-以下、備忘録

ご笑覧下さい。笑えねーけど。

-11月10日

11月10金) 引き続き良く眠れる。無論、睡眠導入剤の力を借りてではあるが、熟睡、いや爆睡の域。これまでの積もりに積もった睡眠負債を一気にチャラにしようとしているのだろうか。そう甘くはないと思うが。これまでの傾向から察するに、夜中に一度は目覚めた筈だが、まるで記憶無し。そういえば、ここ数日、夢の記憶も無い。意識を取り戻した時には、既に8時を回っていて、妻と長女が楽しみにしている朝ドラが始まっていた。のろのろと起床するもまだ眠い。寝足りない。兎も角、これまでにない、目に見える形での変化。妻も喜んでくれている模様。軽い朝食を摂り、服薬。娘を保育園に送り、洗い物完了、恙なく洗濯物を干し終え、さて何をするか、と思案する。本日は、特別な用事(仕事も含め)なし。用事とは本来作る物であるが。よし、今日は昼に散歩がてら、また蕎麦を食べに行こう。その序でに書店に立ち寄ってみよう、と思い立つ。書店に赴くなど何時振りの事か。明らかに自分は変わりつつ、いや本来の状態に戻りつつある。少しだけ自信(自尊心と称しても良いか)が漲って来るのを感じた。

 向かうは、良く利用するチェーン店である立ち食い蕎麦屋ではなく、もう少し先にある某私鉄沿線の駅前にある、肉蕎麦が有名なお店。えっちらおっちら、いつもの道を歩く。ここも何度通っているか分からない。太麺の蕎麦(ジャンルで言えば"田舎蕎麦"だろうか)に大量に盛り付けられた豚バラ肉。斜め切りされたネギの食感も抜群。色々とトッピング出来るのも嬉しい。好みはキャベツ+キムチ。夏場は冷やしもやっているが、"冷やし"を名乗る割に、若干温い(キンキンの冷水で締める訳では無さそう)のはご愛敬。えっちらおっちら、あ、えっちらおっちら、足取りは軽く、お昼時をずらした11時半頃に到着するも、意外にお客さんがいる。が、回転も速く、そう待たずに順番が来る。この時期にしては例年より温かい日が続いているが、流石に冷やしは終了した模様。肉蕎麦(温)+キムチを注文。昔はこれでワンコインで済んでいたのが有難かったのだが(余計な小銭が増えないので)、流石に物価高騰には勝てず値上げ。お父さんは哀しいです。そう、後この店の魅力は、路麺店(まさかこの単語を使う日が来ようとは)なので、駅前広場のベンチに腰掛けながら食べられる事。炎天下、影一つ姿形のない(ってなんか矛盾した表現の様にも思うが)ベンチに腰掛け喰らう冷やしは、夏男にはマジ堪らんっす。温いけど。

 という事で、またやりたい事を一つやってのけた。では、この勢いでもういっちょ!と、来た道を引き返して、某大型書店に久々に足を運ぶ。飲食のバイトや肉体労働していた頃は有楽町の店舗が近かったので、しょっちゅう利用していたのだが、恵比寿に勤務する様になってからというものな、わいは通勤途中である新宿は紀伊國屋書店さんに浮気する様になってしもた(これで店、大体バレますね)。通勤経路、いと侮り難し。いとも容易く我々のライフスタイルに影響を及ぼしてくる。例えばコロナ禍で通勤路から姿を消し、以来利用頻度ががっくり落ちた、若しくは殆ど利用しなくなった飲食チェーン店など腐るほどある。その逆も又しかり。だからこそ、わざわざ足を運んででも定期的に通いたくなる店(特に飲食)は貴重だ。重ね重ね申し上げるが、並んでまで飯を食べたくはないけれど。毎度の事だが話が逸れた。久々に書店内を物色する。うむ、愉しい。本屋は徘徊するだけで愉しい。時が経つのを忘れるほどに。暇潰しには持って来いだ。そういった感触からも、自分の内に欲望が戻りつつある事を実感。何か一冊購入して帰ろうと思うも、私に潤沢な予算がある訳でも無し、且つ、話題になっていたなと思い出して、"訂正する力(朝日新書) 東 浩紀著”を購入。徒歩にて帰宅後、一気に読み耽る。氏の全著作に目を通した訳では勿論ないが、リーダビリティーの面において、恐らく"ゲンロン戦記 「知の観客をつくる」(中公新書ラクレ)"に比肩するのではなかろうか。読みやすい、分かりやすい=良書という訳では必ずしもないが、そもそもがまえがきにて確か「語り下ろしを書籍化云々」とあったように、完全に廃人と化していた時期(1024日11月1日)、眠れぬままに東氏と様々な知識人との対談を、散々YouTubeで聴きまくっていたせいか、大分話が内容が重複しており、それも理解に一役買ってくれたのだろう。俺、頭悪ぃから、難しい事は分かんねぇけどよー(という、クソな前置きはさておき)、非常に勇気づけられる内容だった。どん底から漸く少しだけ這い上がる兆しが見えて来た、今の自分にとっては。

