-以下、備忘録

ご笑覧下さい。笑えねーけど。

-11月2日

11月2日(木) 坊主にしようと思い立った。もやもやした気分をスッキリさせたいという意識が働いたのは確かだろう。人生で最初に坊主にしようと思ったきっかけは何だったのか、今ではもう思い出せない。そもそも、幼い時分は、坊主にするのは絶対に厭だった。私が生まれ育った地は(現在はどうなのか知らないが)、"公立中に進学=男子は強制的に坊主"、という野蛮且つ無意味なルールが罷り通る、高野連も真っ青の保守的なお国柄だったので、それが厭で中学受験をした位だ(正確には、そうやってガキンチョは、親にまんまと誘導された訳だが)。初めて坊主にした時、真っ先に思ったのは、俺、頭の形めっちゃ綺麗じゃん(自画自賛)、という事だった。それ以来、毎年一回は必ず坊主にするようになった。頭が軽くなるし、心なしか天パ(頭がパッパラパーという意味ではない)も多少矯正されてきたような気がする(加齢に伴う体質の変化が実態だろうが)。側面1㎜、上部は気分によって、4~6㎜。それがマイ・ルール。大体は真夏にする事が多かった。単純に暑くて、髪の毛が鬱陶しかったから。後、洗髪が超楽(町中華の名前みたいだな)。乾かす手間も皆無。良い事尽くしではないか。余談だが、挙式後僅か3ヶ月後に、長女懐妊が発覚し(当時、諸事情あって、私は無職だった)、"こんな状態で、俺は人の親になんのか!?"という動揺のあまり衝動的に坊主にした事は、今でも覚えている。一月の、とある寒い日の事だった。そんな思い出とは無関係に、一昨年頃から、秋冬に坊主にするようになった。その方がニット帽が被りやすいから(どうしても髪が伸びた状態でニット帽を被ると髪型がぺったんこになるのと、前髪の処理がウザい。出すべきか、出さぬべきか。それが問題だ)。という訳で、行きつけの1,000円カット(を名乗りつつ、物価高騰により現在は1,200円)へと向かう。ここを見つけたのはたまたまだった。一昨年の夏だったか。次女が、とある手術の関係で、10日程入院する事になり、前半の5日を私、後半の5日を妻、というシフト制で病院に泊まり込んだ(残念ながらコロナ禍につき、付き添いは一名のみ、日中の交替は認められなかった)。迎えた私の付き添い担当最終日、それは娘の手術日だった。ワンワン泣く彼女に付き添って、看護師さんに引き渡し、手術室のドアが閉まるまで彼女の姿を見送る。そうして手術中(2時間程度かかると伝えられた)に思い切って病院を脱けた。無論、看護師さんに許可を得た上で。ほぼ5日間ずっと、娘の世話以外に自分の事は碌に何も出来なかった。息が詰まりそうだった。夏の日差しに目を細め、咽せるような熱気を身に纏いながら、病院から一番近い(事前にググっていたので、ここにしようと目星をつけていた)、駅前の1,000円カットへと急ぐ。迷う事なく開店即入店。当然、客は私以外に誰もおらず、慌ただしくも優雅な心持ちで、存分に頭を丸めて貰った。戻っても看護師さんからは一切ツッコミはなかったが、それは偏に私の無愛想さ故だろう。まあ、そもそもお忙しそうなんで、私の髪型の変化などどうでもいいっすね。それはさておき、最初にポイントカードの有無を訊かれ、いや初めてです。お作りしますか? お願いします、てぇな具合でポイントカードを貰い、実は小規模ながらもチェーン店である、という事を知った。系列店が我が家からそう遠くない所にあるという事も(徒歩10分程度はかかるが)。一回利用につき、平日雨の日ならポイント2倍。10ポイント貯めると、次回カット時500円引き。なかなかにお得なサービスではないか。貧乏人はな、ポイントに目がねぇんだよ。以来、大変お世話になっております。

 本当は、来年1月に頭を丸めるつもりだった。ある種の願掛けとして(願掛けならば、寧ろ髪は伸ばし続けるべきでは、というつっこみはさておき)。そう周囲にも宣言していた。それを結果的に、このような中途半端な形で裏切る事になってしまい、申し訳ない気持ちで一杯だ。許せ。諸君の健闘を草葉の陰から(?)祈っている。担当して下さったのは比較的若めなお姉さん。初顔合わせだ。新人さんだろうか。今日はどうしますかー? と訊かれ、坊主で、側面1㎜、上4㎜で、と007の様に(?)告げる。鏡に映る年一恒例の儀式、見慣れた光景。髪の毛がハラハラ、いやボトボトと落ちていく。よく坊主にはされるんですかー? ええ、年に一回は必ず、おざなりな遣り取りをしながらも、みるみる刈り上げられていく我が頭。たかが坊主と言う勿れ。そこはやはりプロの仕事。バランス等を考えてだろう、細かく調整を加えながら、所要時間15分程で完成。申し分なし。今日も綺麗な形だ。お礼を言って店を出ると、早速帰宅用に持参していたキャップを被る。流石に仕立ては少し気恥ずかしいし、頭も大分スースーするので。そのまま、散歩(+運動)がてら少しだけ廻り道をして帰宅するも、たったそれだけの事でどっと疲れる。即楽な格好に着替え、ソファベッドに横たわる。多分、少しうとうとしたのだろう。気づけば、大分陽が傾き、黄ばみがかった日差しがリビングに差し込んでいた。長女の姿はないので、どうやら一旦家に戻った後、遊びに出たようだ。待つ事暫し、妻が次女を連れて帰宅。去年であれば、次女はいきなり坊主になった自分を怖がり、ママの後ろに隠れ、なかなか近づいて来ようとしなかったものだが、流石にもう慣れたようだ。妻が寝転がる私の頭をスリスリして、気持ち良いねえ、犬みたい。よっちゃん(次女の仮名)も触ってご覧、と言う。そう、自慢では無いが、私の坊主頭は手触りが良い。脂ぎってもおらず清潔感たっぷり。何より触った人はほぼ100%の確率で、犬の毛みたい、そう言う。次女も私の頭を撫で、うん、きもちいい、と、にっこりして言う。嗚呼、俺の頭を撫でたら御利益あるという、お地蔵さんみたいな触れ込みで宗教法人作り、一稼ぎ出来ないだろうか。実際には、"無気力"な"あばれる君"なる、矛盾を孕んだ存在ですけど。そんなこんなではあるが、かといってきちんと眠れるかどうかはまた別の話。特に明日は国民の祝日という事もあり、家人はいつもより夜更かし気味。喧しいなあ、と内心思いつつも、ここはじっと我慢。これだけ迷惑、心配、苦労を掛けているしね。明日、祝日だし天気も良いみたいだから、何処かお出掛けしようと思うんだけど、パパも行く? TVを観ながらふと妻が訊いてくる。考えとくわ、元気があったら。そう返事をする。まるで乗り気のしない飲み会に誘われた時の様に。行けたら行くわ。

-10月24日~11月1日

10月24日(火)~11月1日(水) 仮に私の人生を90分の映画にしたとしてみよう。当然語り得るエピソードは限られる。今回の一件は間違いなく、我が人生における重大なる局面ではあるが、この期間に関しては恐らく、同アングルから私の格好、及び照明を工夫して時間帯を変えてみせたカットを、リズムよく編集で繋ぎ合わせ、せいぜい30秒。いや、それはディレクターズ・カットに回して貰えばいいんで、劇場版では丸々カットしても一向に差し支えない。何をしていたか? 何も。少なくとも、生産的な事は何一つとして。例えば、私のiPhoneにインストールされた"フィットネス"なるアプリの記録がそれを物語っている。要は、一日の歩数、歩行距離、消費カロリーを日々記録する、いわば万歩計みたいなもんだが、この期間の俺は何だ。最高値が10月30日(月)の4,973歩/2.90km/106kcal(確かこの日は、再度内科を受診し、薬を貰いに行ったのだった。LINEの履歴には午前中に妻から”病院ちゃんと行けた?”と入っており、”行けてません。お腹が痛くて臥せってます”と返事している。だが、アプリの記録から察するに、どうやら何とか夕方に自力で受診しに行ったようだ。消費カロリーの時間帯と棒グラフがそれらを物語っている)、最小値に至っては10月24日(火)の145歩/0.09km/3kcal(俺、丸太?)、ときたもんだ。その他の日も消費カロリー数は、ほぼほぼ一桁台。後はお決まりのコース。ひたすら21時頃気絶、日付が変わるか変わらない頃に目覚め、悶々と過ごし、明け方近くに近所を徘徊。食事、服薬、食事、服薬、少し気絶、食事、服薬、気絶……のリフレイン。今だからこそ冷静に振り返る事が出来るが、さながら無間地獄。眠らせぬ事が拷問の有効手段の一つ、という映画を通じてしか知り得なかった情報を、身を以て体験する。殆ど外出しないからと、一日中着の身着のまま、何ならシャワーすら浴びない日もあった。人として、終わっている。後は何をしていたか。眠れずに悶々とする深夜、眠るのを諦め夜明けをひたすら待ち続ける間、日中、家で独り、普段は使用出来ぬベッドに寝転んでいる時。はっきり言えば、ひたすらYouTube観てました。それも結構脈絡なく。某家系のchとか(味濃い薄いあったら言って下さい!)、毎日ラーメン健康生活的(黒烏龍茶飲めば全てチャラ!)なヤツとか、全国喧嘩自慢的なヤツを観て「タトゥーか和彫りか、トーシロには区別つかんけど、こんだけ身体に墨入れるのに幾ら掛かってんのかな? パイセンの奢りで墨入れるとかあんのかな。てか、何の仕事したらそんな金稼げんの? あ、俺も"X(旧Twitter)"の前垢始めたばっかの頃に"いつも心(ハート)にはタトゥーを”とかイキった事呟いてたわー。でも、"W大卒一応全優(キリッ)"みたいな1日1イケメンオバさんよりましかー」等と余計な事考えたり、その流れでバンN村氏のchに辿り着き、おいおい、世界観がマジで、逆闇金ウシジマくんじゃねーかよ、と思ったり、更にそこから派生して、某マネーの虎の真似ー版へと辿り着き、あー、何だかんだでK田社長イケメンだしナイスガイだわー、推せるー! H社長、目がたまに笑ってないとこといい、雰囲気といい、同級生だったM村に似てんだよなー、アイツはいけ好かなかったけど、H社長は頗るいいキャラだわー。あー、ドラゴンH井に「赤ちゃんでちゅか?」って詰められてみてー。多分今の俺(いい歳こいたおっさん)なら、確実に泣く自信あるわー。「若者をいじめて愉しいか!」って、(いい歳こいたおっさんだけど)言ってみてー、あ、近所の店が、FCチャンネルに出てるわ。元気になれたら行ってみよ。あれ、この虎の人、昔勤めてた会社の顧問か相談役的な立ち位置の人じゃなかったっけ……(多分、余裕で100本は観たけど、キリがないのでここらで中断)とか、私人逮捕系YouTuberの動画を、これまた延々と観て、自分がよく利用する埼京線1号車(乗降車に都合が良い)に痴漢が矢鱈と多い、なる無駄知識を得たり、"制圧しますよ"って流行語大賞獲らねーかな。つーか、声に出して読みたい日本語だな。多分、俺、一生口にする機会無いけど、等と考えたり(と、この記録をしたためている内に(11月某日)、真にタイムリーな事に逮捕者が二名出た。再生数に取り憑かれておかしくなっている! 警察に捕まり始めている!!)、そっからマルチ・悪徳商法に突撃する系のch観たり(いい加減"Ted Tsuru Davidoff"こと"鶴幸市"、臭い飯食わねえかな。末代まで祟ってやんぞ)、東浩紀氏や宮台真司氏やらが所謂、知識人、文化人と呼びうる面子と対談するのを、ラジオの様に流しっぱなしで聴いたり、たまたまTV点けたら流れてた某アニメのスペシャルエンディングが矢鱈格好良かったので、何十回と再生したり、"サー"・R・スコットの最新作『ナポレオン』のティーザー予告を観て、これを劇場の大スクリーンで観るまでは絶対に死ねない。でもなあ、ディレクターズ・カットで四時間超えるヴァージョンもあるらしいから、『キングダム・オブ・ヘブン』の二の舞になりそうな悪い予感もすんだよなー、等とつらつら考えたり、そこからレディへの"Kid A"聴いたり、更には『グラディエーター』(ウチの親父が一番好きな映画)のOP、ゲルマニアの戦闘シーンを再生しまくったり……と、もしここまで飽きずに読んでいる奇特な人がいたとしたら、こいつ、延々と何わけ分からん単語並べ立ててやがんだ? そう思うかもしれない。安心して下さい。俺もそうだから。要は不毛。虚無。それ位、何もしていなかった。そういえば、何故かマンガ専用アプリで全話無料中の『課長 島耕作』もひたすら読んでたな(現在進行形)。"Japan as No.1"のあの頃は何処へ。かくも時代はうつりにけりな、だ。つーか、島耕作、運だけで世の中渡ってねーか?……、そうこうする内に時間と曜日の感覚が曖昧になっていき、気づけば西日がリビングに差し込んでいた、何て事はざらだった。さて、冒頭にて、自分の人生を90分の映画にした場合、劇場版なら丸々カットで構わないと述べたが、それでもささやかだがドラマチックな事は起こる。最早、何時何分何秒、地球が何回廻った時に起こった事か、判然としないので、印象に残った事を、以下列挙していく。

