度だなと瞬時に計算。一応義務教育受けたんで(何度目?)。

 という訳で本日は『オペレーション・フォーチュン』に決定。予告では矢鱈コメディ色強めというか、チームの凸凹っぷりが殊更に強調されていた気がするが、何気に、実に真摯に(これも何度目だ)作られた、スパイ・アクション映画ではないか。というか、G・リッチーは『コードネームU.N.C.L.E』という実に達者なスパイ映画を既にモノにしている。お話がお粗末にも程がある、何処かの「不可能を可能にする」シリーズ最新作より遙かにまともだ。マジで何時の日か『007』の監督候補に挙がっても、何なら任されてもいいのではないか(別にDisっている訳では無く、あのD・ボイルが一時であれ監督に就任した位なのだから)。J・ステイサムは相変わらずの安定感だし、H・グラントが『ジェントルメン』に引き続き、憎めない悪役を小気味よく演じている。というか、笑いの部分含めおいしいトコは、ほぼほぼこの人一人で掻っ攫っていってないか。ナイス・ポジションを手にしたものだ。兎も角、G・リッチー。私見では、『アラジン』以降、興行成績面で特に目立った所はないが、或いは今が絶頂期なのかも知れない。少なくとも、一線でコンスタントに作品を撮れている訳だし。後は『シャーロック・ホームズ』どうする? どうなった? 問題が残っているが。企画は生きているだろうけれど。

 かくして非常に満足しながら、その足で病院へと向かう。最寄り駅は何度か利用した事があるが、当病院の存在は今回初めて知った。所在地である某区は自分にとって鬼門で、以前自転車を有していた際に何度か走った時も、似たような街並み(というよりは住宅街)が続き、大体方向感覚が狂う。ここは基本に立ち返り、Google大先生の示す道筋を辿るが吉。にしても、今日は温かく穏やかな日だ。ここ最近急激に冷え込んだ所為か、"秋、すっ飛ばしていきなり冬かい、不愉快"的発言が"X(旧Twitter)"にて散見されたので。散歩するにはうってつけの日。話し相手も無く、時折iPhoneで道を確認しながら黙々と歩を進める。焦る必要もないので、途中コンビニに寄り、水を購入。チビチビ飲みながら、恐らくは人生で初めてだろう道の数々に己の足跡を刻んでいく。次第に汗ばむ身体。静かだ。そして、やはり散歩はいい。上京してからというもの、何時しか気分転換を兼ねた運動の手段は自転車に取って代わられてしまったが、思えば、悶々としていた(別にエロい意味では無い)思春期、よく家の傍を流れる川沿いの遊歩道を歩いたものだった。それは、地方都市住まいでありながら、我が家が車を所有していない事も関係していたかも知れない。繁華街に出るにせよ、家族で食事に出掛けるにせよ、公共機関を除けば、基本、移動手段は徒歩だった。家族5人で川沿いを延々と歩き、河口近くにあったステーキ・ハウスに食事に行った事を不意に想い出す。つけあわせの人参を子ども三人揃って残し、父親が不機嫌になった事含め(食べ物を残したり、粗末にする事を父は嫌った。現在進行形だが)、幸福な記憶だ。もうあの頃には決して戻れない、それもまた分かっている。

 想定通り、予約時間より大幅に早く、30分以上前に到着。失礼しました。病院名からてっきり、よく言えば非常に格式高い、悪く言えば古めかしく、見窄らしい建物を想像していたのですが、何の何の。緑豊かで広大な敷地内に聳え立つ、実に近代的な建物。すげー。独立行政法人(?)すげー! と、暫し見とれる。一歩足を踏み入れて見れば、これまた白を基調とした清潔感溢れる、広々とした受付+待合スペース。15時頃という中途半端な時間帯のせいか、広さとも相俟って、閑散とした印象。とはいえ病院名に違わず、患者の大半は高齢者。The Old。世界には、意図的であれ、何かの弾みであれ、片足突っ込んでみて初めて見えてくる、自分の知らない預かり知らぬ、関わり合う事のない無数の世界が存在しているのだ、と最早何度目か分からぬ気づき。半ば、地域の社交場と化しているのか、恐らくご近所さんか顔見知りなのか、あちらこちらで四方山話に花が咲き、さながら地域の社交場の様相を呈している。すみません、こんな、一見ピンピンとした新参者の若造(初老)が、と申し訳ない気持ちで受付を済ませ、うろうろするのも何なので、ソファに腰掛け、虚脱。うむ、しかし、主にメンタル面での激ヤバ期は明らかに脱した、でなければ、(目的があるとはいえ)ここ数日間、こんなにも意欲的に出歩く事など出来ない筈だ、と確信するに至る。勿論、油断大敵。今、自分が懸念しているのはフィジカル面だ。それも、身体内部の。だからこそ、紹介状まで書いて貰い、この場へと赴いている。