-11月9日

11月9 奇跡(という程大袈裟なものではない)が起きた。朝まで寝る事に成功した。いや、正確に言えば明け方近くに一度目が覚めた(恐らく、4時を少し過ぎた位だっただろう)。これまでであれば、そこから二度寝は不可能な筈であるし、事実私もiPhoneで時間を確認した後、何かしらをYoutubeで再生した筈である。しかし、神よ! 気づけば、私は二度寝に成功したのだ!! 次に目覚めた時は7時半。既にTVで某国営放送のニュースが流れていて、ソファベッドの横に置かれた"廃人へと誘う"ソファには次女が、蓑虫のように掛け布団に包まり、沈み込んでいた。台所に目を遣れば、妻が朝餉の支度中。起き上がり、ちゃんと朝まで眠れたよ! まだめっちゃ眠いけど!!と、思わず妻に報告する。クララが立ったよ!! 本当、良かったねえ、と妻も嬉しそう。少しずつ、色々な物を取り戻しつつあるのだと、実感した。やはり、映画の存在が大きい。と言うより、映画を観に行く事で、生活にリズムが出来た(まだたったの二日だが)。当然、街に出る訳だから、スウェットにパーカー+サンダル姿(流石にもうTシャツ+短パンではない)で以て、深夜徘徊をしてみたり、ふらっと近くのコンビニに行くのとは勝手が異なる。それ位の判断が出来るほどの常識が、自分には辛うじてあった。きちんとシャワーを浴び、見苦しくない程度に髭を剃り、香水を纏い、髪のセット……は必要なかった(坊主だから)、職質受けない程度には身なりを調える、こうした準備、一連の動作が、ある種の儀式として機能する。モードが切り替わる。加えて、所定の時間・場所に赴くという目標が出来る事で、自ずとメリハリがつく(昼寝が出来なくなるという事も大きい)。且つ、移動は原則徒歩なので、映画の行き帰りは身体を動かす事を意識し、敢えて遠回りをしたり、今まで歩いた事のないルートを選択する等、一定時間連続して歩く事を心がける様になった(これは11月3日の家族での外出が契機となった)のも大きい。そして、何より、リズムが構築された事で、風呂に入る、湯船にしっかり浸かり、身体を温める事にも意識が向くようになった。軽い筋トレも再開する。鉄アレイが重い。というか如実に二の腕が細くなっている。大分身体が鈍っている事を痛感。結論。映画こそ、我が神。F○CK DA SYSTEM! かくして勢いづく私、調子に乗り、本日も映画観賞をする事に決定。とはいえ、まだちゃんと電車に乗られるかどうか些か心許ない。故に、徒歩圏内である事と上映時間(散歩も鑑みた時に、日中が有難い。陽が沈まぬ内に帰宅したい)、以上二つの条件から、本日は『SISU/シス 不死身の男』に決定。更に、調子に乗って上映前に、結婚以来10年以上通っている湯麺屋に赴く。本来なら少し早く出れば良かったのだが、グダグダしていて、結局お昼時に。案の定20分程並ぶ事になる(極狭小且つカウンター席のみなので)。並んで飯を食う事を、いや、そもそも並ぶという行為をこの世で忌み嫌う事ワースト5にランクインさせている私だが、今日ばかりは別。何、時間はたっぷりある。気長に待つさ、という気持ちに不思議となれた。これも又、良い兆しであろうか。入店後、お目当ての"月替わり季節の湯麺(大)"を注文。ここは小、中、大と同一料金なのも嬉しい限り。程なくして着丼。果たして今の自分が大を食べきれるのか、内心不安だったが、ツルツルイケる。野菜もたっぷりで免罪符にもなる。神よ、許し給え。上の野菜からガシガシ食べ始め、途中で麺を天地返し。食べ進めながら胡椒→すりおろし大蒜→お酢と加えて行き、無事完食。うーん、今日も美味しかった。大将、ごっつあんです(と脳内にて、某サイトのウザいコメント欄的感想が自動再生)。とはいえ、流石に腹パンで、ムーミンパパに逆戻り状態。まだ、映画まで時間があるので、公園のベンチに腰掛け、暫し休憩した後、昼下がりの街を散策。序でに某銀行のATMに邪魔な小銭を投入。無論、投入しすぎてATMをストップさせる様なゲスい真似はせず。

 さて、『SISU/シス 不死身の男』。これもやはり予告詐欺で(それこそが映画観賞の醍醐味なのだが)、物凄く真摯に作られたジャンル映画であると感じた。画面一杯に広がる荒涼たるフィンランドの風景が圧巻で、そりゃアメリカの広大な風景と夕陽見せられたら叶わんよな、と感じるのと同様のスケール感(実際のロケ地は知らんけど)。そういや、ムーミンフィンランド出身(?)だよな。そして敵であるナチがとことん非道(といいつつ、所謂画一的なモブキャラではなく、個性もきちんと持たされ、描き分けられている)、且つこのご時世にドイツ訛りの英語を喋る辺りも、往年のハリウッド映画を意識しているかの様で好感が持てた。何より、主人公の不死身さが(例えば、『ダイ・ハード』シリーズが回を重ねる毎に、マクレーンの不死身っぷりがお約束を通り越し、半ばギャグの域に昇華されるのとは異なり)、異様である。銃弾や地雷の破片が肉に食い込み、裂け、尋常ならぬ血を流しながら、ボロ雑巾の様になり、しかし、死なない。常に死んだかのような、生死を超越した、崇高さを湛えたような存在とも異なる。不撓不屈、生きる事への強い意志、いや、そんな表現では温い。時に偶然にも助けられつつ、己の為すべき事を果たし、世俗的なる目的を遂げ、そして元の世界へと戻っていく。最小限に留められた台詞(過去や背負った業も効率的な処理によって描かれる)。行動原理も至ってシンプル。繰り返しになるが真摯にして、立派な活劇。チャプター仕立てであったり、クライマックス近くで、それまで散々辱めを受けただろう女俘虜達が銃を携え、横一列でナチス兵に歩んでいく辺り、勝手ながらタランティーノ味(主に『イングロ』)を感じたりもした。後、ネタバレにはならないと思うが、犬映画でもある。そして、犬は死なない。馬は悲惨な死に方をするが。この映画において、一切の動物に危害は加えられておりません。フィンランドとドイツ、ソ連第二次世界大戦下における複雑な関係性も知る事が出来た。大変勉強になりやす。高校の世界史教科書では、ここまで知る事は出来ない(大学受験レベルの必要最低限な知識のみを求めるのならば)、やはり人生に必要な事は、映画館で学ぶものだ、と満足し、帰路に着く。無論、少し遠回りをして。妻には"18時前には帰宅します"と、念の為LINEにて連絡を入れる。冗談抜きに、失踪したと思われても困るので。どんどん陽が沈むのが早くなっていく。所謂マジックアワーと呼ばれる時間帯を、黙々と、入り組んだ路地を歩き回り、温かな夕餉が待つであろう家へと向かう。昼に湯麺(大)を食した割には、随分と腹が減った。これが己の健康の証となれば良いのだが。