 

 自分専用のソファベッドが届く。前述したように妻がわざわざ購入してくれた。いと、有難し。早速リビング一杯に広げ、寝転がる。ああ、何てふかふかなんだ、天にも昇る心地とはこの事か。これで、今度こそ熟睡出来るかもしれないと思うも、逆効果。己の心拍音がベッドを震わせている様な心地になり、気になって却って眠れない。大学受験時にホテルのベッドで似たような経験をし、ほぼ眠れぬまま会場に向かった事をふと思い出す。蚤の心臓の割に、鼓動は力強い。いや耳障りで敵わない。これもまた、まだ、生きている証。

 

某日 ほぼ変わり映えせぬ日々とはいえ、それでも日々毎に気分にはムラが生じる。ある日、今日は何か気分がいい、いつもよりほんの少しだけ眠れたみたいだし。もしかしたらイケるかもしれない、と不意に思い、1020に持ち帰ったままリュックに入りっぱなしの課題に着手しようと試みる。預かった以上、責任を持って返却しなくてばならない(典型的な"Must思考"ってヤツなのだろうが)。先ずは乱雑に纏められたままの課題を整理する事から始め、一通り分類が終了した時点で、個々の課題へと着手する……、も何とか二点ほど、平常時よりも遙かに時間を費やし、片付けた時点で、猛烈に身体が怠くなり、そのままソファベッドに寝転がる。腐ってやがる、早すぎたんだ。後は、YouTubeが俺のお守りをしてくれる。帰宅した妻が、ダイニングテーブルと床に散乱した、膨大な書類の山に、エラい事になってんねー、と呆れていた。

 

某日 以前(10月22日)に記した、深夜に上階から響く謎の生活(?)音が、幻聴でない事が妻の証言により裏付けられる。彼女も、はて、何か音がするな、と明け方近くに目が覚めたらしい。その時、序でに私の様子を見に行ったところ、珍しくソファベッドの上で、赤子の様にすやすやと眠りについていたそうだ。狂っちゃいないぜ! にしても改めてだ。婆ぁ、一体全体、そちは何者ぞ。

 

某日 不眠で最もキツいのは、眠りにつこうと努めた挙げ句、全てが徒労に終わり、諦めて夜明けを待つ事を決意し、長い時間を持て余す事ではない。夢と現の境目が曖昧になる時間が延々と続く時だ。似た事を、嘗てインフルエンザに罹った際に経験した。本当に夢と現の狭間へと、不意に落ちていく感覚に襲われるのだ。恐らくは半覚醒状態なのだろう。長年会っていない友人や恩師、大嫌いだったアイツ、死んだ筈の母、様々な人間が現れ、何かを語りかけてきたり、逆にこちらから声を掛ける。談笑、暴言の応酬、或いは殴りかかろうと拳を繰り出そうとする……、そうして発した己の声や動作で不意に目覚め、傍らのiPhoneに目を遣ると、さっき確認した時から五分と経っていない。そうして、私は今まで書いた事もない文章を綴るのに夢中になり、或いはこの世に確実に存在しないだろう文章を読み耽り、時には朗読し、観た事もないドラマや映画に夢中になって思わず息を呑み、笑い、その自分の声で、ふと我に返る。iPhoneを確認する。やはり先刻から五分と経過していない……、こんな事が明け方までひたすら繰り返されるのだ。俺は、本当に色々と無理かもしれない。この時、はっきりとそう感じた。

 

某日 比較的マシな日。しかし、相変わらずさしたる欲望が湧かない。無論、食欲はある。半ば薬を飲む為に毎日三食きちんと食べているが、食べたくないとか、不味いと感じた事は一度も無い。睡眠欲についてはご承知の通り。欲求不満も甚だしく、頭がおかしくなりそうだ。性欲? 今は要らねー。こんなアカウント名な癖に、俺の"トム"ときたら、まるで"エレクチオン"しないのさ。ねえ、どうしたらいい、ディック? 欲望。やりたい事。無い事はない。二重否定、即ち、強い肯定。今、自分が欲する事。敢えて挙げるなら、映画を、半ば廃人と化していた間に封切られた、観たいと思っている映画を色々と観に行きたい。だが、映画館には行きたくない。行ける気がしない。歩くのが余りにも億劫すぎる。人混みが厭だ、というよりも"怖い"。単身街へと繰り出す心的余裕も無ければ、体力にも自信が無い。では、何をすれば良いのか、何が出来るのか。いや違う。今、自分がしたい事。通常時であれば、呼吸する様に自然とやって来た事の中で、今、痛切に欲する事。"色々スッキリさせたい"、強く、そう思った。家計簿をつけなくなって、どれだけの時間が経っただろう。いちいちカードをレジに出したり、或いはプリペイドカードに現金をチャージする事すら、何時しか(恐らくはこの記録が始まった辺りから)、億劫になり、何もかもいちいち現金で支払った。高価な買い物はしないし、利用箇所もほぼほぼコンビニだが、塵も積もれば何とやら、だ。お釣りを計算し(165円の買い物しました。200円出すよりも、215円出した方が、いいと思いまーす。何故なら、そうした方が綺麗に50円玉が返って来るからでーす。算数の問題でーす)、小銭を出す、という行為さえもが億劫だった。頭回んねー。兎に角、色々と面倒臭かったのだ、ぶっ壊れた私にとっては。結果、財布の中身はと言えば、レシートハラハラ、小銭ジャラジャラ、財布パンパンになって、俺はフラフラと来たもんだ。そう、家計簿の事を忘れていた。なるべく節約を心がけようと家計簿をつけ始めたのが、田舎から単身上京、大学生活、人生初、花の一人暮らしを始めた時。節約の効果は、主に身体面にあり(実家では、明らかに食べさせられ過ぎだった)、一年時の夏休みを迎える頃には、上京時と比較し、体重が約7kg落ちていた。当時の私は、多分"一人暮らしの貧乏生活"もどき、というヤツをRPGの様に愉しんでいたのだと思う。というか、ぶっちゃけて言えば、食費を削り浮かせた金は、ほぼほぼ映画代と書籍代に消えた。何て事はない。清貧の思想に基づき、殊更に質素倹約を心がけていた訳では、まるで無かった。今月は○○に出費しすぎたから、来月はもうちょっと節約しないと、等という発想や分析は皆無。それでも毎月少しは貯金をするよう心がけていたが、色々な事があり、ご多分に漏れず自堕落な生活を過ごすようになると、いつしか"貯金"なる概念は雲散霧消した。人間、いつ死ぬか誰にも判らんし、愉しくやらんと。それでも、家計簿をつける習慣はずっと続いている。キャンパスノートからExcelへと記録媒体が変わっただけだ。飽き性な自分が人生で継続できている、数少ない事の一つだ。前述した通りの有様で、何の力にもなっちゃあいないが。パンパンの財布から大量のレシートを掴み出し、財布に入れるのすら面倒臭くて突っ込んだままであろう、徘徊時に来ていたパーカーや、ショーパンのポケットを漁る。小銭も同様。徘徊時に持ち歩いたクロスボディバッグの中身まで、思い当たる限りの可能性を探り、徹底的に漁る。いやあ、出るわ出るわ。この世はでっかい宝島ってか。そうしてかき集めたレシートの山をiPhoneの電卓機能を用い、使用金額の合計を算出、Excelに入力(一応、使用目的に則った、自分なりの区分はある)。入力し終えたレシートは、ある程度貯まった時点で破棄。これを3セット程繰り返す。探すのも含めて所要時間30分といったところか。やりきった、という達成感と、たったこれだけの行為を済ませただけでどっと押し寄せる疲労感。卓上の小銭の山に目を遣り、いつか、こいつを平日、銀行のATMに思う存分ぶち込んでやろう、外出する目的が出来たぜ(何せ、半径1km圏内に小銭をぶち込めるATMが存在しないもので)、とほくそ笑む。だがな、ゆうちょ銀行。テメーはダメだ。

 