 そう待たされる事無く、受付で名前が呼ばれ指示を受ける。診察室○○番と言われるが、説明された経路は分かりやすく、目的地にすんなりと辿り着く。東大病院とかマジデカすぎて迷うからな。入り口脇のソファで待つ事数分。前の患者さんが出て来て、直ぐに名前が呼ばれる。待っていたのは比較的若め(といっても、自分と同い年くらいだろうか)のお医者さん。紹介状ですねーはいはい、みたいな流れから、これまでの経緯、症状などを報告。説明に関しては最早ベテラン(?)の域に達しているので、スムーズに終わる。分かりました、じゃあCT撮りましょうかー、みたいな感じであっさり診察終了。蝶の様に舞い、蜂の様に刺すが如し。軽すぎませんか? 若干、薄笑いな感じだったのも気になる。ああ、必要以上に大袈裟に騒ぎ立てる、心配性な患者さんだとでもお思いか? 重篤ではないと甘く見てませんか??(まあ、重篤だったらこんなにピンピンしとらんわな、そもそもが歩いて来られねーわな) だが! こちらは!! 真剣なんですよ!!! 老人ばかり診すぎて、感覚が些か麻痺してはおらぬか??? と内心思いながら、CT検査へと("画像診断室"とかっていう呼称でしたっけ、確か)。最初に更衣室で、着替えるように指示を受ける。服を着たままでもいいが、貴金属類はNGなので、外して下さいと言われ、うむ、では多分ダメだなと、結局着替える事に。いざ、入室してみると、あった。普段TVや映画でしか目にしないような例のブツ(装置)が。実物を目の当たりにし、一瞬だけ謎の感動を覚える。後、一台当りお幾ら万円でっしゃろか? と脳内の大阪商人が囁いている。じゃあ、そちらの台に横になって下さい。両手は上に。万歳するようなポーズで。そのまま5分程そのままの体勢で。全てはゼーレのシナリオ通りに。言われるがまま、為されるがまま(時折、息を吸って、止めて、吐いてー、と指示が入る)、あたしはまるで、朽ち果てた難破船。後、やはり天井は白かった。こうして、あっという間に、我が身体の内部を曝け出すという、いともたやすく行われるえげつない行為は、終了した。正直、拍子抜けした感は否めない。検査結果は1週間後に判明すると思います。通院されている病院へお送りするので、血液検査と併せて結果を確認して下さーい、お疲れさまでしたー。着替えて、再び受付、というかお会計コーナーに赴き、番号札を取り、計算を待つ。程なくしてディスプレイ上に自身の番号が表示され、自動精算機へ。いやー、高いっすねー、CT。なけなしの金、多めにおろして来といて良かったー、でも想像してたよりはマシかー、国民皆保険制度様様ですわー、しっかし、長生きしようと思ったら金かかんなー、マジで。と、あるかも分からぬ未来へと刹那思いを馳せる。とはいえ、事は済んだ。軽やかな足取りで病院を出て、その足で駅前の商店街へと向かう。朝から何も食べていないのだから、少し遅い昼飯でも、と商店街を物色するものの、ときめきなし。そのまま、軽やかに歩き続ける。物理的な意味でも、歴史的な意味でも長く、永く続く、活気ある商店街。それでも歩き続ける内に、次第に飲食店の数は減っていき、辺りは閑散とし始める。大体の帰り道は把握した。ここからはGoogle様のお力添えなくとも拙者単身参りまする、と途中から脇道に逸れ、住宅街へと足を踏み入れる。そう、秋だ。至る所に秋は存在していた。"ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた" それは静謐であり、様々な事の終わりを予感させながら、同時に色彩豊かで、生命力に溢れた、すばらしき世界でもあった。頬を撫でる涼やかな、心地よい風。午後の日差しに輝きながら、はらはら舞い落ち、路上を縦横無尽に踊る落ち葉。公園で遊ぶ子ども達の声。ふと、最近読む機会があった(労働の一環です)、河井 酔茗の"ゆづり葉"なる詩を想起する。

 

 子供たちよ。

 これは譲(ゆづ)り葉(は)の木です。

 この譲(ゆづ)り葉(は)は

 新(あたら)しい葉が出来ると

 入(い)れ代(かは)つてふるい葉が落ちてしまふのです。

 (中略)

 今、お前たちは気が附(つ)かないけれど

 ひとりでにいのちは延(の)びる。

 鳥のやうにうたひ、花のやうに笑つてゐる間に気が附(つ)いてきます。

 

 そしたら子供たちよ

 もう一度(ど)譲(ゆづ)り葉(は)の木の下(した)に立つて

 譲り葉を見る時が来(く)るでせう。

 

 見上げれば、蒼天。思わずスマホで何枚か写真を撮る。だが、切り取られたそれらは、自分の瞳に映るものには程遠い。あなたをリアリティの極限へと誘う、澄み切ったクリアな映像……、鮮やかな色合い……、息を呑む臨場感……、IMAX!(言いたかっただけ) 瞳に勝るカメラ無し、そして世界に勝る劇場なし。その劇場に於いて、時に演者として、時に観客として存在する自分。変わらず軽やかな足取りで歩みを進め、何を食べようかと思案しながらも、段々と遅い食事がどうでも良くなりつつある自分。何より、"The world is a fine place and worth fighting for."と久々に思えている自分。空を分断する高速道路を仰ぎ見ながら、西日の眩しさに目を細めながら歩みを止める事無く、やがて見慣れた道へと出る。普段遅延しまくっている電車が、轟音と共に踏切を通過して行った。踏切が開く。もう、大丈夫。この先は、誰の手も借りず、(比喩的な意味で)目を瞑ってでも、独りで帰り着ける。そう思う。

 だから私は、これを記した。

 そして人生は、続く。