-11月8日

11月8 (水昨日の映画観賞が(つまり日中ずっと起きていた)奏功したのか、いつもより少しは長めに寝られた筈である(記憶が定かではないが、少なくとも深夜徘徊の記録は無い)。恐らく、夜中には目覚め、そこから二度寝こそせぬにせよ、いつものようにYouTubeを流しっ放しにして聴いていたり、リビングで手持ち無沙汰にしていたのだろう。しかし、少なくとも以前の様な、じっとしていられない、いても立ってもいられない、という感覚は軽減されて来た様にも思える。"心と身体の調子を良くするお薬"の効果が表れてきたのか、はたまた、自身にとって、映画こそが最良の特効薬なのか。はてさて。とはいえ、睡眠不足であり、満足感を得られていない、という事実に変わりは無し。とまれ、ささやかながら家事手伝いをし、家人が出払った家で、暇潰しに録り溜まっていた番組を幾つか観賞・消去し、午前をやり過ごしながら、午後イチ上映の『ザ・キラー』待機。昨日の経験から、劇場鑑賞への不安は大分払拭された。何より平日の街は休日と比べ人が少ないのが、本当に有難い。観賞後、その足で内科へ向かうので、お薬手帳を持つのも忘れずに(診察券と保険証は最初から財布に入っている)。夏以外の季節で唯一有難いのは、上着を羽織る機会が増えるので、その分ポッケが増える事。ポケットの中にはお薬手帳一つ。かくして、他に必要なのはせいぜい財布、iPhone、目薬程度(鍵は未だ無し)。全てをポケットに仕舞い、手ぶらにて出発。結局、余裕を持って出てしまい早めに着いてしまったが、劇場自体が複合施設内にあるの為、暫しレストラン街を散策。ここにやって来るのも久しぶりだ。単に余り用事がないからだが、一年振り位ではなかろうか。大分店が入れ替わっているな、という印象を受ける。まあ、テナント料も馬鹿にならんだろうしな。にしても、ほんに世知辛い世の中やで。

 さて、そんな訳『ザ・キラー』。キレッキレなフィンチャーを堪能。後で予算(推定1億8,500万米ドル)を知り、愕然とするのだが、一体全体何処にそんな金かかったのか。ド派手な爆発、大量のエキストラ動員、構想ウン十年的なお話でもないでしょうがよ。いやいや完璧主義者のフィンチャーの事、誰も気にしない細部まで徹底的に弄くり回してるに違いない。映画ブログ書いている訳でもないし、考察厨は無数にいるだろうから、詳細は彼らに譲るとして、つまりは、どれだけ合理性を追求し、実現しようと試みても結局は(時に、自分でも思いがけず、想像もしない形で)非合理的な事をしでかすのが人間だろ、そもそもが我々人間という存在自体が、不合理、いや総じて不条理な訳だし。だから、何が"コスパ"、"タイパ"じゃ、ボケが、人間である以上、譲れぬものが確かにあるのだ、という話であろうと思う。後は、主人公が己に課すルールにある"Do not improvise(即興はなし).”が、今の自分に刺さった。臨機応変でない=頭を使っていない、工夫が足りない、融通が利かない、だからダメだ、的な風潮には本当に辟易する。息苦しい世の中だ。無論、主人公は最終的には、自らそれを破っていく訳だが。しかし、結局システムそのものからは逃れられない、そんな微妙な不穏さを漂わせながら(いや、実の所、己を律しなくてはならぬそうした"世界=システム"に戻る(隷属する)事を内心望んでいるのではとすら思わせながら)、映画は幕を閉じる。いともあっさり終わったり、なかなか終わら(れ)なかったり、人の生き死にはよく判らんと改めて思う。自身の斯様な状況下では殊更に。後、あれだ。敢えて言及は避けるが、某監督の某国営放送での密着ドキュメンタリーで、クライマックスの格闘演出時に「殺陣にしか見えない。殺し合いをして欲しいんですよ!」と宣うシーンがあったが、本作中盤の肉弾戦は、それはもう見事な"殺し合い"だった。それをきっちり見(魅)せるのが演出ってヤツなのでは? 個性やスタイルの問題で、別に某監督にケチをつける訳ではないけれども。

 かくして、静かなる興奮を胸にその足(文字通りの意味)で、内科へと向かう。前述した通り(10月23日)、血液と尿の再検査今回は前回よりも精密に検査して数値を出すので一週間ほど時間が必要である。診断時に、背中に紅斑らしきものが幾つかある、上半身の背中右が攣るような感じがたまにある(但し、これまでの人生で前屈時に手が、というか指が一度も床についた事が無い程度には私の身体は硬いので、もしかしたらその所為もあるかもしれません、肩凝りも酷いですし、とは告げる)、たまに右腰にチックと針で突いたような刺激を感ずる……等々気になる事を幾つか相談する。じゃあ、CT撮って視て貰おうかね。紹介状書くよ、とお爺ちゃん先生。薬は前回と同様の物を処方。その後、別室にて採血。それから検尿。しかし、先刻排出してから大して時間も経っていない為、念の為に水をがぶ飲みするも極少量しか出ない。改めて、紙コップ内の尿色を見ると、想像以上に濃い。一ヶ月程前に受けた健診の尿色はこの様な感じではなかった。厭な予感がする。ハン・ソロで無くともそう言いたくなる。後はCTの予約、という事になり、最短で11月15日(水の15時からに決定。なるべく朝食は早めに済ませて、その後は何も食べないように、水は飲んでもいいですよ、との事。場所はよく分からんが、何、Google様のお助けがあれば楽勝というもの。それはそうと、CTってよくよく考えれば初体験だな。映画では矢鱈お目に掛かる気がするけど、と思いながら帰宅。『ザ・キラー』を思い出しながら、心の中でもう何度目か分からぬ言葉を唱える。"常に最悪を想定しろ"と。勿論、我々の陳腐な想像力を時に軽々と越えていくのが現実であるのだが。