某日 LINEに履歴が残っているので、日付は判るのだが、面倒なので省略。それまで、メールやLINEを開くのは当然億劫、返信入力は言わずもがなの状態だったのだが、少し余裕が(或いは、このままではマズいというまともな判断力が)生じたのだろう。代表と"鉄人"にご迷惑をお掛けした事について(連絡が遅れた事含め)、お詫びのLINEを送る。なかなかの長文になったが、己の現状と心情とを率直に伝える。久々に入力する文字列。未だフリック入力は苦手だ。記しながら、再認する。そう、何だか色々と疲れてしまった。どれほど情理を尽くして説こうとも、暖簾に腕押しの感覚が続く日々、健全な意味での承認欲求すら満たされず、他人と比較され続ける日々、いつしか歯車が噛み合わなくなった人間関係……数少ない友人たちと会う機会もめっきり減った。コロナ禍がその状況を加速させた感は否めない。昔のような、どうでもいい、翌日には綺麗さっぱり忘れるような馬鹿な話もしなく、いや、出来なくなった。仕事、家族、健康、難解な言い回しを多用し、賢しらぶった口調で滔々と述べられる、しかし訊かされる側にとっては、内心どうでもいいと思うような話題の数々(ま、この記録だってそうですが)。それが社会というもんなんでしょうか。きっと、そうなんでしょう。ですが、私はそうしたあれやこれやに、少し疲れてしまいました。いえ、決定的に、かも知れません。当面、判断は保留しておきます。幸いな事に、代表、"鉄人"双方から温かいお返事を頂けた。有難い。今は唯、その言葉しかない。

 

某日 明らかに太った。当然だ、上京以来これまでほぼ一日二食生活を続けていた男が、きちんと三食摂り、昼寝つき、ではないが、大して動いていないのだから(薬の副作用的なものも多少はあるのかもしれない、知らんけど)。顔は浮腫み、腹は膨れ上がっている。下腹部の膨満感、不快感はてんで解消されない(が、食欲はある)。素人の浅知恵を駆使し、色々と検索していたので、もしや腹水が溜まっているのでは、なる考えが頭を過ぎったりもする。何はともあれ、まだひと月も経過していない健診時の体型が嘘のようだ。お風呂上がりにすっぽんぽんでリビングに駆けてくる、次女の真ん丸でツルッツルのお腹を見て"ムーミンみたいだねぇ、可愛いねぇ"と、暢気に言っていた嘗ての自分を殴りたい。今や、俺がムーミンパパやんけ! 可愛げは欠片もなし。で、病院に貰った下剤を試してみたが、その先に待っていたのは、更なる地獄だった。いつも通りの眠れぬ夜。ギュルギュル鳴る下腹部。トイレに駆け込む、ガスと共に噴出する食物の残滓。布団に戻るもさして変わらぬ下腹部の膨満感、不快感。暫くの後、再度襲い来る便意。駆け込むトイレ、さしたる成果無し……、冗談抜きでこのプロセスを一晩で30回は繰り返したと思う。終盤になると、出て来るのは謎の液体(腸液?)、最後には微ガス(って呼称あんの?)、おまけに、トイレットペーパーに血が付いてきた。流石に引いた、血の気が少し。

 

某日 朝になり起床して来る家人、妻はいつも通り朝食の準備、子ども達はリビングでゴロゴロ。眠れぬ夜を過ごした私は、洗濯機を回すと選手交代(いや、むしろ退場)でもするかの様に、早朝の世界へとまろび出る。暫しの後、戻ると、妻が私を一瞥し、それから静かに、しかし的確に、私を詰める。返す言葉もない。100%非は私の方にある。感情が溢れ出しそうになり、ちょっと寝室で話そうと、妻を呼び招く。そこから、先は支離滅裂、嗚咽しながら妻に訴える。亡くなった母の事を。恐らく何故だか、彼女にはよく判らなかった事だろう。それでも、暫し私の話に耳を傾けてくれ、とはいえ、子ども達の支度もあるので、今日は私がよっちゃん(次女の仮名)を送っていくね、と告げ、私を寝室に独り残す。私は、あの日(10月20日)の様に項垂れたまま、家人が皆家を出るのを待った。

 母は三月末に逝った。三年以上に亘る直腸がんとの闘病生活から、緩和ケアに切り替えて凡そ四ヶ月後の事だった(想定よりも早く。とある寒い日を境に容態が急変してからは、あっという間だった)。通夜の席に二人のご婦人が出席されていた。最初誰なのか判らなかったが、名前を聞いて合点がいった。私の姉と小、中に亘り親しかった友人のお母様方だった。同学区内なので、言ってしまえばご近所さんに当たる。そのご婦人方の話で初めて知ったのだが、長い間ずっと、母を含めた三人で、月に一度集う機会を設けていたそうだ(お茶会みたいなもんだろうか)。二人はしきりに口にした。まさか、こんなにも早くこんな事になってしまってねえ。でも、お母様は私たちの前で一度も弱音を吐く事は無かったです。毅然としていらしてねえ。本当に立派な方でした。そう、私の知る母は、いつも優しく、そして我慢強い人だった(たまに、子どもの面前で愚痴をこぼす事もあったが)。お二人に向かって、私はこう告げた。母の息子として生まれた事を誇りに思います、と。多分、その時の事を動揺(錯乱?)しながら私は思い出したのだ。もしかしたら自分はもうダメかも知れない、と心の何処かで感じている自分がいた。仕事関係や、数少ない友人関係において、僅かながらも自分に信をおいてくれた人々や遺される家族の事、何よりも自分が母のような状況になった時に、渦巻く無数の想いや、襲い来る苦痛や死の恐怖に曝されて、それでも気丈に振る舞う事が出来るのだろうか。あらん限りの醜態を晒し、呪詛を並べ立て、周囲に迷惑を掛けまくった挙げ句、数多の後悔を抱えて死ぬのではないか。いや、きっとそうに違いない……、そうした諸々の想いを整理する事が出来ず、感情の赴くまま、止めどなく吐き出してしまったのが先刻の惨状だ。そんな事を、ベッドに横たわりながら恐らくは考えていた。そして、いつもの様に気絶した。

 

某日 こんな惨憺たる有様の私だが、起き出して来た妻に「今日もよく眠れなかった」「導入剤が逆効果でフラフラする」、そう告げると、よくハグしてくれる。背中をポンポンしてくれる。なので私も彼女の背中をスリスリする。猫背気味の私に比べて、彼女の背筋はいつもシュッとしている。出会った時から、ずっとそうだった。多少茶道の嗜みがあるからだろう。姿勢がいい。「無理しなくていいからね。頑張ろう、頑張ろうとしないでね」 そう囁いてくれる。時には「お腹空いたらカップ麺食べてもいいからね! やりたい事、食べたい物、赴くままにやってね!」とLINEをくれる。そうして、時間や曜日の感覚が狂いながらも、何とか私は生きている。仮初めの安堵感を胸に。

-10月23日

1023 睡眠不足で意識朦朧としているのは言わずもがな。とは言え本日はなかなかにヘビーな一日。午前中に内科、夕方から心療内科ダブルヘッダー。長女は一人で学校に行けるので問題なし。一先ず、妻の愛情たっぷりレタス、ミニトマトブロッコリー、ナッツ等の入ったサラダとトーストを食し、服薬。次女と親子三人で家を出て保育園に彼女を預けると、その足で妻と一緒に内科へと向かう。この病院は、此方に越してきてから家族皆お世話になりっ放しなので、気心が知れている。主治医はお爺ちゃんだが元気溌剌、話し言葉から察するに、チャキチャキの江戸っ子といった風情。8時45分受付開始なので、9時頃に到着すれば余裕かなと思えども、既に先客多数。前の人が矢鱈手続きにもたつくのを苛々しながら待つ。非常に宜しくない。やはり心に余裕が無い。漸く前の人の手続きが終了し、診察券と保険証を提出。暫し待合スペースにて待つ。しかし、眠い。こんなにも身体は休息を欲しているというのに、何故こんなにも眠れないのか。国営放送が今日も遠い国で始まった戦争を伝えていた。空爆で我が子を亡くし、泣き叫ぶ母親の姿。その悲しみや怒りは私の限られた想像力を容易く越えていくだろう。割と、最悪の結果も起こり得るだろう事を、日々想定しながら生きているつもりだし(悲観主義者という訳でもないが)、今回の件もそうだ。しかし、時に現実は想像力を軽々と越えていく、いや"自分"という存在の、限られた経験を礎に構築された甘っちょろい"想像力"とやらを、いとも容易く打ち砕く。逆説的だが、だからこそ我々は想像(夢想)するのだろう。立ちはだかる"現実"という壁を時に乗り越え、或いは打ち砕こうと努める為に。

 存外早く名前を呼ばれ、妻と共に診察室へと入室。お爺ちゃん先生に、これまでの経緯と血液検査の必要性を説明する。つい先日繰り返したばかりなので、淀みなく口からでる言葉の数々。後、下腹部に膨満感があって苦しいんです。そりゃあ、ストレスだよ。大体、身体の不調は胃腸に出るんだ。昔からよく言うだろ、"腸が煮えくりかえる"とか"腹が立つ"とか。それくらい知っとるわ。慣用表現は身体の部位に纏わる物が多いんっすよね、しかし"ストレス"の一言で片付けていいもんなのか? 些か適当すぎんか??……等と口にする事は無論無い。門外漢は口を挟まず、ただただ頷くのみ。精密に検査するなら結果出るまで1週間くらいかかるよ。いえ簡単な結果でいいので本日中に欲しいです。分かった、じゃ採血しましょ。先に採尿してね。という訳で一時退室。つい先日健診受けたばかりなので、手順は手慣れたもの。しかし、採尿時、マジマジとカップ内の我が尿を見れば、明らかに色が濃い。よろしくない結果が出るだろう事を瞬時に理解する。待ち時間は30分もなかっただろうか。名前を呼ばれ再入室。想定通り、γーGPT、ALT、AST、どれも安定のK点超え。後は標準値の範囲内とはいえ、赤血球値にもマーカーが引かれている。二週間後にもう一度採血しましょう、今度は肝炎などの可能性も含めて精密に検査して貰うから。きちんとした結果が出るのに一週間程度はかかるかな。次回は、夕食後は、水以外何も摂らずに午前中に来てね。暴飲暴食は控える事。とりあえずお薬二週間分出しとくから。漢方と、気持ちをスッキリさせる薬、後、下剤ね。お腹スッキリするから。眠れない時は頓服薬飲んで。そんな感じで受診終了。所要時間は1時間程度だったか。お会計を済ませ薬局で薬を調合して貰い、一旦帰宅。薬を飲むために昼食を摂り、服薬。心療内科の受診に備え、暫し休憩。当然昼寝(というか気絶)する余裕無し。

