-以下、備忘録

ご笑覧下さい。笑えねーけど。

-11月7日

117 映画を観に行こう、不意にそう思い立った。相変わらず不眠と深夜徘徊は続いている。頭もクリアとは言い難い。しかし、やりたい事をこれから少しずつ、焦らずに増やしていきましょうね、そう昨日、心理士さんも仰って下さったではないか。幸いな事に時間ならたっぷりある。ならば、先ずは映画館に足を向けてみよう。問題は、果たして辿り着けるかどうかという話だが。読書や音楽を聴くことも、多少は好きだ(という話は確か以前にもした)が、音楽はある意味生活音の一部として、何かをしながら(例えばこうして記録を綴っている間にも)流しっ放しにして享受出来る。読書は、本(私は古いタイプの人間なので、本に関しては"物"として所有したい派だ)を持ち運びさえすれば、時や場所をほぼほぼ選ばず、読み始める事も、途中で中断する事も、斜め読みするのも、じっくり時間をかけて読み進めるのも、全て自由だ。自分次第だ。裏を返せば、能動性や主体性が強く求められる類いの娯楽だと思う(少なくとも私にとっては)。だから、何か気分が乗らない、条件が整わないと、なかなか本を開こうという気になれない。家族が増えた事や、加齢、多忙になった事……等が、そうした自身の傾向に拍車をかけたきらいがある。好きなら、四の五の言わずやるんだよ、そりゃあそうだろうな、超人は。だが私の様な凡人のリソースには限界があるんだわ。嗚呼、地主になりてー(以下略)。さて、映画はどうか。不思議な娯楽だと思う(二度目の、少なくとも私にとっては)。先ず、劇場観賞に際しては、能動性・主体性が強く求められる。どの作品を、何時、何処で、誰と(これに関しては私の場合、ぼっちで観る機会が圧倒的に多いので大して問題は無い)、観賞するのかを決定し、ネット予約するのならば、自分の好みの席が空いているかを確認し、すかさず予約しなくてはならない。予約・決済が完了したら、後は所定の日時・場所に何が何でも向かわなければならん(何で、映画って払い戻し制度、ないんすかねー)。人と一緒に観るという事になり、待ち合わせが必要となれば、更に時間調整など面倒くさい。その代わり、一度、座席に腰掛けたら最後、後は暗闇を切り裂く光の中で繰り広げられる、悲喜こもごものドラマやら何やらに身を委ねさえすればいい。何だったら寝てしまったって構わない。鼾が五月蠅くて近くに座る人間に起こされるかもしれない。兎に角、決まった上映時間の中で、ドラマは語られ、そして決まった時間に必ず終わる。そういう意味では、大変能動的なメディアであるとも言い得る。なので(音楽はともかくとして)、半ば強制的に自分に縛りを掛ける事さえ厭わなければ、読書より遙かに楽であるのだ。まあ、これは人によりけりだろう。大学時代の知り合いで、映画には絶対独りでは行けない。でもファミレスだったら余裕、という人間がいたが、私とは真逆のタイプだ。でも、どうかな。今なら独りファミレスも余裕かもな。仕事をするなら、普通のカフェよりは圧倒的にいいだろう。食べ物、飲み物、種類は豊富だし、机も広々としていて長居するには適してそうだし。独り焼き肉よりは断然良さそうだ。焼き肉は絶対大人数でワイワイやりながら食するのが愉しい。久しく行っていないな、焼き肉。

 話を、或いは時を、戻そう。映画を観に行こう。そう、切実に思った。観たいと思っている映画は十本の指では足りない。既に、フィンチャーの『ザ・キラー』が、都内数カ所の劇場で限定公開されている。Netflixで配信が開始(11月10日)されたら、何時劇場公開が終わってもおかしくはない。急がなくては。という訳で、翌日(11月8日)の『ザ・キラー』午後の回を恐る恐る予約する。まさか、映画の事前予約するだけの事に、こんなにも勇気が必要な日が我が身にやって来ようとは思いだにしなかった。無事、求める座席の予約完了。プリペイド・カードの残高が一気に減るのをiPhoneのアプリにて確認。俺の余命みたいだな。緩慢なる自殺。兎に角、明日の予定は確定した。午前中に内科に行って、再度血液採取・診断の後、その足で映画館に向かう事にしよう。そうしよう。では今日は何をしよう。という訳で徒歩圏内の映画館で観たい作品、時間帯をざざっとチェック。徒歩圏内といっても、自分の場合片道1時間以内なら散歩のようなものですが。思案の末、人間復帰計画(?)第一作目は『ドミノ』(R・ロドリゲス監督)に決定。上映時間も短めだし、リハビリの第一歩としてはなかなかに良いチョイスではあるまいか。主演がB・アフレックという事もあり、特に前情報も仕入れていないので、まだ自分がマトモに生活出来ていた頃に観た予告の限りでは、同じアフレック主演の『ペイチェック 消された記憶』みたくディック的世界観なのかしらん、何か二人乗りでバイク・チェイスしてたし、という印象を受けたが、果たしてどうか。いや、それ以前に俺、ちゃんと行けるのか? 行けたとしても起きていられるのか?? 不安は募るばかり。

 とはいえ、流石は妙な所で真面目な私という人間、俗物。時間と場所という縛り(目標)を設けた以上、後は向かうのみ。きちんと身だしなみを整えて、しかも以前の様に、着いたは良いがやっぱ無理! という状態になるのを危惧し、予定時刻の1時間前には到着する始末。当然開場時間までやる事なし。運動も兼ね平日の街を徘徊。服屋や靴屋をひやかす。買いたいな買えるかな? 買いたいけれど買えないな。金も気力も足りないな。でも今買いたいー! でも、働く人になりたいかは微妙なんだよなー、やっぱ地主(以下略)。そんな事を考えている内に上映時間が迫って来たので、劇場へと足を運ぶ。久しぶりの緋色の座席に腰掛け、念の為、上映開始5分前に再度トイレに行き、体内の水分を搾り出すという念の入れよう。さて、後は寝ないかどうか。映画泥棒ならぬ時間泥棒にならなければ良いが。

 結論。目茶苦茶面白かった。俺の頭がマトモでないからかも知れないが(若しくは加齢)、不覚にもクライマックス、少し泣いてしまった。どちらかと言えばS・キング的な世界観であり、『インセプション』の進化形、そこから更に捻りを加えたという印象も受け、何よりも映画とは即ち“夢≒仮想現実”である事についての自己言及的なお話でもあって、それらをロドリゲスのインディペンデント精神で以て、創意工夫を凝らし見事に成立させている事にも泣けた。ネタバレしない程度に言えば"一体、いつから○○だと錯覚していた?"という話でもあり、エンドクレジットの中途で"これ、領域展開及び押し合いの話じゃん"とも思った。是非続編を作って欲しいが、興行成績的に恐らくは叶わぬ夢だろう。それもまたよし。大変満足して、徒歩にて帰宅。これでまた一つ欲望を自分は取り戻す事が出来たのだという事実を噛み締めながら。