謹賀新年

 明けましておめでとうございます。

 今年こそは、自身の精神・肉体ファーストで、穏やかに暮らしていきたいと、改めてそう思いました。

 皆様におかれましても、佳き一年でありますよう。

-11月7日

117 映画を観に行こう、不意にそう思い立った。相変わらず不眠と深夜徘徊は続いている。頭もクリアとは言い難い。しかし、やりたい事をこれから少しずつ、焦らずに増やしていきましょうね、そう昨日、心理士さんも仰って下さったではないか。幸いな事に時間ならたっぷりある。ならば、先ずは映画館に足を向けてみよう。問題は、果たして辿り着けるかどうかという話だが。読書や音楽を聴くことも、多少は好きだ(という話は確か以前にもした)が、音楽はある意味生活音の一部として、何かをしながら(例えばこうして記録を綴っている間にも)流しっ放しにして享受出来る。読書は、本(私は古いタイプの人間なので、本に関しては"物"として所有したい派だ)を持ち運びさえすれば、時や場所をほぼほぼ選ばず、読み始める事も、途中で中断する事も、斜め読みするのも、じっくり時間をかけて読み進めるのも、全て自由だ。自分次第だ。裏を返せば、能動性や主体性が強く求められる類いの娯楽だと思う(少なくとも私にとっては)。だから、何か気分が乗らない、条件が整わないと、なかなか本を開こうという気になれない。家族が増えた事や、加齢、多忙になった事……等が、そうした自身の傾向に拍車をかけたきらいがある。好きなら、四の五の言わずやるんだよ、そりゃあそうだろうな、超人は。だが私の様な凡人のリソースには限界があるんだわ。嗚呼、地主になりてー(以下略)。さて、映画はどうか。不思議な娯楽だと思う(二度目の、少なくとも私にとっては)。先ず、劇場観賞に際しては、能動性・主体性が強く求められる。どの作品を、何時、何処で、誰と(これに関しては私の場合、ぼっちで観る機会が圧倒的に多いので大して問題は無い)、観賞するのかを決定し、ネット予約するのならば、自分の好みの席が空いているかを確認し、すかさず予約しなくてはならない。予約・決済が完了したら、後は所定の日時・場所に何が何でも向かわなければならん(何で、映画って払い戻し制度、ないんすかねー)。人と一緒に観るという事になり、待ち合わせが必要となれば、更に時間調整など面倒くさい。その代わり、一度、座席に腰掛けたら最後、後は暗闇を切り裂く光の中で繰り広げられる、悲喜こもごものドラマやら何やらに身を委ねさえすればいい。何だったら寝てしまったって構わない。鼾が五月蠅くて近くに座る人間に起こされるかもしれない。兎に角、決まった上映時間の中で、ドラマは語られ、そして決まった時間に必ず終わる。そういう意味では、大変能動的なメディアであるとも言い得る。なので(音楽はともかくとして)、半ば強制的に自分に縛りを掛ける事さえ厭わなければ、読書より遙かに楽であるのだ。まあ、これは人によりけりだろう。大学時代の知り合いで、映画には絶対独りでは行けない。でもファミレスだったら余裕、という人間がいたが、私とは真逆のタイプだ。でも、どうかな。今なら独りファミレスも余裕かもな。仕事をするなら、普通のカフェよりは圧倒的にいいだろう。食べ物、飲み物、種類は豊富だし、机も広々としていて長居するには適してそうだし。独り焼き肉よりは断然良さそうだ。焼き肉は絶対大人数でワイワイやりながら食するのが愉しい。久しく行っていないな、焼き肉。

 話を、或いは時を、戻そう。映画を観に行こう。そう、切実に思った。観たいと思っている映画は十本の指では足りない。既に、フィンチャーの『ザ・キラー』が、都内数カ所の劇場で限定公開されている。Netflixで配信が開始(11月10日)されたら、何時劇場公開が終わってもおかしくはない。急がなくては。という訳で、翌日(11月8日)の『ザ・キラー』午後の回を恐る恐る予約する。まさか、映画の事前予約するだけの事に、こんなにも勇気が必要な日が我が身にやって来ようとは思いだにしなかった。無事、求める座席の予約完了。プリペイド・カードの残高が一気に減るのをiPhoneのアプリにて確認。俺の余命みたいだな。緩慢なる自殺。兎に角、明日の予定は確定した。午前中に内科に行って、再度血液採取・診断の後、その足で映画館に向かう事にしよう。そうしよう。では今日は何をしよう。という訳で徒歩圏内の映画館で観たい作品、時間帯をざざっとチェック。徒歩圏内といっても、自分の場合片道1時間以内なら散歩のようなものですが。思案の末、人間復帰計画(?)第一作目は『ドミノ』(R・ロドリゲス監督)に決定。上映時間も短めだし、リハビリの第一歩としてはなかなかに良いチョイスではあるまいか。主演がB・アフレックという事もあり、特に前情報も仕入れていないので、まだ自分がマトモに生活出来ていた頃に観た予告の限りでは、同じアフレック主演の『ペイチェック 消された記憶』みたくディック的世界観なのかしらん、何か二人乗りでバイク・チェイスしてたし、という印象を受けたが、果たしてどうか。いや、それ以前に俺、ちゃんと行けるのか? 行けたとしても起きていられるのか?? 不安は募るばかり。