 どうする今日もバスで行く?という妻の声に、今日歩いて行っていいかな、多分行けそうな気がする、と返事。そんな訳で余裕を持って早めに家を出る。寝不足で朦朧としているのは確かなのだが、明らかに一昨日よりはちゃんとしている。午前中もそうだったが、案外まともに歩けている。胸を張って、背筋を伸ばし、前を向いて歩く事を努める。俯いていたつもりはない。うむ、何だかイケそうだ。思わず、この前よりはマシかも、そう妻に声を掛ける。良かったじゃん。真っ直ぐにのびた路を天高く上った太陽が目映く照らし出していた。結局、予約時間よりも30分以上早く現地到着。スタバを見つけた妻が、限定のなんちゃらかんちゃら(正式名称失念)が飲みたいから、買って来るけど何か要る?と訊いて来たので、アイスコーヒー(流石にアイスコーヒーに凝った名前ついてないよね?)をお願いする。スタバを利用するなんて何億年ぶりだろうか。彼女が購入する姿を、駅前広場のベンチに腰掛け待ちつつ、眺める。すぐ傍にiPhoneで自撮りする女子高生二人組(時間早いね、試験期間中? それともダルくてフケた??)と、それを物珍しいのか、下心ありなのか、近くで凝視する、お世辞にも小綺麗とは言えないおっさん。かく言う自分だって、大差ないのだが。程なく妻が戻って来たのでお礼を言ってコーヒーを受け取り、払うよ、幾らだった?と訊くも、お代は結構との事。素直にお言葉に甘える事にする。通り過ぎる無数の人々に目を遣りながら、暫し無言でコーヒーを飲む。きっちりとしたスーツ姿な早足のリーマン、マシンガンの様にジャーゴンを繰り出し、会話もどきを展開する大学生と思しき集団、恐らくはホームレスだろう、ヨロヨロと歩く禿散らかした初老、時間とお金を持て余してると言わんばかりの、お上品そうなマダムの一団……なーに、一皮むけば大差ない。人間の数だけ地獄は存在する。そうこうする内に時間が迫って来たので、カップを捨てに一旦一緒にスタバへと向かう。よりにもよって、ダストボックス前で仁王立ちになったオバさんが店員さんに絡んでいる。いつもと味違くない、どうなってるの? ほら、ここにも地獄。てめえは矢鱈と喧しい評論家気取りのラーメンブロガー(あくまでも比喩)か何かかよ、と内心つっこみを入れる。気を遣ってくれた別の店員さんがカップを受け取って下さり(流石は研修と接客には定評のある天下のスターバックス様、よう知らんけど)、心療内科へと向かう。受付にて、血液検査の結果を提出するよう求められ、診察券、保険証と併せて提出。先ずはカウンセリングから。診察とは異なり、カウンセリングの場合は待たされる事なく時間通りに始まると、事前に聞いていたので、受付終了後待っていると、直ぐに名前が呼ばれ、○○号室にお入り下さい、とのアナウンス。妻共々入室。狭い部屋で申し訳ないですけれど、どうぞお掛け下さい、と促され、二人並んで着席。マスクをした女性の心理士さん。勿論情報として表情を100%窺い知る事は出来ないが垂れ目で柔和な印象、瞳の色がやや青みがかっている。カラコンでも入れているのだろうか。淀みなくこれまでの経緯と現状(不眠、意識混濁、腹部膨満感、倦怠感、無気力さ、人間関係、或いは向き合い方、将来を含めた諸々の不安と、それに伴う深夜~早朝にかけての徘徊癖……等々)を伝える。安心感を与える為のテクニックであるにせよ、カルテに細かく情報を記入しつつも、傾聴の姿勢を崩さずに、適宜相槌を打ち、心地よい返答をしてくれる事は非常に有難い。詳細は省くが、ホワイトボードを使って"Must思考"と"Want思考"なる説明を受ける。義務教育は一応受けたので、単語から大体の内容は想像はついたが、"~しなくてはいけない、しなくてはならない"という気持ちがこれまで先行していて、体調を崩してしまったのではないでしょうか。"やりたい事、欲望"がまるで湧かない、というお話でしたが、昨日、ご飯をお替わりした。食欲はある、というお話が聞けて、とても嬉しいです。焦らなくてもよいので、少しずつ時間をかけて自分のしたい事を見つけて、気持ちを取り戻して行きましょう。なので、今は"~してはいけない"、"~は止めておこう"と無理に考えなくても良いです。例えば"~は食べない方がいい"と余り考えすぎず、我慢しすぎずに、食べたいと思う物は食べるとかですね……といった内容(目茶苦茶端折ったが)。ご助言痛み入ります。それが出来ないので苦労しているのですが、でもきっと、そんな日がやって来る事を切に願っております、と思いながら、時間になる。もしまたカウンセリングが必要でしたら、お会計時に受付でお伝え下さい、との事。お礼を言って退室しつつ、次回もカウンセリングを受けようと既に決意を固める。自分の事が自分ではよく分からん。第三者の視点は重要だ。ふと気になって妻に訊く。俺、ちゃんと理路整然と話せてた? 話、回りくどくなかった?? 大丈夫、ちゃんとしていたよ。その一言の有り難み。

 診察を待つ間、たまった未読メールを開く(10月20日以降、代表は妻とLINEで遣り取りして、私の現状を確認をしている筈だ)。従って、代表から直接、私に連絡して来る事はない。てな訳で、別の人間からの一番、開くのに気が進まなかったメールを開く。恐らくはLINEを既読スルーしてしまった(前述した通り、返信する心の余裕が無かった)ので、改めてメールにて通達してきた筈だ。一通り目を通す。ご丁寧に過去のメール内容もツリー表示出来る様になっているので、遡って過去の(当時、代表の忠告もあり、敢えて読まなかった)メールにも目を通す。長い。余りにも長い(自分のこの記録は棚上げしつつ)。ちょっとした短編小説ではないか。幸いな事に速読に関しては多少なりとも自負はある。幸いかどうかは措いとくが、目を通し終えた。嘆息する。多少の事実誤認には目を瞑ろう(私のこの記録でさえ、記憶違いは間違いなくある)。自身のこれまでの言動に非がない訳では全くない(顔も性格も口も、総じて悪いので)。失望させてしまうのもむべなるかな。今までもそうだったし、今回の件も含め、きっとこれからも何らかの形で、私に関わる人間に期待を抱かせ、挙げ句失望させてしまう事は起こるだろう。だが、この内容を、今、このタイミングで送らなくてはならないのか。まだ、この先自分がどうなってしまうのか皆目見当もつかないのに。そこまで可及的速やかに伝えなくてはならないお気持ちなのか。いや、業務連絡の一環に過ぎないのだろうな。ちょっとトイレに行ってくるね、と妻が言う。行っといれ、と反射的に返事。その程度の親父ギャグを言えるだけの余裕は、まだあるようだ。或いは、空元気か。兎も角だ、アフォリズムっぽく述べるのならば、人間には二種類いる。"減点方式で他人を評価する人間"と"加点方式で他人を評価する人間"だ。勿論、実際の所、その両者の狭間で我々は常に揺らいでいる。だが、長文メールの主は、どちらかと言えば前者に相当するだろう。今回の件で自分の株は更に下落、何だったら大地をぶち抜いてブラジルまで到達したかもしれない(と記していて、ふと気になりググったけど、正確には日本の真裏はブラジルじゃないらしいすっよ)。まあ、考えても詮無き事だ。とまれ、妻が戻って来てからさして時間が掛からぬ内に名前が呼ばれ、妻共々指定の診察室へと入室。前回とは違う医師。最早、台本の読み合わせでもするかの様に、再度これまでの経緯と現状を説明。睡眠導入剤も試しに服用したが、まるで眠れないと訴える。同席している女医さん(?)が、猛スピードでキーボードを叩いていく。無機質且つ乾いた入力音。成る程ー、今出しているのがやや弱めのものなので、少し強いお薬出しておきますねー。後、簡単なテストをして貰いますので、戻ったら受付にお声がけ下さい。てな訳であっという間に診察終了。お大事にどうぞー、という女医さん(?)の声が虚しく響く。受付に戻りテストの旨を伝えると、二種類のクリップボード(及び用紙)を渡される。前者は心理テストなどでよく見かける質問事項に五段階で答えるもの、後者は(先入観を与えかねないので名前は伏せるが、多分ググれば直ぐにヒットすると思う)、とある絵を描くもの。面倒くせー。特に後者、圧倒的に面倒くせー! 迷う事無く前者から取り掛かる。"今の自分に自信をもてない" 、"将来が不安で仕方がない"……、"よくあてはまる"に決まってんだろうが、でなきゃ今此処にいねえよ。"反日感情を持っていますか"、"狂っているのは俺か、世界か"、"海は死にますか 山は死にますか 風はどうですか 空もそうですか"……質問、何だっていいじゃねえか。内心独りごちながら、何とか全項目に回答(頭が回っていない所為か、質問の意味を理解するのに時間を要する問いが数点あり)。さて、問題はお絵描きだ。小学校の通知表で図工の成績が万年、5段階評価で3だった(歳がバレるな)、後、高校生の時分(理由は何だったか忘れたけど)、美術教師を激怒させ、ぶん殴られた挙げ句、中間か期末考査か忘れたが、赤点ギリギリ(つまり最低点)の成績つけられた経験を持つ、俺の画力をなめんなよ。加えて、寝不足も祟ってか相も変わらず指に力が入らない、鉛筆を握る手を震わせながら、何とか描ききったそれは、"ヘタウマ"の次元を超越する、いや"ヘタウマ"なる言葉の定義を揺るがす出来だった。賭けてもいいが、次女(四歳)の方が絶対に上手い。まあ、今の自分にやれる事はやった。双方耳を揃えて受付に提出し、後はいつも通りの手順。外に出れば大分傾いた西日が街を照らし出し、猥雑な街にポツリポツリとネオンが点り始めている。長く伸びた無数の人々の影。世界は変わらず存在していて、それをどう感じるかは詰まる所、己の心情の反映に過ぎない。少しは美しく思えていたのだろうか、その時分の私は。ちょっと今日も歩いて帰りたいんだけど、無理しないで電車かバスで一人先に帰っていてもいいよ。土曜日の時よりは少しマシな気がする。路も分かるし。そう告げる。分かった、気をつけてね、と妻の返事。なるべく早く戻るね。そちらもお気をつけて、と声を掛け、僕らは手を振り合い、別れる。彼女が駅構内に吸い込まれるのを見送り、踵を返しゆっくりと歩き出す。胸を張り、前を向いて。時に空を見上げて。飛行機雲がキャンパスに、自分のそれよりも遙かに儚くも美しい二本線を描き、そうしてキャンパスは、次第に橙から藍へと変わっていく。

