-以下、備忘録

ご笑覧下さい。笑えねーけど。

-11月6日

116日月) 二週間ぶりの心療内科。妻は仕事なので、心療内科に独りで向かうのは今回が初となる。生活はといえば、相も変わらず。アプリに記録されているカロリー消費から判断するに、4~6時の間に三回徘徊した痕跡あり。そういえば、朝を待つ間、肉体労働の日々を思い出していた。シフト制だったその現場は、A帯(8時~17時)、B帯(11時~終業まで)の二つに分かれていて、なるべくバランス良く組まれていたのだが、私が辞める直前には人手不足もあり(それでも一切の容赦なく、毎月誰かしか辞めていく!)、最早そうした区分は完全に崩壊していた。完全週休二日こそキープ出来てはいたものの、連日8時から終業(それも終電ギリギリ)まで、何て事はザラな環境だった。22時台に上がれたら、ラッキー!と喜ぶレベルだったから、完全に感覚が麻痺していた。因みに今だから言うが、休憩は昼の1時間のみ。勿論、自分で時間帯を選べる訳では無く、少し落ち着いたな、という頃合いを見計らって、指示に従い順番に休憩をとるという算段だった。それでも私が辞める最後の方は、いよいよ回らなくなり始め、休憩時間は45分に短縮されるという、常軌を逸した、労基まっしぐら特級案件となっていた。それはさておき、8時始業となると、移動時間から逆算した上でなお、ある程度余裕を持った行動を心がける様にしていたので(タイマーセットしていても疲労困憊の余り寝過ごしてしまうとか、曲がり角で食パン咥えた可愛こちゃんと衝突してしまうとか)、必ず6時に起床する様にしていた。そこから、洗顔、歯磨き、夏だったら水のシャワーを浴び、身なりを整え、準備を終えると、コーヒーを飲みながら、私はよくリビングから外を、夜明けを眺めていた。夏場であれば、この時間はすっかり明るい、遠くに複数棟建ち並ぶマンション(タワマンとまでは言わないが、恐らく合計すれば2~300戸は入っているのではないか)が朝日に徐々に染められて行き、最終的には鮮やかに輝く、希望に満ちた壁となる様をただただ見つめていた(教科書によく載っていただろう、谷川俊太郎氏の"朝のリレー"なる詩を思い出す)。OK、バトンはしっかり受け止めたぜ。但し、俺は若者じゃないし、交替で地球を守るチンケな歯車の一つとして、汗水垂らして働いて来るからよ。冬場はどうか。言うまでも無く、外は未だ真っ暗だ。寒さに少しだけ震えながらいつも通り支度を調え、コーヒーから立ち上る湯気を、頬杖をつき少し眺め、チビリチビリと飲む。まだ寝ている妻子(その頃はまだ、次女はいなかった)に、そっと"行って来ます"と囁く。時にはおでこにお出掛けのキスをして(我が家は皆(当社比で)、おでこが広い)。外に出て、現場に向かうための最寄り駅まで歩く頃、漸く東の空が明るくなって来る。既に世界は動き始めていて、少なからず人が路を急ぎ足で歩いていた。喫煙スペースに屯する、会話を交わす事も無く紫煙をくゆらせる人々。早朝から現場へと向かう地下鉄は既に混雑していて、誰も彼もが微妙に不機嫌そうで、疲れた顔をしながら「降ります」、たったその一言すらも発さぬまま、オフィスの集中する駅に到着すると、競い合う様にして一斉に降りていく。ここから更に乗り換えがあったりするのだろうか。ハローもグッバイもサンキューも言わなくなって、こんなにもすれ違ってそれぞれ歩いてゆく。改めて思う。大人になればなるほど、簡単な一言を、小さい頃であれば素直に言えていただろう言葉を、何故、口に出来なくなるのか。何故、混雑した電車で日経新聞を広げて読まなくてはならないのか。何故、リュックを背負ったまま立たれると、奥に詰めたくても邪魔で詰められないという簡単な事に気づけないのか。何故、乗降者口に挙って立とうとするのか、すみっコぐらしか、貴様らは。それとも、扉が開くや否や一歩でも早く駆け出すためのポジション確保か。だったら西宮神社の福男選びにでも参加してこい。まあ、そんな事はどうでもいい。兎も角これからの季節、夜明け前が一番暗い。そして、未だ自分は夜明け前を待ち続ける状態のままだ。いや、そもそも夜明け本当にやって来るのか。或いは夜が明けて目にした世界が、それまで自分の見知っていた世界と一変していたとしたら。そんな事を考えながら、余裕を持って(身体面での余裕など無いのに)、妻と、登園する娘と、三人一緒に家を出る。