 とはいえ、流石は妙な所で真面目な私という人間、俗物。時間と場所という縛り(目標)を設けた以上、後は向かうのみ。きちんと身だしなみを整えて、しかも以前の様に、着いたは良いがやっぱ無理! という状態になるのを危惧し、予定時刻の1時間前には到着する始末。当然開場時間までやる事なし。運動も兼ね平日の街を徘徊。服屋や靴屋をひやかす。買いたいな買えるかな? 買いたいけれど買えないな。金も気力も足りないな。でも今買いたいー! でも、働く人になりたいかは微妙なんだよなー、やっぱ地主(以下略)。そんな事を考えている内に上映時間が迫って来たので、劇場へと足を運ぶ。久しぶりの緋色の座席に腰掛け、念の為、上映開始5分前に再度トイレに行き、体内の水分を搾り出すという念の入れよう。さて、後は寝ないかどうか。映画泥棒ならぬ時間泥棒にならなければ良いが。

 結論。目茶苦茶面白かった。俺の頭がマトモでないからかも知れないが(若しくは加齢)、不覚にもクライマックス、少し泣いてしまった。どちらかと言えばS・キング的な世界観であり、『インセプション』の進化形、そこから更に捻りを加えたという印象も受け、何よりも映画とは即ち“夢≒仮想現実”である事についての自己言及的なお話でもあって、それらをロドリゲスのインディペンデント精神で以て、創意工夫を凝らし見事に成立させている事にも泣けた。ネタバレしない程度に言えば"一体、いつから○○だと錯覚していた?"という話でもあり、エンドクレジットの中途で"これ、領域展開及び押し合いの話じゃん"とも思った。是非続編を作って欲しいが、興行成績的に恐らくは叶わぬ夢だろう。それもまたよし。大変満足して、徒歩にて帰宅。これでまた一つ欲望を自分は取り戻す事が出来たのだという事実を噛み締めながら。