-10月22日

10月22日(日 前日(10月21)、帰宅後義母にお礼を述べ、我が家に来る中途で、購入して来て下さった様々なお惣菜を口に運ぶ。食欲不振は継続。しかし。薬を飲む為にも多少は何か口に入れなくては、というある種の義務感。食後、直ぐ様ラフな格好になり、白湯で薬を嚥下。風呂にも入らず、即リビングに横たわり、適当にiPhoneを弄る。LINEやメールの通知が何件か届いているようだが、チェックする気力無し。家に帰り着いたのが19時頃だったので、恐らく21時頃には意識を失ったのではないか。目覚めたのは昨日同様、日付が変わる直前(つまり、この時点ではまだ10月21日)。そうだ、きちんと眠らなくては。処方された睡眠導入剤(就寝前に一錠服用すべし、との事)をやはり白湯にて。よし、今日こそは存分に寝るぞと再びリビングに横たわり、いつもの様にラジオ代わりのYouTube再生……凡そ2時間が経過。ね、寝れねー。寝レン・イェーガー。ありとあらゆる手段は講じた。詳しい内容は前日(10月21日)冒頭の記述を参照して欲しい。何ならこの先、延々とコピペしたって構わない。この状態がこれから幾日にも亘り続くから。継続! 続行!! トイレに行こうと立ち上がるも、睡眠導入剤が逆効果だったのか、起き上がった瞬間身体がよろめく。何とか壁に手をつき、よろよろとトイレへと向かいながら「もう、完全にお爺ちゃんじゃん、俺」と独りごちた。兎も角、今や睡眠を取る事こそが我が責務。再びリビングへと戻り横たわり、目を閉じ(以下略)、そうして全てが徒労に終わる。挙げ句、3時過ぎ頃だろうか。突然、上階からコン、コン、コン、コンと周期的に何かで床を突くような音が聴こえ始める。やれやれ、遂に幻聴が始まったか。終わったな、俺。嘆息し、遂に眠るのを諦め、リビングチェアに腰掛け、暫しiPhoneを眺め、時間を遣り過ごす。昨夜ほどのいても立ってもいられなさはないが、落ち着かない事に変わりはない。いや、それ以前に夜が永すぎる。無理ポ。遂に意を決して、外出する。念の為妻に「眠れないので歩いてきます」とLINEを送る。暫く読まれる事はないだろうが。昨晩と同じく、Tシャツ+短パンにサンダル姿(これも当分コピペで用が足りる)。10月も後半とは思えぬ生温い空気の中を、ふらふらと彷徨う。コンビニ前で、見た目バンギャか何かかな(いや、最近オッサンにはもう、格好の括りがよく分からぬ)、と思しきおネエちゃんが、街路樹の根元でゲーゲーやっている。きっと来春、この樹は世にも香しく麗しい花を咲かせ、小鳥が囀り、木陰が人々を癒やす事でしょう。が、私が通りかかる気配を察してか、嘔吐はピタリと止んだ。成る程、泥酔しているとはいえ、人目を気にする程の理性(羞恥心?)はまだ兼ね備えている状態だという訳だ。大いに結構。自分だって、つい半日ほど前に医師相手に人間らしい会話を成立させるくらいの事はやって来たさ。第三者(妻)の評価を鑑みるに、それなりにちゃんとやれた。まだ、他人からどう見られるか、どう判断されるか、気になっちゃあいるさ。それが"理性"の証左と呼べるのなら、まだ自分は"マトモ"なんだろう。とても、そうは自己評価出来ないが。かくして、帰宅⇔徘徊の無限ループは、夜が明けるまで、そして夜が明けて家人が起き始め、朝食の準備をしている間も続く。日曜の朝、次女はすっかり『ひろがるスカイ! プリキュア』に夢中だ。そういえば、ほんの三週間前に二人で一緒に『プリキュア』の映画を観に行ったのだった。自分一人なら絶対にしない、ポップコーンを購入して。家族サービスの真似事だ。あれは何だったのか。僅か三週間で人間はこんなにも変わってしまうのだ。"天高く羽ばたいて 最上のココロ意気 イライラも キラキラに チェンジして 未知の世界 未来図は 可能性でいっぱい" 主題歌が聞こえてくる。プリキュアになりてえ、心底そう思いながら、妻が作ってくれたサラダとパンを口にねじ込んで、服薬。こういった時に痛感する。普段ズボラな癖に、妙な所では真面目だ、自分というヤツは。ご主人様の言いつけはきちんと守る、愚直なまでに従順な犬だ。

 午前中、よっちゃん(次女の仮名)と公園に遊びに行ってくるね、という妻の言葉を"廃人ソファ"に沈み込みながら、ぼんやりと聞く。もし、元気そうなら後で僕も行こうかな、と返事をしながら、気づけば小一時間ほど気絶。既に妻と次女の姿はなかった。ヘッドホンを着けながら一人iPadを弄っている長女に、二人はもう公園行った?と訊ねると、そうとの事。つい30分ほど前だと聞き、急ぎ洗顔し、(最早ユニフォームと化した)Tシャツ+短パンにサンダル姿で飛び出して、公園へ向かうも二人の姿は無し。空いていたベンチに腰掛け「もう公園から帰りましたか?」とLINE。待つ事5分、「うん! これから図書館へ向かうところ!」と返信あり。間違いなく先週の日曜に訪れたあの図書館(10月15日の記述を参照)だろうと思うも、これからそこまで向かう気力は今の自分には皆無。すごすごと家に引き返し、二人の帰りをダイニングチェアに腰掛け、ぼんやりと待つ。いつの間にか"廃人ソファ"を占拠した長女は、相も変わらずiPadに掛かりきりで、時折爆笑。けたたましい。一体全体何がそんなに可笑しいんだか。やけに癇に障る。妻と次女が帰宅。図書館に行った後、スーパーにて食材を諸々購入して来たらしい。昼食を食べ服薬、リビングにてグッタリするも、今度は次女がTVで延々と見始めたYouTubeの音量と、はしゃぎ声に完全に参ってしまう。妻にボソリと「喧しすぎて、気持ちが鎮まらないから向こうに行くわ」と告げ、急遽寝室へと避難。ベッドに身を投げ出しiPhoneを弄っている内に、再び小一時間ほど気絶。夕焼け小焼けで日が暮れて、夕餉の時間となる。確か豚しゃぶだったかと記憶しているが、何故覚えているかと言うと、妙に腹が空いてご飯を二杯もお替わりしたから(昼食は何だったかまるで思い出せない)。最近碌に食べていなかったとはいえ、うむ、どうやら食欲は出てきたようだ。俺には欲がある。欲望の芽生え、再興。僅かではあるがその兆しを感じ取る。食後服薬。しかし、食べ過ぎたせいか、体調悪化に付随しずっと感じてきた下腹部の膨満感がより一層増す。それが気になっているのも眠れぬ一要因。満腹且つ下腹部に不快感を感じつつ横たわってゴロゴロしている内に、例によって恐らくは21時頃に再度気絶。日付が変わる直前頃に再び目覚め、後はご承知の通り、前夜の反復。深夜徘徊を幾度となく繰り返し、夜明けを待つ。果てしなく永い。しかし、待ち続ける以外に何が出来ようか。にしても、幻聴でないとすれば、上階の住人はこんな深夜に、コンコンコンコン何やってやがんだ。僕らが越して来た以前から住んでいると思しき、一見何処にでもいそうなお婆さんだが(早朝にエレベータで一緒になる機会がたまにある。毎回めっちゃ大荷物を抱えている)、同居人の有無は定かではない。後、夜窓を開けているとたまに漂ってくるタバコの香りは、上階の住人がもたらすものらしい。私は嗅覚が鈍いので、ここら辺は妻(と周辺)情報。いずれにせよ、何なんだ。何かの儀式か。藁人形でも打ち付けてるのか。其方は呪詛師か。

-10月21日

10月21日(土) 恐らく前日の21時頃には気絶でもするかのように眠りについたのだろう。目覚めると、日付が変わる直前。既に家人は皆眠りにつき家は静まりかえっている。眠ろう、とにかく今は眠ろう。ゼロがいい、ゼロになろう、もう一回。いつものようにラジオ代わりとしてiPhoneYouTubeを再生する。深く考えずに、某お笑いコンビの"傑作漫才選 睡眠用/作業用"をチョイス。3時間以上あるようだし、流しっぱなしにしていれば、そのうち眠りにつけるだろう、と瞳を閉じる……寝れねー! マジ、ハンパねぇ! 大きく伸びをしてみたり、寝返りを幾度となく繰り返してみたり、うつ伏せになったり、胎児の様に丸まってみたり、思いっきり開脚してみたり、深呼吸してみたり、果ては羊を数えたり……、必死の努力を嘲笑うかのように、耳元では延々と漫才が続く(なら停止しろや)。忍びねぇな。構わんよ。2時頃だっただろうか、遂に二度寝を諦め、明け方まで起きていようと決心する。ダイニングチェアに腰掛け、iPhoneに目を遣るも集中力が続かない。直ぐに画面を閉じる。何もやりたい事がない。思いつかない。冷蔵庫の鈍く微かな振動音が矢鱈と気に障る。ダメだ、座っていられない。そもそもじっとしていられない。落ち着かない。立ち上がり、リビング、ダイニング間(距離にして10mもないだろう)を暫し徘徊する。奇行種か、俺は。……次第に閉塞感、いや息苦しさを感じ始める。外の空気が吸いたい、もっと空気を! 寝間着姿(Tシャツ+短パン)にサンダルを突っかけて、よろよろと外へと飛び出す。断っておくが此処は真夏の湘南ではない。深夜3時過ぎのスラム街。そんなラフな格好でも、心地よく感じられる夜風。10月も後半だというのに。地球も俺も何処へと向かっているのか。地球の事は判らんが、現状、俺に向かう場所(未来)はない。弱気な性(さが)と裏腹なままに、身体疼いてる。なので、近所のコンビニというコンビニを転々とする。フラフラと。街頭に引き寄せられる蛾と何ら変わりない。有難い(?)事に、コンビニ大手三社は近所に一通り揃っている。なんなら、+αだってあるさ。かくして、コンビニからコンビニへとあてどなく彷徨い、近所を一周。所要時間としては10分といったところか。そっと家に戻り、リビングチェアに腰掛け一息つくも、また直ぐに息苦しさが襲って来る。いや、はっきりと言おう。"不安"だ。自分が、家族が、未来がどうなってしまうのか、皆目見当がつかない、茫漠とした"不安"。"後悔"だ。信頼を築きあげるのには膨大な時間が必要で、喪うのは一瞬。今から一体どう回復できるというのか。顔向けなど出来よう筈もない、そんな"後悔"。

 再び夜へと飛び出し、光を求め、あてどなく彷徨う……と記せば響きは良いが、端から見れば紛うことなき不審者である。警官が通りかかった日にゃあ、職質一直線。それくらいの自覚はある。ところでおまわりさーん!紛失した鍵(10月14~15日)、まだ見つからないっすかー? ……四度目の深夜徘徊から戻り、ドアを開けると、寝間着姿の妻が仁王立ちになり、開口一番「こんな時間に、何してんの?」と問うてくる。そりゃそうだ。……眠れなくて、何だか落ち着かなくて、ウロウロしてた」「明日早いんだから少しは静かにしてよ。とりあえずちゃんと横になって」「……すみません」 寝室に戻る妻をぼんやりと見送り、自分もリビングへと戻り、再び横になる。目を閉じる。そして、入眠との格闘は果てしなく続く。際限なきトライアル&エラー。心なしか右脇腹や背中がたまにチクチクするような気がして、ついつい寝返りの頻度が高くなる。今年の健診結果出てないけど、そういや去年の検診でもγーGPT、ALT、AST、総じて数値ヤバかったしな。肝臓や腎臓、下手すりゃ膵臓なども含め、あちこち相当悪いかもしれない。そんな事を考え始めると、余計気になって、天下のGoogle様で様々に検索をかける。実は以前から、具体的には母の死を契機として、色々と自分の身体は気にしていて、こうした類いの検索は頻繁にしていた。代表は「"背中 痛み"で検索かけたら、そりゃあ大体悪い結果しか出て来ないですからねえ」と笑っていたが。次第に空が白んで来る。その光が今や、大層疎ましく感じられる。結果、まんじりともせず。