エントランスで妻と別れ、娘を保育園に送るも、三連休挟んで久しぶりの登園にナーバスになったのか、妻と別れると直ぐに「ママと行きたかったー!」と泣き出す始末。せやなー、分かるよー、じゃあ明日はママと行きたいって、ママが迎えに来たら相談してみたら、と宥め賺すも泣き止む気配無し。埒があかないので、抱っこして登園。日々成長しているとはいえ、随分と重くなった。もしくは、グッタリしっ放しな己の、急速な体力の衰えがそう感じさせるのか。結局泣き止まないままに、先生にお預けすると、お昼寝用のベッドシーツをセットし、いざ出陣。なるべく余裕を持って、早めに出発したつもりだが、果たして、結果はどうか……はい、めっちゃ余裕でした。当然の事ながら平日の朝の街は、休日よりも人の数は少なく、気分的にも、歩くのにも楽。こうした用事でも無い限り好んで行こうとは、変わらずに思えないが。予約時刻の10分以上前に到着。勝手が分からず、入り口のカーテンをめくって入院(文字通り、病院に入る事)したら、受付の方が、あれ?という顔で、10時に開院しますので階段の方で並んでお待ち下さい、との事。成る程、入り口を出てみれば、既に階段の踊り場近くまで10人程度の行列が出来ている。取りあえず、階段を下りて最後尾につくも、開院を待つ間にも、私の後ろに並ぶ人は増える一方。皆、見たところお元気そうに見えるのだが、それは私とて同じ事。誰一人として言葉を発する事無く、ただただ開院するのを待ち続ける。時間になり、カーテンが上がった。いざ開幕。受付で保険証と診察券を提示し、座ると直ぐに(当たり前だが)前回と同じ心理士さんがやって来て、部屋まで案内してくれた。二週間経過して、自分にどのような変化が出てきたかを端的に語る。食欲は変わらずある。色々と欲も出始めて来た。昨日は家族とお出掛けをし、帰りに食べたかった蕎麦も食べた。歩いてみた感じでは、明らかに前回通院時よりは身体がしっかり動くと実感。しかし、不眠は相変わらず。生活サイクルはさして変化は見られず。不安も尽きない……等々。今、ご自身がなさりたい事って何かありますか? と訊かれ、一刻も早く以前の様に規則正しい生活を送り、しっかり眠れるようになりたいです。正直、今も家に帰って眠れるものなら寝たいです、と迷わず即答。前回と比べ、多少"欲"というか、ご自身の中でやりたい事が出てきたのはいい傾向だと思います。この調子で、焦らずに様子を見ていきましょうね、なる結論に至り、前回よりも多少早めにカウンセリングは終了。相変わらず、対象に安心感を抱かせるのには長けている。私もかくありたし。前回同様、待合スペースで暫く待った後、名前が呼ばれ診察室へと通される。現状(主に不眠)を伝え、幾つかの遣り取りを経た後、引き続きお薬を継続という結論に着地。やはり、そう劇的にはハッピーにはなれんという事か。その後、前回(10月23日)に受けた二種類の検査結果を返却される。五段階評価で選ぶテストの検査結果は"中程度抑うつ状態"。当院に来院される抑うつ状態の患者さんの平均値です。基本的に治療が必要な状態のことが多いので、「投薬治療」「カウンセリング」「生活状況の改善」などを含めて、医師とご相談いただければ幸いです。ブラブラブラー。まあ、そりゃあれだけ"かなりあてはまる"にチェック入れたんだから、結果には大いに満足、ではないな、殊更疑問は無い。意外だったのは、もう一方のお絵描きするヤツの結果だ。"自信の面においてバランスがとれていると考えられます。コミュニケーションスキルが比較的高く人間関係を作ることが上手い傾向にあると考えられますただそのために相手気をつかってストレスに感じている可能性がありますエネルギーはあふれていますが時に変化に対応しづらい面があると考えられます"……あのー、どこぞの、どなた様のテストかは存じ上げませんが、お目々が節穴でいらっしゃいますか? 銀座の母でも同じような事言うんじゃないでしょうか?? 反射的に"本当ですか? あんな下手くそな絵で??"なる愚問を、医師に投げ掛けてしまった。

 二週間後、再度来院の予約とお会計、薬の受け取りを済ませ、そのまま昼前には帰宅。妻が用意していった昼食を摂り、服薬。ソファベッドに横になり(もしかしたら小一時間ほど昼寝はしたかもしれない)、そうして変わり映えのしない日が過ぎて行く。こんなにも外は明るく、活気に満ち溢れているというのに、一体私は何をやっているのか。無為にゴロゴロする内に、今日も夜はやって来る。密やかに、そして無慈悲にも。