-11月6日

116日月) 二週間ぶりの心療内科。妻は仕事なので、心療内科に独りで向かうのは今回が初となる。生活はといえば、相も変わらず。アプリに記録されているカロリー消費から判断するに、4~6時の間に三回徘徊した痕跡あり。そういえば、朝を待つ間、肉体労働の日々を思い出していた。シフト制だったその現場は、A帯(8時~17時)、B帯(11時~終業まで)の二つに分かれていて、なるべくバランス良く組まれていたのだが、私が辞める直前には人手不足もあり(それでも一切の容赦なく、毎月誰かしか辞めていく!)、最早そうした区分は完全に崩壊していた。完全週休二日こそキープ出来てはいたものの、連日8時から終業(それも終電ギリギリ)まで、何て事はザラな環境だった。22時台に上がれたら、ラッキー!と喜ぶレベルだったから、完全に感覚が麻痺していた。因みに今だから言うが、休憩は昼の1時間のみ。勿論、自分で時間帯を選べる訳では無く、少し落ち着いたな、という頃合いを見計らって、指示に従い順番に休憩をとるという算段だった。それでも私が辞める最後の方は、いよいよ回らなくなり始め、休憩時間は45分に短縮されるという、常軌を逸した、労基まっしぐら特級案件となっていた。それはさておき、8時始業となると、移動時間から逆算した上でなお、ある程度余裕を持った行動を心がける様にしていたので(タイマーセットしていても疲労困憊の余り寝過ごしてしまうとか、曲がり角で食パン咥えた可愛こちゃんと衝突してしまうとか)、必ず6時に起床する様にしていた。そこから、洗顔、歯磨き、夏だったら水のシャワーを浴び、身なりを整え、準備を終えると、コーヒーを飲みながら、私はよくリビングから外を、夜明けを眺めていた。夏場であれば、この時間はすっかり明るい、遠くに複数棟建ち並ぶマンション(タワマンとまでは言わないが、恐らく合計すれば2~300戸は入っているのではないか)が朝日に徐々に染められて行き、最終的には鮮やかに輝く、希望に満ちた壁となる様をただただ見つめていた(教科書によく載っていただろう、谷川俊太郎氏の"朝のリレー"なる詩を思い出す)。OK、バトンはしっかり受け止めたぜ。但し、俺は若者じゃないし、交替で地球を守るチンケな歯車の一つとして、汗水垂らして働いて来るからよ。冬場はどうか。言うまでも無く、外は未だ真っ暗だ。寒さに少しだけ震えながらいつも通り支度を調え、コーヒーから立ち上る湯気を、頬杖をつき少し眺め、チビリチビリと飲む。まだ寝ている妻子(その頃はまだ、次女はいなかった)に、そっと"行って来ます"と囁く。時にはおでこにお出掛けのキスをして(我が家は皆(当社比で)、おでこが広い)。外に出て、現場に向かうための最寄り駅まで歩く頃、漸く東の空が明るくなって来る。既に世界は動き始めていて、少なからず人が路を急ぎ足で歩いていた。喫煙スペースに屯する、会話を交わす事も無く紫煙をくゆらせる人々。早朝から現場へと向かう地下鉄は既に混雑していて、誰も彼もが微妙に不機嫌そうで、疲れた顔をしながら「降ります」、たったその一言すらも発さぬまま、オフィスの集中する駅に到着すると、競い合う様にして一斉に降りていく。ここから更に乗り換えがあったりするのだろうか。ハローもグッバイもサンキューも言わなくなって、こんなにもすれ違ってそれぞれ歩いてゆく。改めて思う。大人になればなるほど、簡単な一言を、小さい頃であれば素直に言えていただろう言葉を、何故、口に出来なくなるのか。何故、混雑した電車で日経新聞を広げて読まなくてはならないのか。何故、リュックを背負ったまま立たれると、奥に詰めたくても邪魔で詰められないという簡単な事に気づけないのか。何故、乗降者口に挙って立とうとするのか、すみっコぐらしか、貴様らは。それとも、扉が開くや否や一歩でも早く駆け出すためのポジション確保か。だったら西宮神社の福男選びにでも参加してこい。まあ、そんな事はどうでもいい。兎も角これからの季節、夜明け前が一番暗い。そして、未だ自分は夜明け前を待ち続ける状態のままだ。いや、そもそも夜明け本当にやって来るのか。或いは夜が明けて目にした世界が、それまで自分の見知っていた世界と一変していたとしたら。そんな事を考えながら、余裕を持って(身体面での余裕など無いのに)、妻と、登園する娘と、三人一緒に家を出る。エントランスで妻と別れ、娘を保育園に送るも、三連休挟んで久しぶりの登園にナーバスになったのか、妻と別れると直ぐに「ママと行きたかったー!」と泣き出す始末。せやなー、分かるよー、じゃあ明日はママと行きたいって、ママが迎えに来たら相談してみたら、と宥め賺すも泣き止む気配無し。埒があかないので、抱っこして登園。日々成長しているとはいえ、随分と重くなった。もしくは、グッタリしっ放しな己の、急速な体力の衰えがそう感じさせるのか。結局泣き止まないままに、先生にお預けすると、お昼寝用のベッドシーツをセットし、いざ出陣。なるべく余裕を持って、早めに出発したつもりだが、果たして、結果はどうか……はい、めっちゃ余裕でした。当然の事ながら平日の朝の街は、休日よりも人の数は少なく、気分的にも、歩くのにも楽。こうした用事でも無い限り好んで行こうとは、変わらずに思えないが。予約時刻の10分以上前に到着。勝手が分からず、入り口のカーテンをめくって入院(文字通り、病院に入る事)したら、受付の方が、あれ?という顔で、10時に開院しますので階段の方で並んでお待ち下さい、との事。成る程、入り口を出てみれば、既に階段の踊り場近くまで10人程度の行列が出来ている。取りあえず、階段を下りて最後尾につくも、開院を待つ間にも、私の後ろに並ぶ人は増える一方。皆、見たところお元気そうに見えるのだが、それは私とて同じ事。誰一人として言葉を発する事無く、ただただ開院するのを待ち続ける。時間になり、カーテンが上がった。いざ開幕。受付で保険証と診察券を提示し、座ると直ぐに(当たり前だが)前回と同じ心理士さんがやって来て、部屋まで案内してくれた。二週間経過して、自分にどのような変化が出てきたかを端的に語る。食欲は変わらずある。色々と欲も出始めて来た。昨日は家族とお出掛けをし、帰りに食べたかった蕎麦も食べた。歩いてみた感じでは、明らかに前回通院時よりは身体がしっかり動くと実感。しかし、不眠は相変わらず。生活サイクルはさして変化は見られず。不安も尽きない……等々。今、ご自身がなさりたい事って何かありますか? と訊かれ、一刻も早く以前の様に規則正しい生活を送り、しっかり眠れるようになりたいです。正直、今も家に帰って眠れるものなら寝たいです、と迷わず即答。前回と比べ、多少"欲"というか、ご自身の中でやりたい事が出てきたのはいい傾向だと思います。この調子で、焦らずに様子を見ていきましょうね、なる結論に至り、前回よりも多少早めにカウンセリングは終了。相変わらず、対象に安心感を抱かせるのには長けている。私もかくありたし。前回同様、待合スペースで暫く待った後、名前が呼ばれ診察室へと通される。現状(主に不眠)を伝え、幾つかの遣り取りを経た後、引き続きお薬を継続という結論に着地。やはり、そう劇的にはハッピーにはなれんという事か。その後、前回(10月23日)に受けた二種類の検査結果を返却される。五段階評価で選ぶテストの検査結果は"中程度抑うつ状態"。当院に来院される抑うつ状態の患者さんの平均値です。基本的に治療が必要な状態のことが多いので、「投薬治療」「カウンセリング」「生活状況の改善」などを含めて、医師とご相談いただければ幸いです。ブラブラブラー。まあ、そりゃあれだけ"かなりあてはまる"にチェック入れたんだから、結果には大いに満足、ではないな、殊更疑問は無い。意外だったのは、もう一方のお絵描きするヤツの結果だ。"自信の面においてバランスがとれていると考えられます。コミュニケーションスキルが比較的高く人間関係を作ることが上手い傾向にあると考えられますただそのために相手気をつかってストレスに感じている可能性がありますエネルギーはあふれていますが時に変化に対応しづらい面があると考えられます"……あのー、どこぞの、どなた様のテストかは存じ上げませんが、お目々が節穴でいらっしゃいますか? 銀座の母でも同じような事言うんじゃないでしょうか?? 反射的に"本当ですか? あんな下手くそな絵で??"なる愚問を、医師に投げ掛けてしまった。

 二週間後、再度来院の予約とお会計、薬の受け取りを済ませ、そのまま昼前には帰宅。妻が用意していった昼食を摂り、服薬。ソファベッドに横になり(もしかしたら小一時間ほど昼寝はしたかもしれない)、そうして変わり映えのしない日が過ぎて行く。こんなにも外は明るく、活気に満ち溢れているというのに、一体私は何をやっているのか。無為にゴロゴロする内に、今日も夜はやって来る。密やかに、そして無慈悲にも。

-11月3日~11月5日

11月3日(金 国民の祝日、そう"文化の日"。日々、文化とは縁遠い日々を過ごしております。触れたいという気持ちはあるので御座いますが、どうしても身体が言う事を聞いてはくれないので御座います。通常時なら金曜祝日とくれば、"現場"に早朝から入らなくてはならないのだが、現状の自分には到底無理。そういえば"鉄人"からはその後、一切連絡がない。代表は定期的に妻とLINEで遣り取りをしているらしいが(無論、主目的は私の安否確認)。唯でさえ人手不足なのに、欠員が出てしまったせいで益々お忙しいのだろう。そう考えると、申し訳なさは募る一方。相変わらず睡眠不足ではあるが、本日は思いの外動けそうな予感。東京の最高気温は25℃まで上がるらしい。快晴の空、絶好の行楽日和。昨日、妻の言っていたお出掛けだが、どうやら目的地が定まったらしい。都内の某庭園。都心が激混みなのは確定なので、少し外れた、我が家から電車を利用すればそう遠くない所。歩いても、大人の足で1時間は掛からない(Google Map大先生によれば)。まあ、昔から何度か行った事がある。学生時代には仲間達とほろ酔いで、ライトアップされたしだれ桜を観に行ったし、妻の妊娠が判って迎えた春、運動がてら一緒に散歩した。鬱蒼と木々の茂る(しかし確かに人の手が加わった)、木漏れ日が無数のスポットライトの様に照らし出す小径を、妻の身体を気遣いながらゆっくりと歩いた。気持ちいいねえ、こういう緑がいっぱいの所で暮らしたいわ、そう妻が言っていた。