 前日の宣言通り、妻が帰宅するまで長女と留守番。とはいえ意識は朦朧として何もする気になれず、通常運行のグッタリ具合。無論、食欲絶無。彼女はリビングでiPadに夢中、ヘッドホンを装着し、時折爆笑している。どうやら父の出る幕はなさそうだと、そそくさと寝室へと移動。ふかふかのベッドに倒れ込む。嗚呼、俺も数年まではこのベッドで家族四人身を寄せ合って眠っていたのだ。子ども二人、同じポージングで並んで寝ているのを妻と一緒に笑ったりしていたっけ……、等と考えていたかどうか定かではないが、気づけば小一時間ほど気絶していた。再びリビングに戻ると、長女は"人間をダメにするソファ(呼称復活!)"に沈み込み読書中だった。本好きな点は明確に父親似だが、肝腎の父と来たら、今やこの体たらくだ。そもそも最近じゃろくすっぽ読書する時間や気力もないぜ、やれやれ、等と思いながら、ダイニングチェアに腰掛ける。黙々と読書に耽る彼女を見遣り、改めて思った。やりたい事が何一つとして思い浮かばない(前述した深夜徘徊も自ら望んで行ったわけではない)。いや、絶対に、無数の欲望が、己の内に眠っている筈なのだ。マジな話、世界のほんの片鱗で良い。まだまだ、様々な事を見たい、知りたい、出会って、感じてみたい。加齢による感性、気力、体力の衰えは致し方ない。だが、そうした要素を差っ引いたとしても、これまで通りの暮らしを続けていれば、自ずと無数の欲望は生じる筈だ。無論、諸々の負の感情もまた付随していく。だが、そうした負の感情すら反転させ活力へと変えていく。生と欲望とは決して切り離せないのだと、元気があれば何でも出来るのだと、今の自分は正に身を以て感じている。閑話休題。遙か昔、大学生の時分にも同様の事があった。恐らく私が一番愛した女性から別れを告げられた時、自分は、ほぼほぼ壊れた。三日三晩ろくすっぽ食べる事も眠る事も出来ず、会う人間会う人間からその変わりように驚かれた。大袈裟ではなく、少し強い風が吹いただけで身体がふらついた。精神はふらつくどころの話ではない。大時化、船酔い待ったなし。独りでじっとしている事に耐えきれず、心情を洗いざらい誰彼構わずぶちまけたくて堪らず、無断で友人宅に押しかけ、「それはどうなの?」と諭されたり、後輩の女子に講堂の広場前で延々とお辛みをぶちまけ、挙げ句「寒くなって来たんで、そろそろ帰りません?」と言われたり、飲み会で一度会っただけの人間(殆ど他人同然)にたまたま構内で出くわし、無理矢理飲みに誘った挙げ句、家に半ば強引に押しかけ夜通し語り合ったり(相手にすりゃあいい迷惑だ)……、こうしたエピソードは枚挙に暇がないが、確実に今の自分が(ゆうても、今の自分だってぶっ壊れているのだが)当時の自分に向かって言える事は、この一言に尽きる。"小僧、ソープ、じゃなかった、心療内科に行け!" 前日(10月20日)私が車中で代表に申し上げた"様々な要因がこれまであったにせよ、水に喩えるならば自分という器の内でギリギリ表面張力によって保たれていた感情、最後の一滴で一気に決壊してしまったんですよねー!!(コピペ)"なる文句は、今にして思えば正鵠を射ていなかった。再び話を過去に戻すと、彼女から別れを切り出され、ぶっ壊れた私は結局、後輩に誘われるがまま一緒にラーメンを食べに行き、帰宅後泥のように眠った。半日は寝ていたのではあるまいか。そうして目覚めた時、日当たりの悪いアパート一階にあった自室には光が満ちていた(真向かいの家の窓に反射する光の関係で、そうした時間帯があった)。その事に意味を見い出そうとするのは簡単だし、ただの偶然に過ぎぬと片付ける事も容易だ。単なる事象の一つに過ぎない。だが、僅かな時間であれ、光に溢れていたあの部屋は美しかった。その後、私は、フィジカル面に於いては、みるみる回復を果たしていった。もりもり喰らい、腕立て含め自己流の筋トレをした。自転車であてどもなく都内を走り回った(ひたすら明治通りを走るとか)。狭い自室に戻りめそめそ泣き、或いは布団に横たわって音楽を聴いてはまた泣いた。なるべく馬鹿馬鹿しい(海賊達が所狭しと暴れ回るような)映画を独り観に行き、暗闇の中で光を見つめ、それなりに笑った。そうして、数日過ぎた後、この脆弱なメンタルを誤魔化すために、思い切り、半ば無理矢理、身体を動かす事を決意した。友人にバイトを紹介して貰い(今にして思えばよく面接受かったなと思うが、恐らく担当して下さった副店長が同情してくれたのだろう)、シフトを入れまくると、馬車馬が如く働きまくった。そうする事で、私は精神的苦痛から目を逸らし、余計な事を極力考えないようにしたのだ。そして(たかがバイトにせよ)、長時間労働に耐えうる健康な肉体とヴァイタリティを当時の私は有していた。端的に言えば、(馬鹿で)若くて元気だったのだ。水こそ溢れてはしまったが、"身体"という名の器そのものは、その頃はまだ、思いの外強固だった。今の私はそうではない。粉々ではないにせよ、経年劣化した器自体にヒビが入り、水が少しずつ、だが、今この瞬間にも確実に、漏れ出している。

 11時が近づき、長女が「パパ、カレー貰いに行って来るね」と私に声を掛ける。「一人でも大丈夫?」「うん、大丈夫」「分かった、気をつけてね」「うん」 業務連絡にも似た簡潔な遣り取り。長女と会話を交わす機会はめっきり減った。そもそも私の仕事柄、普段顔を合わす機会が少ないという事もあるのだが、それだけが理由でもない。彼女は彼女なりに色々と苦悩している事も重々承知している。黙って彼女は出て行く。扉の閉まる音、微かに聞こえる廊下を駆ける足音。不意に思った。これではダメだ。子ども一人、ご飯を取りに行かせるなんてあまりにも親として無責任すぎる。変わり映えせぬTシャツ+短パンにサンダル姿で外に飛び出し、階段を駆け下りる。それだけでフラフラする。エントランスを抜け、娘の姿を探せば、見つけた! 既に信号を渡り終え優に100m以上先を歩いている。なんちゅう足の速さよ。流石に走る気力はなく、競歩スタイル(?)で後を追う。ええぃ、早う信号青になれぃ! そうこうしている内に角を突き当たりの角を曲がり、彼女の姿は私の視界から消える。まあ良い、行き先は分かっている。信号が青になる。彼女の歩きそうな道を、自分なりの速度MAXにて歩いて追うも、姿は見当たらず、結局こども食堂前にて彼女に落ち合う。「パパ?」少し驚いた様子だ。どうも手順が分からず徒歩に暮れているように見えたので、「奥に行って、お姉さんかおばさんに声かけてご覧。後は、名簿に自分の名前と年齢と住所書いたら良いと思うよ」「分かった」 そう返事をして、彼女は奥へと入っていく。「すみませーん」と声を上げている。すぐに女性が出て来たのでどうやら上手くいきそうだ。暫く、ぼんやりと待っていると、長女が戻って来る。「頼めた?」「うん、大丈夫」 そのまま双方無言のまま、カレーの準備が出来るのを待つ。やがておばさんが、ビニール袋を両手に提げ出て来た。一方の袋にはカレー、もう一方にはどうやら結構な量のお菓子が入っているようだ。「はい、どうぞ。気をつけて持って帰ってね」「ありがとうございます」 彼女が袋を受け取り、親子二人頭を下げて帰路に着く。「パパが持つよ」「うん」 彼女から袋を受け取る。「ひょっとして、公園の近くの道から行った?」「うん、それが一番近いから」「そっか、だから追っかけても全然姿見えなかったんだ」 そうしてまた暫し会話が途切れ、思い切って私は重い口を開く。回らない頭をフル回転させて。「のんちゃん(長女の仮名)」「ん?」「のんちゃんも色々大変だと思うんだけど」「……」「パパも今、ちょっと大変なんだ」「うん」「ごめんね」「うん」「だから、もし何か辛い事があったら、遠慮なく思ってる事言ってね。別に無理して言わなくてもいいけど。言いにくかったら、ママにでもいいから」「わかった」 もう父親と手を繋いで歩くようなお年頃でもない(ご家庭にもよるでしょうが)。微妙な距離はあるにせよ、短時間にせよ、親子二人並んで歩いた。本当に、久しぶりに。

 落ち着かぬまま、たまに近所徘徊を繰り返しながら妻の帰りを待つも、なかなか帰って来ず、次第に不安が募り始める。確か病院の予約時間16時半からって言ってなかったっけ? もう15時回ってるんだけど。義母がそれくらいの時間に来るって行ってなかったっけ? いらっしゃる気配全然ないんだけど。遂にLINEを妻に送信。記録上では15:36。「今日16時半で間違いありませんか」 ご丁寧に泣き顔のスタンプまでつけて。いや、ご愁傷様か。程なくして、妻が次女を連れて帰宅。間髪入れずに義母も到着。既に出発の準備は済んでいたので、義母に「申し訳ありませんが、娘達をよろしくお願いします」と伝え、そのまま妻と二人で出発する。「どうするタクシーで行く? でも、確か病院って西口だから面倒くさいんだよね」「いや、大丈夫そう。バスでとりあえず東口まで行って、そっから構内を突っ切ろう」「本当に大丈夫、歩けそう?」「うん、昼ものんちゃん追っかけてカレー貰って来たし」 そうした遣り取りをしながら最寄りの停留所に到着すると、タイミングよくバスが二台連続して到着。どう見たって、後者が圧倒的に乗客数が少ない。迷わずそちらを選択。とはいえ、座る余地なく、吊革を握る。如実に手に力が入らない。バスが揺れる度に手を離し、倒れ込んでしまうのではないかと怯えながら、何とか終点の東口に到着。吊革や手摺りにお掴まり下さい。至極ご尤も。かくして降り立った休日のターミナル駅前は人、人、人……また人、の形を模した欲望が、有象無象が、蠢いている、等と考えている余裕などまるでない。酔いそうだ。ただでさえ、休日にごったがえす場所へとわざわざ赴くなんて行為は愚かだと、常日頃から思っていた人間なのに、この人の波をかきわけ、いや、人の壁をすり抜け、ふらふら彷徨い歩くなど、脇に妻がついてくれていなければ、まず無理だったに違いない。リアル"ぶつかりおじさん"爆誕必至である。とまれ、目的地への経路自体は、私自身が通勤で頻繁に利用する駅という事もあり、把握済み。迷う事なく病院へと到着。