 家族全員でお出掛けするのは、恐らく7月の三連休、軽井沢以来か(親族の集いがあった)。どうやら妻達は都バスと電車を乗り継いで向かう模様。私は迷うこと無く、徒歩を選択。今なら、確実に乗り物酔いする自信がある。多分、そちらの方が早く到着するから、先に入ってて構わないからね。着いたらLINEします。そう言い残し、一足先に家を出る。勿論、場所はGoogle Mapに頼らずとも判っている。自転車があった頃には、大学時代から何度もあの辺は行った事がある。"庭"と言っては過言だが(庭園だけに)、土地勘はある。だが、どう考えても人通りの多い大通りを行くのは得策ではない。かくして、裏通りをひたすら歩く事に決定。これほど長く歩くのは本当に久しぶりだ。心療内科に行って以来だろうか。都内の庭園の多くは大名屋敷の跡地だと聞いた事がある。きっと隣にタモさんがいたら、さぞや蘊蓄たっぷりの愉しい散歩になるだろうが、残念ながらぶらり一人旅。"閑静な住宅地"という言葉がピッタリの、瀟洒な家が建ち並ぶ、綺麗に舗装された歩道を、目的地へと向かってただ黙々と歩く。談笑する親子連れや、大型犬をお散歩させるカップル、ジョギング(って死語でしたっけ?)に精を出す人……誰も彼もが幸せそうだ。或いは何かに夢中になり、一心不乱に取り組んでいそうだ。俺は一体何なのだ。五感を通じて得られる無数の情報、少し汗ばむくらいの心地よい気温、穏やかな空気、微風、グラデーションに富む色づき始めた木々の葉、遠くで微かに聞こえるバイク音、お婆ちゃん達の井戸端会議……、以前の私であれば、こうした無数の情報を統合して、馬鹿の一つ覚えのように、こう呟いていた筈だ。そう、世界は美しい。だが、今の私の脳味噌では、前の様な結論を導き出せない。いや、素直に導き出す気になれない。プログラムとしての思考、何処かがバグっている。睡眠不足が最大の要因なのは間違いない。だが、果たしてそれだけだろうか。案じている事の九割は起こらない。だから、今自分が抱えている、とある懸念(疑惑、と称してもよい)が杞憂である事を願っている。無論、最低最悪のシナリオも想定して。そうこうしている内に、目的地まで後僅か。信号を待っている間に妻からLINEが届く。着いたから先に入って待ってるね。分かった、着いたらLINEする。信号が青に変わる。正門に到着すると何たる事、工事中につき閉鎖中なので裏門(いや、どっちが表か裏か考えた事なかったな)にお回り下さいとの事、後100mは余計に歩かなくてはならんとは、ガッデム! という訳で裏門へと回り、窓口にて入園券を購入し、着いたよ、とLINEしようとしつつ辺りを見渡すと、割と直ぐに家人の姿が見つかる。皆、大きく手を振ってくれた。何とか駆け寄り、気の向くままに歩き出す。別に私が観たい所はない。という事で主導権を次女に委ね、彼女に着いて行く。流石に、都心から多少離れているので大混雑とまでは言わないが、それでもなかなかの人出、外国人観光客多数。それも見た目や言葉から判断するにかなり多くの国々から。割とカジュアルに皆さんタトゥー入れてらっしゃるのね。うーん、ダイヴァーシティー! 欄干のない狭い石橋を渡る際は、誰も彼も譲り合いの精神発揮。人類、皆兄弟。庭園を一望できる小高く盛り上がった箇所(って、どう呼称したらいいの? "丘"??)に上ったり、嘗て妻と二人歩いた木漏れ日の降り注ぐ小径を、今は家族四人で歩いたり(ちなみに妻は、その時の事を全く覚えていなかった)、錦鯉を見てはしゃぐ次女を眺めたり、対照的に無言でスタスタ先を歩こうとする長女を呼び止めたり……、お昼の時間が近づき、庭園内にあるお茶屋さんに入る。ここでお昼食べて行こうと思うんだけど、パパどうする? いや、まだお腹空いてないからいいや、遠慮無くどうぞ。私を除く皆が思い思いの品を頼んで食べるのを、暫し眺める。一緒に愉しく食べたかったが、相変わらずお腹は張っている。朝食からまだそう時間が経っている訳でも無い。これを果たして"団欒"と呼び得るのかは定かでないが、久々に家族四人で過ごせている、この穏やかな時間を祝福しよう。そう考えながら、家人の背後に広がる庭園に目を遣る。隅々まで人の手が加わり、整えられた、目映い陽光に照らし出されたこの光景は、きっと美しいものなのだ。そう自分に言い聞かせながら。

 帰り際に、長女が書店に寄りたいと言い出す。どうも現在進行形で読み進めている児童文学シリーズの最新刊が出ているかどうか気になって仕方ないようだ。と言うわけで神様、仏様、Google様。検索すれば、どうやら徒歩数分の複合施設内に比較的大きめの書店がある模様。いざ、向かうも、既にこの時点で私は疲労困憊(主に精神面で)。こんな長距離歩いたのは久しぶりだし(つい一ヶ月前の元気ピンピンだった自分が嘘のようだ)、寝不足で頭がぼうーっとするし、等と考えつつ、お目当ての本を探し回る娘二人を眺めていたが、業を煮やして遂に最終兵器発動。店員さんに訊いた方が早いんじゃない? 後、タイトル何て言うの?? で、長女が店員さんに訊いている間に、Amazon様で検索。検索、検索、何でも検索。きっと、そう遠くない未来、検索エンジンは神にとって代わる。大半の人間は、生きる意味を求め"検索様"を頼り、或いは縋らない事には生きていけなくなる、いや、もうとっくにそうか。はい、答えが出ましたー、残念でしたーー!、発売日は8日の水曜日でーす!! それを楽しみに頑張って生き抜いていきましょーねー!!! ……とまでは言わないが、長女に事実を簡潔にそっと耳打ちする。これにて、一件落着、かと思いきや、どうやら別の本を買うようだ。まあ、読書習慣は大切な事だが、何事も用法・用量が肝腎だ。パパが服用してる薬と一緒でな……、の割に全然寝れねぇーんすけど。で、やっと買い物が終わり、では帰るのかと思いきや、今度は同施設内に入っていた雑貨屋さんに次女が興味を示し、入店。気づけば、長女の姿がないので、何処行った?と店外に出て探せば、日向のベンチに独り腰掛け、購入仕立ての本を読んでいるご様子。この辺のマイペースさも親譲りか。将来苦労しなければいいけどな、何て事を考えている余裕など無かった。段々と気分が悪くなって来る。脳内で壮大に反響する"KAERITAI"の大合唱。遂に我慢が出来なくなって妻に告げる。ごめん、気分が悪くなってきたから先帰ってもいい? うん、いいけど、大丈夫? どうやって帰るの?? 歩いて帰るわ。あんまり乗り物乗りたくないし。昼ご飯も準備しなくていいよ。外で何か食べて来るから。わかった、気をつけて帰ってね。三人に手を振り、ふらふらと歩き出す。今回の外出に際し、家族と一緒に出掛ける事、運動する事とは別に、もう一つの目的が自分にはあった。そう、外食する事。勿論、たまにコンビニで賄う事もあった(栄養管理士さん的にはアウトでしょう)が、例の一件以来、基本、妻が準備してくれた食事ばかりを食べていた。蕎麦、そう、無性に蕎麦が食いたかった。それも高級なヤツじゃなくて、この上なく愛している某チェーン店の蕎麦を。家賃の関係から、敢えて駅から距離のある立地に店舗を構えるという戦略をとる、そんな某チェーン店の蕎麦を。閑話休題。嘗て肉体労働をしていた頃の事だが(女性が圧倒的に多い職場だったが、毎月の様に誰かが消え、代わりの人間が補充されていく、今となっては相当にブラックな現場だった。人が辞めなかった月は、雹でも降るのでは、と思ったくらいだ)、どんな共同体にもある謎の風習として、新人は顔写真付きの簡単なプロフィールを記入した用紙を提出するというものがあった。まあ、内容は他愛のないものばかりだったが、"好きな食べ物"の欄に迷わず"蕎麦(+麻婆豆腐)"と記入した位には、私は蕎麦が好きだ。特に立ち食い蕎麦が。腹に余り貯まる感覚がなく、そんなにお腹が減っていなくてもツルツルイケるのも良い。話を戻す。Google Mapなる神なんぞに頼らなくとも、帰路は重々承知。その中途に某チェーン店がある事も、だ。蕎麦をたずねて三千里。瀟洒な住宅街、石段を駆け下り、細い路地をすり抜け、坂道を駆け上がり、遂に到着。ガラガラの店内、そりゃそうか。わざわざ休みの日にここらに来る用事なぞ、急病を患う以外、特には思いつくまい。季節外れの初夏のような陽気に、火照った身体。迷うこと無く、季節のかき揚げ蕎麦、冷やし(大)で。大丈夫、今ならきっと大でも食べられる。その為にこうして運動して来たのだから。程なく、季節大冷やしのお客様ー(正確には整理番号だった気もするが覚えていない)、と声が掛かり、恐る恐る箸に手を伸ばす。勿論、その前に、鷹の爪とお店の特選スパイスをガンガン投入する事も忘れずに。一口啜る。揚げたての季節のかき揚げを一口囓る。美味かった。変わる事なく美味かった。後は無我夢中で啜り、囓り、汁に浸し、蕎麦湯を投入し、残った汁を暫し啜った。一息つく。余は満足じゃ。うん、食欲は十二分にある事はこれではっきり証明された。体力についても、これから徐々に運動量を前の状態にまで近づけていって回復していこう。問題はそう、メンタルだ。いや、そもそもが睡眠だ。何とかして眠れるようにならなくては。流石に今日は沢山運動したから、朝までぐっすり眠れる事を期待しよう、そうしよう。少しでも欲を取り戻していこう。そうやって、日常を取り戻していこう。そう考えながら帰宅。そして、疲れたのだろう。恐らく気絶するように昼寝をした。

 

11月4日()~11月5日(はーい、そんな訳でね。結局は元の木阿弥になってしまいましたとさ。ああ、無情。長時間の散歩は逆効果だったか。フィットネスの履歴を見る限り、変わらず深夜~早朝にかけての徘徊が著しい(といっても、一回あたりの消費カロリー、6kcal程度だけど)。それ以外に、ほぼ活動履歴なし。さしたる記憶が無い事から、想像するまでも無く、これまで通りのグッタリとした休日だったのだろう。朧気な記憶ではあるが、土曜日は、妻は子ども達を連れ、街へ買い物に行っていた気がする。日曜日は長女の学校行事で、妻もPTAの一員として駆り出されたので、15時頃まで次女とお留守番。これ幸いとばかり次女は、ほぼ半日YouTube三昧。これもまた、現代の神か。彼女にお昼ご飯を何か用意してあげた筈(作り置きのものだが)。妻と長女は帰宅途中、ゲリラ豪雨(と、この季節でも言うのか?)に遭遇したらしく"雨上がるの待ちです"、"合点承知!"なる遣り取りの履歴がLINEには残っている。他に特筆すべき事なし。