 初めての心療内科。驚くべきは診察を待つ患者数の多さよ。休日である事を鑑みても、それなりの広さがあろう待合スペースの八割以上が埋まっている状態。一見誰も彼も普通そうなのだが、そりゃあそうだ。悪事を犯す度にいちいち高笑いする判りやすい悪党なんて、映画でしかお目に掛かった事ないからな。"Slaughter is the best medicine."ってか。"この狂った世界で、誰一人としてまともになんて生きられっこない"ってか。実に陳腐。が、まあ、そうかもしれないな。"同病相憐れむ"たぁ、よく言ったもんだ……等と考えている余裕など、無論その時にはない。受付にて予約時間と名前を告げ、保険証を提出。空いているソファを見つけ二人並んで座り、受付で渡された所定用紙に必要事項を記入する。相変わらず、指に力が手が入らず、ペンを握る手が震える。何とか書き終えるも、我ながら呆れるほどのへなちょこ文字。ほんの数週間前の人間と同一人物の筆跡とは到底思えず。予約時間を迎えるも名前を呼ばれる気配無し。その間、妻と色々と話をする。昨日、どんな連絡が妻にあったのか、ここ最近自分が感じていた諸々の事、この先自分はどうやって生きていけば良いのか。「先方にも迷惑かけちゃうから、やっぱり昨日は無理せず休んだ方が良かったね」「やな事あったら、溜め込まないでどんどん他人巻き込んでグチグチ文句言ってけばいいんだよ。私の職場なんてそんなんばっかだよ」「狡いするのも仕方ないよ。人それぞれ、おうちの事情とか色々あるんでしょ。どうせその人の人生なんだから放っておけばいいんじゃない? お給料は貰えるんだし」 妻はほぼ聞き役に徹してくれた。実にありがたかった。そうこうしている内に、予定時刻を15分ほどオーバーして漸く名前を呼ばれる。妻と二人で診察室へ入室。腰掛けるよう促され、お話が聞かれたくないようなら、奥様には一旦退室してお一人でお話を伺うことも出来ますが、と告げられる。迷うことなく同席して欲しいと伝え、受診開始。これまでの経緯、今不安で仕方がない事、食欲不振、不眠……、時折妻にもフォローされながら、諸々説明していく。挙げ句の果てには「このままでは自分、本当にマズいと思うので入院して治療して頂きたいです(切実)」とまで口にする。同席している女医さん(らしき人)が、(恐らくは)私の話の内容をキーボード入力していく。実はひたすら"REDRUM”って打ってるだけだったりしてな。「そこまでのレベルでは全くないと思いますよ」と私の言葉に応えながら、医師も状況を色々整理しているらしく(業務形態がいまいちピンと来ていなかったようだ)、最終的に「ああ、なるほど。そういう事でしたか。分かりました」と合点がいった模様。想定以上に時間が経過したようで、ドアがノックされ、看護師さんから次の患者さんの診療時間が迫っている旨告げられる。とりあえず、次回診察までに一度内科で血液検査をして、検査結果を持参して下さい、で、次回の予約はいつにしましょうか、という話になり、迷う事なく、なるべく早い方が良いですと即答。毎食後に飲む精神安定剤("心と体の調子をよくする薬です"だなんて、なんてふわっとした表記。優しいね)と、就寝前に飲む睡眠導入剤を処方して貰う。正式名称は割愛。その後、別室にて栄養カウンセラー(正式名称失念)なる温和そうなおじ様から食事についてのアドバイスなどを受けるも、当方の活動限界間近。脳内にて繰り広げられるは"KAERITAI"のシュプレヒコール。いつ暴動が起きてもおかしくない有様。大丈夫、きちんと妻が聞いてくれている筈……と思いつつ、自分なりの理解としてはクッキーやパスタのような小麦粉を使った食物は極力避け、タンパク質や栄養価の高い物(鶏肉、ブロッコリー、ナッツなど)を摂取するように心がけて下さいね。でも我慢しすぎも禁物なので、食べたいと思った物を時には食べてみて下さい、的な? ママー、こんな感じで大体合ってるかなあ? まあ、こんなん記してる時点(某日の23時頃)で、家人皆就寝しているのですが。その後待合スペースに腰掛け会計を待つ間に、ふと気になって妻に尋ねる。「ちゃんと、理路整然と話せてたかな? 支離滅裂じゃなかった??」「うん、大丈夫だったよ。でも少し話が長いかもね」 胸に去来する代表からの言葉。「だから、先に結論から話すようにしたらいいんじゃない。順序立てて色々な事を一度に説明しようとしないで」 そんな会話をしていると名前が呼ばれ、受付にて、次回受診予定をいつにしますかとのお話。次女のお迎えの関係などもあり、結果、1023日(月)14時半に決定。カウンセリングも迷わず希望。自動精算機で会計を済ませ、薬局にて薬を処方、序でにお薬手帳も作成して貰う。かなり時間が経ったように感じられたが、iPhoneを確認すればまだ17時半を少し回った位だった。「どうやって帰る? 電車??」と妻が訊いて来る。「何か歩きたい気分だな。最近ろくに運動してないし。多少疲れた方が眠れるかもしれない。それに、息苦しい。外の空気が吸いたい。別に無理しないでいいよ。一人でも帰れるから」「いいよ、じゃあ、歩こう」 そうして僕らは歩き出す。昔長女を保育園まで送った後、幾度となく歩いた道だ。最短ルートは分かっている。が、妻は私の思い描いていたのとは違った道を歩み出す。まあ、いいか。多少遠回りにはなるけれど、それでも大体の道は分かる。少しでも多く歩いた方がいい運動になるかもだ。足取りはフラフラ、頭はクラクラだが。線路を一本隔てただけで街の様相は一変する。行きの景色とはまるで異なったそれ。高校の日本史教師がしきりに口にしていた"悪所"なる単語をふと思い出す。無数の、剥き出しになった欲望の影が、幾つものどぎついネオン灯に照らし出され、万華鏡の様に煌めいている。自分から歩く事を提案したものの、やはり足元が覚束ない。危うく黒服のお兄さんに衝突しそうになるところを寸前で回避。そうして気づけば夫婦共々、ホテル街の入り組んだ狭い路地へと入り込んでいた。まあ、妻に従って着いて行けば、大体この辺りに到達するだろう事も見当はついていた。大丈夫、適当に歩いていけば直ぐに見知った道へと出る。とはいえ、端から見た俺らってどう見えてんだろうな。休憩所を探して彷徨う、不倫中(しがないスーパーの店長+家計を支える為、週でレジ打ちのパートに出た人妻)のカップリングってな具合か、いや、路地を彷徨い歩く今の俺、袋小路のどん詰まりじゃねえか……等とどうでも良い事を考える。にしても、二人きりでこんなにも多くの事を、真剣に話したのはいつぶりだろうか。ライフサイクルの違う二人。朝は大体妻の方が慌ただしく、朝食の準備やら、娘の髪を結んだりやらしている内に、時間となり一足先に出社。私はというと、下の娘を保育園に送った後、家に戻り、洗濯物や洗い物を片付け、午前中は比較的優雅に過ごし(最近はそうでもなかったが)、昼過ぎに出社、仕事を終え夜遅く帰宅した時には、既に皆就寝、そんな日々の連続。土日も自分はここ数ヶ月もの間、ちょいちょいと仕事の予定を入れ、その間妻は家事含め、二人の子どもの面倒をみてくれていた。家族全員一緒にいられるのなんて、土日の夜くらいだろうか。その場にしたって、さして真剣な会話が繰り広げられる訳ではない。食事が終われば家族各々が思い思いの時間を過ごして……。なので、ここぞとばかりに僕らは様々な話をした。特に夏の間、多忙だった自分がきちんと把握し切れていなかった長女の状況や彼女の今後の事、次女が抱えている、とある問題について、来年辺りから時間の遣り繰りどうしよっか(どうにかするしかないのだが)、とか、妻が産後一年間本当に心に余裕がなく、流石に鬱になるかと思ったという話やら。そんな事を話しながら歩き続ける内にとっぷりと日は暮れ、家の近所にある悪名高き"開かずの踏切"に近づく。カンカンカンカンカンカンカンカン……実に耳障りな踏切の警報音。よくもまあ、誰も彼も、突っ立って待っていられるものだ。魂でも抜かれたのか?(他人様に言えた義理でもないのだが) ま、どうせ直ぐに別の電車がやって来て、当分は開かないだろうから地下道から行くか、と思い歩みを進めると、何という事だろう、轟音を響かせ電車が通り過ぎた後、奇跡的に踏切が開いた! うん、今日は何だか良い事ありそう!! 二人は歩むよ、コンクリート・ロード。どこまでもつづいてるコンクリート・ロード。

-10月20日

10月20日(金) THE JUDGEMENT DAY. 早起きし、山積している課題を一つでも多く片付けなければ、あれほどそう思っていたにも関わらず、目覚めたのはいつもとほぼ変わらぬ6時過ぎ。1時間以内には家人が起き出して来る。そうすればあっという間に慌ただしくなり、集中して課題をやっつけるのは困難と判断。ならばいつもより早く現場に行った方が遙かにマシな筈だ。てなわけでプランB。先に洗濯物を片付ける事にする。洗濯機を回し、干し終えたのが恐らく7時前。家人が続々起き出して来る。基本一日二食なので、朝のこの時間帯、私が何かを食する事はない。国営放送のアナウンサーの声、懸命に想いを伝えようと絶えず発せられる下の子の声と、優しく応えながらも早く食べようねと促す妻の声。なんで前の日に学校の準備しとかないのー? 今更今日の提出物出されても、ママもう時間ないんだけど! ねえ、返事は!? はーい、ママ、ごめんなさいー! 縦も、加えて(本人は大層気にしている)横もすっかり大きくなり、妻の背丈に今にも並びそうな勢いで日々成長している娘の受け答えは、お年頃ってな具合。加えておざなり。そうした諸々全てをBGMに、いやノイズだと感じながら、黙々と、着々と、出勤準備を調える。内心大いに焦り、苛立ちながら。

 前日、代表から本日の"現場"についての可否の見通しについて連絡頂けると有難いとなる旨のLINEが入っていた事を思い出し、"現場"には予定通り行く旨、及び心療内科については1023(月の10時に予約し、受診後出社する予定である旨、併せて返信。この時はまだこんな大事になると想定していなかった(という時点でヤバいのだが)。娘を園へと送り、その足で現場へ直行する事を即決。時間帯的に誰も来ていないだろうと判断し、思い切って徒歩で向かう事にした。なに、幾度となくやって来た事。道順は頭に入っている。所要時間約40分。最近欠勤がちでろくすっぽ出歩いていなかったので、良い運動にもなるだろうし、気分転換の効果も望めるかもしれない。大丈夫、まだ慌てるような時間じゃない。Let's 有酸素運動。Viva la ウォーキング。10時前頃に現着。既に"鉄人("現場"担当の別名、というか私が勝手に読んでいるだけ。身体が目茶苦茶丈夫で、且つ年間推定360日は稼働しているから)"が到着しているかと思いきや、しっかりと施錠されている。これはちと想定外。"鉄人"の事だから、てっきり毎日9時頃には現着しているものだとばかり思い込んでいた。やむを得ず、暫し現場周辺を徘徊し、最終的に某コーヒーチェーン店に飛び込んで、時間を潰す。資料にざっと目を通し、赤を入れようとするも内容がまるで頭に入って来ない。さして難解なそれではないにも関わらず。明るく広々とした店内(常套句)。その割にこぢんまりとした二人掛け用のテーブル。余裕かまして談笑する店員達。新人と思しき可愛らしい女子アルバイトへの教育に余念無し。ここに長居は無用だ。解読を諦め、大分水っぽくなったコーヒーを飲む事に終始する。今度、機会があったら文庫本片手に、優雅な時間を過ごしに来る事にするよ。"今度"があればの話だが。11時過ぎ頃に再度"現場"を訪問。解錠されていた。そっと中に入ると"鉄人"は来客応対中。隣室の業務室に入り、いざ本格的に課題に着手する。タイムリミットは約5時間。とりあえず本日分に関しては確実にやり遂げなければならない。壁越しに微かに漏れ聞こえる"鉄人"と来客との遣り取り。何故だか自分の事を言われているような気がする。それも高(好)評価ではなさそうだ。まあ、そうだよな。そもそもが現職、自分のやりたくない仕事三本の指に入ってたもんな。結局、自分が親父と同類みたいになるようでさ……、いやいや、んなこたぁどうでもいい。優先順位、とにかく優先順位をつけろ。多少の遅延や犠牲はやむを得ない。それはきちんと謝罪をした上で、改めて成果物をお届けすればよい。そこまで緊急性がある物でもない筈だ。とにかく身体を動かせ、一文字でも多く何かを書け……、恐らくそんな事を考えていた筈だ。やがて事務の方がやって来たので部屋を移動する。遅々として作業は進展していないが、ここから本腰を入れていかなくては……、クズ政治家のクソ答弁のようだが、その後の記憶がほぼすっぽりと抜け落ちている。覚えているのは"鉄人"に椅子に座らされ、「奥様に連絡しますので、携帯の暗証番号を入力して貰えますか」と言われ、入力した事。LINEアプリの起動に矢鱈と手間取った事。「大丈夫です」と立ち上がろうとすると「立たないで下さい! そこにじっと座っていて下さい!!」と制止された事。そのまま判決を待つ被告人の様に、言われるがまま、項垂れたまま、じっと座っていた事。パンツが酷い有様だった事。どれ程の時間が経っただろう。いきなり弊社代表が現れた事。「向こうのお部屋にあるのはそちら分の資料ですね?」と"鉄人"に確認された事。「これから車で自宅まで送るので、一先ず今日は帰りましょう」と代表が仰り、リュックを持って下さった事。後で妻から聞いて判ったのだが、"鉄人"が私のLINEから妻や、妻の実家、不動産屋(詳細は割愛)、そして弊社代表に連絡して下さったらしく、結果、代表が仕事の合間を縫って急遽私を迎えに来て下さったそうだ。履歴では諸々の連絡は16時前。なので恐らく17時前には現場を後にしたのだと思われる。

 車中で、代表は非常に私を気遣ってくれて色々と他愛のない話をして下さった、筈だ。最早何を話したかすら殆ど覚えていない。「乗っている車、昔からですか。かっこいいっすね-」くらいの事は言った、ような気がする。今夏良く歩いていた見慣れた街並みが、車窓からでは妙に新鮮に思えた。街の灯が少しずつ増えていく。そんな事を考えていた、ような気がする。近くの交差点で降ろして貰うつもりが、結局自宅前まで送って貰う事に(代表からしてみれば、危なっかしくて降ろすに降ろせなかっただろうが)。自宅前のコンビニ駐車場に一旦停車してもらい、そこで思い切って「少しだけお話してもよいですか」と、私の方から切り出す。一体、何を考えていたのか。恐らく代表としてはいい迷惑、且つ私の話の内容は支離滅裂だっただろう。しかし、どうしても言いたい、言っておかなければならない事が幾つかあった。代表や"鉄人"への感謝の想い、その信頼を裏切ってしまった事、大事な時期であるにも関わらず、顧客に対し満足のいくサービスが提供できない事の悔しさ、申し訳なさ、不甲斐なさ。先日言われたとおり、自分はやはり"社会的弱者"なのだという事、人間関係の悩み、家族にも感謝しきれないのに、余りにも父親として頼りない事、その遣り切れなさ。自分がどんどん壊れていく実感があるという事、今後どうしていけば良いのかという事。なんか、身体が動かんのですよねー! 多分、様々な要因がこれまであったにせよ、水に喩えるならば自分という器の内でギリギリ表面張力によって保たれていた感情、最後の一滴で一気に決壊してしまったんですよねー!! 恥ずかしい事に、最後の方は嗚咽していた。大のおっさんが。どう考えたって、ヤバい。だが、代表はきちんと最後まで話を聞いて下さり、私が落ち着くのを待ってだろうか。「次の仕事に向かわないと行けない時間なので、そろそろ失礼しなくては」と、わざわざ目と鼻の先にある家のエントランスまで、車で送って下さった。そこで妻が待っていた。二人で深々とお辞儀をして、車を見送り、抱えられるようにして我が家に戻る。シャワーで身体を清め、"廃人ソファ"に沈み込む。声を絞り出して、これまでの経緯を色々と訊く。迷惑を掛けた事を謝る。「眠れないならソファベッド買おうか、色々検索してるんだ」と妻が言う。数日前からずっと言われていた事だ。金の無駄だと私が購入を渋っていたのだが。頷く。「明日、私、午前中仕事だから、次女は保育園に預けるね。後、こども食堂の日だから長女にはカレー貰って来るように言うね。パパの分もいる?」 首を横に振る。食欲は絶無。「心療内科、月曜の午前中に予約してたけど、サイト見たら明日の夕方でも予約できそう。私が帰って来てから、一緒に行く? その間、子ども達はママ(義母)に来て貰って、見てて貰うから」 頷く。はっきりと。

-10月16日~10月19日

10月16(月 記憶が完全に抜け落ちているが、後日タイムカードを確認したところ、打刻されていなかったので、恐らく欠勤したのだろう。或いは打刻し忘れたか。夕方に代表から昨日の弊社スペアキー紛失の件で、鍵無しでも入室可能な方法についてのLINE送信履歴あり("パルクール"宜しく、窓から入れ、とかいう訳ではない)。既読スルーしている事から察するに、恐らくこの辺りから既に返信すらも億劫な程に、心の余裕をなくしていたものと思われる。神様、私は一体この日、何処で、何をしていたのでしょうか(こう記している内に、もしかしたら普通に出社して業務をこなしたのでは、とも思えてきたが、解らない。何が愛なのか? 何が嘘なのか? 解らない……ただ、君だけが恋しい)。

 

10月17日(火) 疲労と倦怠は続くよ、何処までも。本日は現場の日。先日同様、重い腰を上げ、やっとの思いで課題を片付け、支度をこなし、無事到着。来たる時まで準備を進める。他にする事もないので。変わらず食欲不振。頭の回転、頗る鈍し。こまめに水分を摂ろうと努める。ただでさえ喉を酷使する仕事。これからますます空気が乾燥する季節もやって来る(筈)。諸君らの協力が必要だ。極力余計な事をしでかさなければ、その分こちらの負担も軽減される。"コスパ"だの"タイパ"だの唾棄すべき言葉以外の何物でもないが、時間とキャパが限られている事だけは双方共々確かなんだ。頼む。俺に極力無駄な時間と労力を掛けさせないでくれ。集中させてくれ。割といっぱいいっぱいなんだ。礫のように降って来る課題、課題、課題。本日中に全てを捌ききるのは、ヘロヘロな今の自分には不可能だと瞬時に判断する。ならば優先順位をつけるしかない。なるべく御しやすいものから。"トリアージ"の逆バージョンみたいなもんか(いや、違うか)。方針を決め、いざ取りかかるも、そうは問屋が卸さんぜ、と言わんばかりに身体が思うように動かない。ああ、マジでダルい。そもそも何故に、こんなにも、俺はゴチャゴチャゴチャゴチャと懇切丁寧に記さねばならないんだ? 口頭で伝えた方が遙かに早いし、労力もかからんに決まってんだろうが。せんせー! 情報伝達って人類が五感を通して行ってきた歴史が、文字の歴史よりも遙かに長いんじゃありませんでしたっけー? 私の伝え方の悪さが問題ですかー?? それって本当に私だけの責任なんですかー??? バナナはおやつに入りますかー???? そうこうする内にTime's up. 業務内容自体は低調ながらも何とか体裁を保てた(という、取り敢えずの自己評価)が、残された課題の山に心底気が滅入る。いつにも増して感じられる、背負うリュックの重みよ。"俺は責務を全うする!"と、ろくすっぽ読んだ事のない某有名漫画の台詞を胸に何とか退社。お前も、鬼になれ。

 

10月18日(水)~10月19日(木) この両日の記憶は曖昧模糊としている(こんなんばっかで申し訳ないが)。LINEを見る限り、両日共に欠勤の連絡らしき通話履歴が残っているという事。後は妻から18日に「来週の月、火なら休めそうだけど、病院の予約取れそう?」、19日に「お目当ての病院どこかある?」なる旨の履歴が残っている(当然の様に、返信はしていない)事などから、恐らく18日の朝方に、私の方から心療内科をどこか受診しようと、彼女に持ちかけたのだろうと思う。そもそも以前から何度か、妻の方から切り出されていた事だが、適当にお茶を濁していた。病院嫌い、そもそも面倒臭ぇ……理由は幾つもあるが、ひとえに「ま、日々ちょいちょい良い事も悪い事、色々あるけれど、それでも今まで何とかやれてるっしょ。これからもやれるっしょ。これぞ人生」という、謎の過信故だ。初老が何言ってやがる。今回、自ら率先して切り出しただろうという推測から導き出される結論は、結構ヤバいという自覚が芽生えたのだろうという事だ。とまれ、記憶が定かでないという事は、実際のところ何ひとつとして大した事はしていなかったに違いない。いや、出来なかった。心療内科の選択も妻に任せっきり、Web予約も全て妻に口頭で伝え、入力して貰った。そんな簡単な事ですら、行う気力が湧かなかった。せいぜいが昼食を購入しに、サンダルつっかけて近所のコンビニに行った程度ではないか。大した物は食べていなかっただろう。或いは持ち帰った課題に着手しようと試みようとした事くらいはあったかもしれないが、それすら奏功しなかった筈だ。思い返すに、家で一人、普段はなかなか寝る機会のないベッド(解説しよう! 狭い家なので、普段寝室は妻と二人の娘で使用し、私はリビングで主に"廃人ソファ(遂に、斯様にも雑な呼称と相成り申した)"を用いて、就寝していた)に横たわり、時に微睡みながら、徐々に光が陰り、寝室が昏くなっていく中、家人が戻るのを待っていたのだろう。存在するかも判然とせぬ救いを、藁にもすがる想いで待ち続ける、無力な老人の様に。気づけばもう10日以上映画館に足を運んでいなかった。話題作は目白押しだというのに。